現代免疫物語―花粉症や移植が教える生命の不思議 (ブルーバックス)
P57-P62
「結核もアレルギー」
結核は風邪のようなだるさや微熱から始まる。そして症状が重くなると、肺の組織に空洞ができ、喀血を重ねて最悪の場合、死へと至るー。だが、結核菌の感染のはきっかけに過ぎない、発熱などの大半の症状は実な免疫のせいである。人間の免疫の営みが肺の組織に空洞を作るのだ、といったら信じてもらえるだろうか。でもそれは事実なのである。
これからしばらく語るのはこうした結核のミステリー。免疫細胞がどのように振る舞い、その結果、どうして肺に空洞ができるのかを見ていこう。ただし結核にはアレルギーの主犯者だったIgEという抗体は全くかかわらない。結核の場合、主犯者といえそうなのは抗体ではなくT細胞である。
せきで空気中に飛び散った結核菌を不幸にも誰かが吸い込み、病原菌が肺に侵入したところから始めよう。
肺に侵入した結核菌に襲い掛かるのは、免疫の偵察部隊のマクロファージ(大食細胞)だ。前章の<免疫の使途たち>のところで述べたように、彼らは体内に侵入した病原菌をバラバラにして、その断片を免疫の司令塔といわれるヘルパーT細胞のもとへ「見せ」にくる。するとヘルパーT細胞は、遠方のマクロファージを呼び集め、大軍となったマクロファージは結核菌に対する一斉攻撃を開始する。結核菌を飲み込み、バラバラにする営みだ。
ヘルパーT細胞はマクロファージの攻撃行動の支援も行う。ガンマ(ɤ)インターフェロンという情報伝達分子をマクロファージに向けて放出し、マクロファージに体内で一酸化窒素(NO)を作らせるのだ。結核菌は一酸化窒素に弱く、マクロファージの一酸化窒素を浴びた結核菌は死滅する。
最近ではキラーT細胞も結核菌との戦いに重要な役割を果たしていることがわかってきた。キラーT細胞は、結核菌を飲み込んだマクロファージをまるごと攻撃し結核菌をやっつける。またマクロファージの体の外に出た結核菌に向かって「グラニュライシン」という酵素を放出し、攻撃するとも考えられている。
こうやって免疫は結核菌から人間の健康を守ってくれる。ここまでは、免疫の使徒たちは外敵から人間を守る本来の営みをしているに過ぎない。免疫は人間には一切、迷惑はかけていない。
だが、結核菌は面倒なふるまいをする病原菌だ。実は結核菌のほうから見ると、彼らに襲い掛かるマクロファージこそ、彼らが寄生する場所と狙い定めている場所でもある。マクロファージが結核菌を飲み込む行為は、実は両者の思惑が図らずとも一致した営みである。
こうしてマクロファージの体の中では熾烈な戦いが始まる。戦いの場所が、マクロファージの体の中だから、血液の中を流れる抗体に出番があるはずがない。これが結核菌が病原菌であるにもかかわらず、病原菌に対処するはずの抗体が全くかかわってこない理由である。
だがマクロファージと結核菌の戦いでは不慮の事態が発生することがある。マクロファージやT細胞の手におえぬほど結核菌の集団が協力で、両社の戦いが結核菌の勝利に終わる場合だ。
マクロファージの体内で増え続けた結核菌の群れは、マクロファージを殺し終えると、その体を離れ他のマクロファージに襲いかかる。ヘルパー細胞に呼び集められたマクロファージの群れも巨大だ。大軍同士が戦う場所では、異様な光景が出現する。マクロファージが融合して、巨大な細胞になり肉芽腫と呼ばれる病巣ができるのだ。
こうして事態は破局へと向かう。殺されたマクロファージから出るたんぱく質分解酵素やヘルパーT細胞が放出した情報伝達分子によって、その近隣部の肺細胞も破壊されるからだ。結核特有の空洞は実はこうしてできたものなのだ。マクロファージとT細胞による免疫の営みが空洞を作ったのである。
いかがだろうか。この複雑極まりない空洞のでき方をどのように思われただろうか。多少、説明があいまいな部分があると感じられたとしたらその直感は正しい。現代の最新医学といえども、結核の発症メカニズムをまだ厳密には解明し切ってない。結核とはそれほどミステリアスな病気なのである。
