DXとはデジタル・トランスフォーメーションの略称です。経済産業省の定義では「企業がデータとデジタル技術を活用して、ビジネスモデルや製品・サービスを変革し、競争上の優位性を確立すること」とされています。これを教育で読み替えていくと、「学校がデータとデジタル技術を活用して、教育モデルや授業・学びを変革し、競争上の優位性を確立すること」とでもなるでしょうか。つまり、従来の学校業務を紙からデータに切り替えたというような単なるデジタル化では、DXとは言えません。学校の教育活動の仕方そのものを根底から変革する、という視点が入って初めてDXと言えるわけです。
羅臼高校では上記のような考え方で、これまで長い間学校現場で当たり前のように行われてきた様々な業務を、いったんゼロベースに戻し、デジタル技術を使って置き換えていくというイメージでDXを進めています。ゼロベースですから、そもそも「この業務は果たして必要なものなのか?」ということを常に問い続けることになります。
「学校はブラックな職場だ」という印象がすっかり定着してしまった昨今ですが、教員の仕事とは決して無味乾燥で辛いだけのものではありません。子供たちを育てるという、とても夢のある暖かい仕事であり、私たち教職員の側も子供たちから学び、お互いに人としてよりよく生きるための様々なやりとりをする場が、学校という場所です。ただ、手間のかかる作業や教職員間の意思疎通などの手段が古いまま踏襲され、それが令和の現在でも色濃く残っているが故に超過勤務がなかなか減らない、という実態も学校にはあります。つまり、設備的には令和でも、考え方や方法が昭和である部分が多いわけです。
そこで、羅臼高校ではこの「考え方」自体を令和型に変革すべく、ゼロベースで業務をとらえなおし、不必要な手続きは排除して煩雑な業務を徹底的に無くす、という発想でDXを進めています。
DXの最終目標は、教員の働き方改革と生徒の学びの変革、この二つです。羅臼高校では、まず手始めに校務DXにより教員の働き方改革を進めつつ、そこで得られた経験則を生徒の学びのDXに生かしていきます。この経験則というものは、使い方とかアイデアといった「マニュアル的」なことだけではなく、たとえば「どうすればチャットが盛り上がるか」とか「どうすれば教員や生徒がDXの主体に育つか」といった、ある意味人間的なアナログ面を含むノウハウの結集であり、これは実際に試行錯誤してDXを進めている現場でしか見えてこない感覚だと思います。
ただ、校務と生徒とでは全く異なる世界なので、校務DXで得られた知見を直接生徒側に適用することは難しい部分もあります。羅臼高校における生徒の学びのDXについては、学校外の各機関とも連携しながら、たとえばビッグデータを使って何かの分析をさせ、そこから見える事実をもとに生徒に考察させる、といった学びの方法を確立し、探究的な学習経験を積ませていく、というような実践を考えています。過去の情報しか載っていない教科書を使った机上の学習から、実際のリアルタイムなデータに基づいた「事実を知る学習」へと切り替え、VUCA時代に求められる「思慮深さ」を生徒の中に育てていきます。
学校の世界で、DXというキーワードが導入されたのはごく最近のことです。全国的に見ても、一部の先進校を除きまだまだ考え方や実践が広まっているとは言えません。
このような中、羅臼高校では校内で実際に進めているDXのさまざまな手法についてこのホームページ上で公開し、外部からの意見も柔軟に取り入れながら、できるだけ質の高いDXを実現したいと考えています。教員11名の小さな学校の取組ですから、先進校の真似はできませんが、一歩ずつDXを進めていき、その足跡をみなさんに見てもらえればと考えています。
また、羅臼高校のDXは北海道教育委員会や地元羅臼町教育委員会とも連携しており、校内のDXを拡張した「地域DX」も同時に進め、羅臼町の教育の特徴である「幼小中高一貫教育(ESD)」をより推進できるよう、DXのリーダーとしての役割を今後果たしていきます。
ICTを積極的に活用しようとすると、コンピュータ機器類の冷たいイメージから、必ず「人間どうしのつながりが希薄になる」という意見が出てきます。確かにそのような一面もあるのかもしれません。
私は逆の見方をしていて、ICTによるDXを進めることによって、むしろ人間対人間のつながりや絆が深まるのではないか、という仮説を立てています。実際、羅臼高校の校務DXではチャットを取り入れていますが、導入前に比べて意思の疎通がはるかに簡単になり、細かい業務がスムーズになりました。SNSが世の中でごく普通に使われるようになった今、対面でのコミュニケーションの方がむしろ減ってきており、善し悪しはともかくとしてICTにより人間関係が希薄になる、とはもはや言えないだろうと思います。
しかし、だからといって対面での会話やコミュニケーションを軽視しているのではありません。DXで楽になった分、言葉を交わして人と人がしっかりと意思を通じ合い、みんなで仲良く楽しく仕事ができる、という形にしなければ意味がないと思います。つまり、DXを進めることで大事な視点は、人間らしさを取り戻すということです。一見デジタルでのやりとりは血が通わないように思いがちですが、うまく使えば温かみのあるコミュニケーションが取れます。これを教員のみならず生徒・保護者や地域の方々まで巻き込んで、みんなが笑顔になれるようなDXをぜひ実現したいものです。
羅臼高校のDXでは、そういった部分にも光を当てて進めます。
R6(2024).7.1
北海道羅臼高等学校長 古屋順一