ペーパー・オブ・ネガティブ・データ ja (jst.go.jp) 1998 ウィルス研究愚痴録
かくかくの実験をやるに当って,ポジティブにでるかネガティブにでるか,全く予想がつかなかった。
実験をした結果,ポジティブが出れば,これはすぐペーパーになると思う。まあこれは常識だろう。一方,ネガティブの結果になった場合,多くは,ネガティブではどうにもならん,ということでそのデータはオクラ入りになる。これもよくあることだと思う。しかし,ネガティブデータでもこれは学問に貢献すると考えられるケースもなくはない。そのようなケースが私に二つある。
ひとつは「ウイルスの細胞内増殖を中和抗体は抑制しない」という論文で,実験をやったのは小野寺時夫君であった。私の東北大学時代である。何だそんなの当たり前ではないか,と現在では言われると思う。しかし三十年前はそうではなかった。
抑制するしないか未定であった。阪大微研のあるグループが,たしかマウスポックス(エクトロメリア)ウイルスのエールリッヒ腹水癌細胞への感染に中和抗体が有効に働いた,つまり細胞内ウイルス増殖を抑えた,という発表をした。われわれは「本当かな,本当だったらおもしろい。われわれはインフルエンザウイルスでやってみよう」ということになった。結果は,無効というデータになった。
やはり液性免疫はウイルス増殖を抑制しない,という事実は当時世界的にもいささか重要な所見であった。ジャーナル・オブ・イムノロジイに一発でアクセプトされた。蛇足だがこれは小野寺君の学位論文にもなった。ウイルスの細胞内増殖を抑制するのは細胞性免疫であることが確立されたのは,この後である。
もうひとつのネガティブ・データの論文は,故小阪英幸君の実験で私の熊本大学時代(1970-1980)の研究である。私は当時EBウイルスを主として人癌ウイルスの問題をやっていた。小阪君は脳神経外科教室からの研究生である。テーマは大きい,「脳腫瘍のウイルス病因」。当時世界のあちこちでこのテーマの発表があった。がどうもはっきりしない。
特に西ドイツのあるグループはパポバウイルスが脳腫瘍細胞から検出されるので,これが病因だろうと主張していた。われわれは,パポバウイルス群とヘルペスウイルス群に狙いをさだめた。手術で摘出された腫瘍を短期培養してから,種々のウイルス抗原を蛍光抗体法のうちの補体法というすばらしく感度の高い方法でしらべた。腫瘍の数も種類も,充分に実験を重ねた。
見事にネガティブ。
われわれの狙ったウイルス抗原はついにひとつも見つからなかった。これを,ジャーナル・オブ・ニューロサージャリイというアメリカの権威ある脳神経外科専門誌に送った。文句なしでアクセプトされた。これもまた小阪君の学位論文になった。脳腫瘍の病因ウイルスが確立したという話をまだ今でもきいていない。
花もなし実もなし ja (jst.go.jp) 1998 ウィルス研究愚痴録
これは殆ど半世紀前のストーリーである。医学ウイルス学あるいは病原ウイルス学の研究の中でも,新しい病原体の発見というのは古今東西,もっともエキサイティングなテーマのひとつである。1955年(昭和30年)前後,日本のウイルス学研究を賑わしたひとつに「泉熱」という子供の発疹症の病原体がある。もちろん未知病原体であり,しかも,それは何かのウイルスに違いないと殆どの研究者は決めてかかっていた。泉熱は異型狸紅熱ともいわれ,散発例も流行例(特に水系感染が疑われていた)もあった。
伝研(伝染病研究所,東大)も微研(微生物病研究所,阪大)も,予研(国立予防衛生研究所)も,わが東北大(私は東北大学医学部細菌学教室の大学院特別研究生,これは旧制で,第二次世界大戦中に作られた)も含めて,驚くほど多くの研究者が,我こそは,と鎬を削った。学会発表,論文発表も枚挙に暇なしであった。結論を先に述べてしまうと,この泉熱の病原体はついに発見されなかった。
のみならず,何時のまにか,泉熱という病気もなくなってしまったのである。