「死んだ菌でも空洞が」
結核がアレルギーであることを示すもっともわかりやすい証拠もある。結核の空洞は状況次第で死んだ結核菌でも起きることだ。いくら強力な病原菌といえども、死んでしまっては人間の体に悪さを起こせるはずがない。だからこそ肺にできた空洞は犯人が免疫の過剰反応、つまりアレルギーであることを雄弁に物語っているといえるだろう。
パスツールとともに近代医学を確立したコッホが結核菌を発見したのは1882年。それから数十年が経過した日本で、意外な発見をした研究者がいた。太平洋戦争が終わり、生まれ育った大阪で医学の道に復帰したばかりの山村雄一。のちに大阪大学の学長となる人物だ。彼は、当時の日本人が今のがんと同じほど怖がった結核の研究を始めていた。
山村は、ウサギの肺に結核特有の空洞を作ろうと腐心した。だた、その最中、当時の常識を覆す実験結果を偶然目の当たりにする。生きた結核菌を注射すると、もちろんウサギの肺には空洞ができる。だが死んだ結核菌をウサギに注射しても、空洞ができてしまったのだ。
なぜ、こんなことが起きたのか。そのウサギは以前、結核菌に感染し、結核菌への免疫を持っていた。また彼が注射した結核菌は微量ではなくかなりの量でもあった。
免疫という言葉の所以を覚えておられるだろうか。一度、かかった天然痘やペストなどの病気には二度とかからない、二度目の「疫」病からは「免」れることができる。これは免疫の司令塔、ヘルパーT細胞が一度、体に侵入した病原体をきっちり覚えていて、二度目の侵入への備えもしっかり記憶しておく能力があるからだ。
もし本当に、病原体が再度の侵入を企てた時、ヘルパーT細胞は、B細胞に命じて速やかに大量に抗体を作らせたり、マクロファージを呼び寄せて病原体との戦いを開始するのである。
山村が、死んだ結核菌をウサギに注射した時も、これと同じことが起きた。結核菌が生きていようと死んでいようとヘルパーT細胞はその姿を記憶しているから、リアクションは敏感で猛烈だ。T細胞は結核菌の出現に気づくと直ちに、マクロファージの大軍を呼び寄せ、それらは結核菌の群れに向かって一斉に襲いかかった。こうしてマクロファージと結核菌は密集し、その過程で再び、マクロファージは融合して巨大な細胞となり肉芽腫ができるー。これが山村を驚かせた「死んだ結核菌でも空洞ができる」メカニズムだ。
P67-68
「コッホ余話」
結核を語る時、ドイツのコッホは避けて通れない。結核菌を発見したのはコッホだし、結核についての一連の研究が評価され1905年にはノーベル生理学医学賞も受賞した。また北里やベーリングが師事したのもコッホだった。
ただ近代医学の大家として知られるコッホも、少々、勇み足の発表をしたことがある。それは彼が考案したツベルクリンをめぐる一幕だ。ツベルクリンは、現代では、結核菌に感染し結核への免疫ができているか否かを調べる診断法として知られる。だが彼は、それを結核の治療法になりうるとして社会に公表したと伝えられる。1910年のことだ。
結核で多くの人が生命を失っていた時代に医学の大家のこの発表。さぞ、社会は特効薬への期待に沸いたことだろうし、ツベルクリンの限界を悟った時のコッホの内心の動揺もかなりものだっただろう。
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P70
「DNAワクチンへの期待」
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BCGの働きは感染予防にとどまり、結核を発病してしまった人の治療には役には立たなかった。
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