私の講演は、これまでの社会にある差別を断罪するものでも、社会の変革をめざすものでもありません。私たち一人ひとりが「笑顔で過ごせる」生き方を提案します。あの日西光万吉は「人間は尊敬するものである」とそれまでの部落差別に対してコペルニクス的な思想の転換を突きつけました。近世に社会制度として位置づけられた部落は、形式だけとはいえ明治に入りその位置づけを変えました。しかし人々の認識は何も変わらなかった。西光はその認識の転換こそが必要だと看破したのです。もちろんそれは、時代の中で早すぎた主張でした。では、「今」はどうでしょう。私は「部落は差別されるもの」という過去の認識から解放された人々のつながりの輪が、社会を変えていくのだと考えています。
誰もが笑顔で過ごせる社会をめざして
中学校教員時代から「人権を大切にすること」とは何かを日々の教育活動の中であらゆる機会に考え伝え続けてきました。その営みは、自分の中でも常に進化・深化し続けています。定年退職を機に、一人でも多くの方に伝えたいとの思いで、研修や講演をお引き受けしております。これまでの枠に捉われない手法で、一人ひとりが未来に向けて開かれた可能性を信じるために。アイデンティティのあり方から差別を紐解いていきます。
明るく楽しい人権学習のすすめ
若いころの私にとって人権学習は、重く辛い嫌な時間になってしまった記憶があります。それは生徒にとっても教える側の教師にとっても非日常の緊張を強いられた時間でもありました。「人権を大切にすること」はごく当たり前に普通のことのはずです。この疑問が私の出発点なのかもしれません。当たり前のことを当たり前に、普通のことを普通に、どのように考えていけば実現できるのか。実践の中で模索を続けてきました。ここから「明るく楽しい人権学習」という視点が生み出されました。「こんな大きな問題にこんなことで良いのだろうか。」葛藤の中「理論と実践」をつなげたのが、当時は保護者であった藤尾まさよさん(現崇仁発信実行委員会代表)との出会いでした。「私がわたしを差別していた」その藤尾さんの気づきが、自分の実践に魂を吹き込んでくれたのです。
詳しくは、私の学位論文「被差別のアイデンティティを越えて」をご覧いただければ幸いです。
構造は継続の残滓
私の講演は「構造は継続の残滓」という言葉で終わります。フランスの思想家ロラン・バルトが遺した一節です。差別は社会が生み出した構造です。ならばその構造を棄却するためには、継続の連鎖を断たなければなりません。差別の存在を前提にする限り差別の構造から出ることはできないのです。差別はまちがいなく現在も存在します。しかしその存在は、差別を継続する人の中に存在し続けるのです。
「残滓」とは、燃え残り、燃えかす、残りかすを意味します。すべての人が、その残り火を消し去る時が来る日まで。
2023年7月31日に記念すべき退職後最初の教職員研修の依頼をいただき、人権研修・講演の活動がスタートしました。ありがたいことに、この2年間に100回、1万人を超える方々にお話をさせていただく機会をいただけました。目標の10万人まで80歳頃には達成できるペースです(笑)。十分すぎるご縁をいただいておりますことに感謝です。京都産業大学の嘱託職員を勤めながら活動してまいりましたがご依頼が増加したため仕事との両立が難しく、2025年3月に退職し、啓発活動で残りの人生を「楽しんで」まいります。ぜひこの輪が広がりますように願っています。
1985年 同志社大学経済学部卒
1985年 京都市立中学校講師
1986年 京都市立山科中学校教諭
1995年 京都市立弥栄中学校(現開睛小中学校)
1998年 京都市立嘉楽中学校
2004年 京都市立皆山中学校(現下京中学校)
2007年 国立大学法人兵庫教育大学大学院
学校教育学修士
学位論文「被差別のアイデンティティを越えて」
2009年 京都市立下京中学校
2011年 京都教育大学附属桃山中学校
2017年 京都市立御池中学校
2020年 京都市立九条中学校教頭
2023年 京都産業大学教職課程教育センター員
2025年~講演・研修活動に専念