早いもので、6月になりました。私は4・5月は「条件整備月間」だと考えており、年度の新たな取り組みは6月スタートがちょうどいいと考えています。4月当初からぐいぐい進める校長先生もいるでしょうが、私はそれだと息切れするような気がしていて、毎年6月からが正念場だと思っています。一方、年度末の方は1・2・3月は「まとめと準備月間」と考え、実質的な年度の〆は12月だと思っています。つまり6~12月の半年ちょっとで結果を出さないと、学校は変わっていきません。時間があるようで無いのですが、実はこの半年ちょっとの勝負というのがちょうど良いスパンなのではないかと思います。時間がないから前へ進まざるを得ないので、冗長にはやっていられず、結果的に業務改善が進むことになります。
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さて今回はDXによって学校を自律的に動く組織に脱皮させられないか、について述べてみたいと思います。私の学校経営戦略の根幹はこの「自律的な学校」であり、校長のトップダウンは一切しません。先生方には必ず「どうしたい?」と問いかけます。また、「校長は立場ではなく役割で仕事する」という考え方で、校長も教職員の一人として働きます。教務部、生徒指導部、進路指導部、と同列に校長部という名の校務分掌が存在しているようなイメージです。職員会議でも私は「校長提案」の形をとっていて、先生方にいろいろな提案をします。審議の末、場合によっては反対意見多数で校長案が廃案になることもあります。通常、校長が考えた案というのはある意味絶対であり、校長が右と言えば右、みたいな話になりがちですが、私の経営方針はその真逆をとっていて、先生方の考え方やアイデアを前面に出してもらいながら進めています。校長案が絶対だ、という強権的なやり方だと結果的に教頭を板挟みにし、苦しめます。私は教頭を苦しめない学校経営を第一に掲げていますので、そんなことは絶対にしません。
このような学校経営ができるのは、ある意味羅臼高校だからです。ベテラン教師が多い都市部の学校では難しく、校長判断が少ないと混乱を巻き起こすことでしょう。端的に言えば、責任のたらい回しが発生する。失敗したときに責任を負うのが嫌だから自分では判断しない、余計な仕事を増やしたくないから無難に前年踏襲で行く、校長が判断してくれればその通りやる(失敗してもそれは校長の責任だから)、…と。まあ、大きな学校はだいだいこんなものです。
学校現場というのは想像以上にイノベーションが起こりにくい、保守的でお堅い世界です。良くも悪くもベテラン勢や長年勤務者の価値観や正義感が場の空気を支配し、若い先生方や新しく着任した先生方の斬新な発想を押し潰します。あるいはベテラン勢がいなくても、「学校とは、かくあるべきだ」という古い考え方が若い人の中で独り歩きし、それが同調圧力となって新しい発想をなかなか実行できなかったりします。見方を変えれば、責任を負わされるという被害者的な認識が強すぎて、できない理由探しばかりする慢性病に学校全体がかかっているとも言えます。そして無風の職員室、学校になってしまい、いつまでたっても昭和・平成のまま変われない。私自身、そんな現場をたくさん見てきました。確かにクレームが絶えない、誹謗中傷だらけの世の中かもしれませんが、そんな中でも価値ある取組を進めて行かなければ、公教育を担う公立学校としての存在意義が無くなります。
DXは、このような学校の病を治療する特効薬です。DXがもたらすメリットは単なる業務の効率化だけではありません。それよりももっと大きなこと、つまり「そもそもこれは必要なものなのか?」「もっと簡単で効果の高い方法がないのか?」、さらには「そもそもうちの学校は世の中から本当に必要とされているのか」といった疑問をみんなが持てるようになることこそ、DXの本当の価値だと私は思います。AIの進歩が止まらない現在、学校の存在意義は明らかに変わってきていると考えるべきです。もう学校は不要だという時代がすぐそこに迫っているかもしれません。そう言われないような学校づくりを具体的にすすめていかないと、これからの学校経営は成り立たないでしょう。それには学校内部の業務改善といったレベルではなく、世界的な潮流と自分の学校の状況を直接比較して、何が足りないのか端的に見つけ出すという作業が欠かせません。もはや、校長のトップダウンといったやり方では全く何もできないも同然です。現在農水省が進めているコメの流通経路を透明化して価格高騰を抑えつつ生産者を守ろう、という施策と同じように、学校の業務の実態を透明化して取捨選択し、新しい時代の教育を生み出す端的な経営改善策を実行する、ということが必要だと私は考えています。まさに、今がそのタイミング。見えやすく、分かりやすい改善策をそろそろ打ち出さないと、本当にAIに取って代わられてしまうのではないかと危惧しています。
意思疎通や情報共有、共同編集等が簡単にできるGWSを利用することで、全員での共同経営が昔よりもはるかにスムーズにできます。DXによって従来型の校長トップダウン経営を脱し、新しい価値を生み出す学校づくりにつなげる。私が描くDXのイメージは、そのようなものです。経営手法自体を変革しなければ、トランスフォーメーションとは言えませんよね。結局は、校長しだいです。
新しい価値とは何か考えながら、一歩ずつ着実に進めていこうと思います。
与えられたDXから、自律的なDXへ。そして自律的な学校へ。
羅臼高校の次なる目標です。
R7(2025).6.10 北海道羅臼高等学校長 古屋順一