作品説明



舞打楽暦第16番

独舞「双身/ふたなり」


鷹の井戸(W.B.イェイツ作)

異聞変奏詩



アイルランド英雄時代、古代ケルト族社会に謳われた永遠の生命をめぐる冒険奇譚の幻想戯曲、

鷹の井戸(At the Hawk’s Well-The Only Jealoursy of Emer-Dreaming of Bones- Calvery)は1921年に創作され

象徴劇風に仕立て上げられる、舞台は何もない空間(the empty space)に単純化された舞台構成を連想させる

画期的な方法をとる、登場する人物は三人の楽師(コロス)と井戸の守り女(少女)、生命の泉の水を待ち続ける老人、

生命の泉をさがす新たな訪問者(英雄青年)、老人と青年の願望は変身の鷹の精霊(少女)により、

二人の希望は永遠に立ち切られる、

そして永遠の生命は幻影に姿をかえて存在しているという創造世界に変貌する、



<その再構成とは>


世界創造以来、「モノとコト」の本当の真実は人の目に見えず、触れることは永遠にない、

人間とは、絶望と希望を同時に二つ合わせ持つ「モノゴト」を生きられる超現実的存在である、(と)、

わたしはわたしの誰かを嫉妬する?わたしは永遠を生きながら死んでいる肢体だ(と)、

空気穴の開いたビオハメニカ(超人形) 動態みたいだ、(と)、

わたしは思うのです、、、


舞打楽暦第16番・独舞「双身/ふたなり」は、

人間も時間も空間も存在しない(と)いう虚空の今の今にあり、

気まぐれに表れ、突然に消える、

それは「モヤ/靄」の中に光の象を射す、そんな非在のわたしを見た(と)いう霊的な痙攣、痛撃な驚きに似ている、

今の今、無尽の無限、消滅と誕生をくり返す、ひとつの蒼白い微細なカラダ現象です(と)、

わたしは思うのです、、、

永遠に生きられる願望を生成する人間の欲望は、原初の神の怒りにふれ、

その願望の無謀さを思い知らされる、

それは未来永劫人間という存在は、一度では何も学べない(と)、

永遠に一つのことを学びくり返すという有限な「聖なる原テキスト/ヨブの記」に上書きするだけの創生種なのだ(と)、

永遠を生きたいという人間存在とは、種の本質的な欲望のうちに、生命事態の希望(誕生))と失望(死)を反復し、

謄写するだけの不条理な生物である?(か)、空極的に、質問にも答えにも望まれず、矛盾にも気づかず、

ただちの受難を再臨させていく双身か(と)、これらは神おも嫉妬させるという聖なる特異体なのか?(と)、