T大学のA博士は,泉熱患者の材料(血液だったと思う)をマウスの脳内に注射して,しばらくたったら,その脳をすりつぶした。その抽出液を次のマウス脳内に注射してやる-脳内接種継代-方法でついに泉熱ウイルス分離に成功した,と発表した。私も(というよりも駆け出しの私を含むわれわれの研究チーム)これに関わった。
どうも,おかしい,
彼から分与されたその「ウイルス」抗原は,何度繰返しても,泉熱患者血清と反応しないのである。とうとう,われわれだけでなく,他のグループ追試者たちも,発表者のAと立会実験(コッホーパスッール時代のしきたりらしい)をしようではないか,ということになった。が,何故かこれはついに実現しなかった,と思う。そのうちにこのAの分離した「ウイルス」というものは,忘れられてしまった。
そもそもこのAという研究者,この泉熱ウイルスだけではない,当時まだ世界の誰もが分離に成功しなかった病原体発見を次々と「成功して」発表した。
今思い出すだけでも,トラコーマ,仮性コレラ,異型肺炎,麻疹などある。これらのA博士分離・発見に成功したという病原ウイルスは,すべてウソ,でなければ幻であった。どうしてこの「幻」を実体であると彼が信じていたのか,全くわからない。
それは科学上の問題ではなくて,彼の心理上の問題だったのではないか。彼の発見したという病原体はその後,彼とは全く無関係の外国の研究者から,それぞれが正しく(追試可能)発見・発表されていった。当たり前のことである。トラコーマはクラミジア,仮性コレラはロタウイルス,異型肺炎はマイコプラズマ,麻疹は麻疹ウイルスと御承知の通り。国内外を問わず,科学の分野を問わず,このような追試不可能の成功発表というのは,まだまだ幾らでもある。私の知っているストーリーだけでも相当な数になる。何故,このように,次から次へと似たようなインチキ事件がおこるのか。よくある金に目が眩んでの詐欺とはどうもちがうようだ。
というのは,このような科学(少なくとも実験科学)では,そんなことをすれば,直ぐにでなくとも,遠からず,バレてしまう。こんなことは本人も理性で知っているはず。知っててやる。このような欺蹣は意図的なものだけではなく,無意識に犯す自己欺蹣のようなものもあるという。私もこの後者の可能性に成程と感心すると同時に,この自己欺蹣というのはどのような心理だろうかとやはりわからない。
泉熱「ウイルス」の研究についてもうひとつ別の話。K研究所のK博士という高名な研究者がある時のウイルス学会で発表した。私も泉熱ウイルスハンターのつもりだったからその口演を最前列で聞いた。
そして質問に立った「今の発表で,一体このモルモットで分離されたウイルスが泉熱の病原体であるという証拠は何処にあるか」と言った。
そうするとKが怒った。
しかしまともな答はなかった。
どうも若輩の質問が気に障ったらしいのだ。
クソ真面目に率直に質問しただけなのに,私の方がマゴマゴしてしまった。
ところが座長の故.川喜田愛郎教授(千葉大)は,何ということか,決然と(若造の)私の質問がもっともであると発言した。大ウイルス学者・K博士は顔色なしである。この研究もまことにお粗末なものであって,コッホの三原則なんてどこへやらの仕事であった。ただ権威をちらつかせたに過ぎないものであった。
遥かな昔,40年以上も前のことである。もう今ではこんなことはないのでしょうな。
さて,この泉熱という病気は何であったのか。第一はこの病気は昔はあったが,今はなくなってしまった病気である。
したがって,この病原体・ウイルスはわからない。第二,エンテロウイルス群の一種による発疹症の可能性もある。例えばエコー6型とか。このようなウイルスであれば,我々が研究した当時の方法(マウス,モルモット,鶏卵)では分離できるはずがない。第三,ウイルスでなく細菌である可能性。例えば現在エルシニア菌もその病原体に擬せられているという。しかしこれは私はわからない。
何しろ病気自体が例えば公衆衛生協会「伝染病予防必携」から削除されてしまっているから。泉熱という病気は独立疾患である,ということにさえ疑問を覚える。
やはり臨床のしっかりした研究者のしっかりした臨床研究記載があってはじめて,その病因探求が成立すると思う。
病原体ハンチングの研究は「先に臨床だな」とつくづく思う。