みなさん、こんにちは。いつもご覧いただきありがとうございます。最近はちょっとDXの作業的な内容を投稿できておらず、申し訳ありません。いろいろと現在同時進行的に着手しているプロジェクトがあり、もう少し時間が経過すれば徐々に発表できる見通しです。新しいモノは随時発表しますので、しばらくお待ちください。
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昔から「隣の芝は青く見える」と言われますが、どんな仕事をしていても「ほかの人はどうやっているんだろう」「あの人はどのようにしてあれだけの成果をあげているんだろう」「あの学校はなぜあんなに斬新なアイデアを次々に形にできるんだろう」、などとつい思ってしまうものです。私も例外ではなく、そういったことを思う瞬間がよくあります。
しかし、物事には必ず裏の事情というものがあるわけで、表からは見えないことが隠されています。表向きはきれいに見えていても、実は裏では逆だったりしますよね。だから見えることだけで判断するのは危険なのであって、見えないことに事の本質がある、と考えるべきだと私は思っています。一見すごそうに見えていても、本当にすごいかどうかは内情まで観察しなければ分かりません。
さて、現在世の中ではウェルビーイングが大切であるとされ、私たちの学校現場でも目標のひとつとされています。言葉としては新しいですが、ウェルビーイングというのはずっと昔から大切だったはずのもので、自分の人生そのものがウェルビーイングを目指し、そのために日々働き、暮らしていると言っても過言ではないわけです。
しかしながら、日本の学校では長らく、成績主義とか数値目標といった見える要素が評価のものさしとして使われ続け、いまだにそれが一定の価値を持っています。難関大学に多数合格させる高校が優秀だと評価され、部活動の全国大会に毎年駒を進める学校の指導方法が素晴らしいものだ、とされます。生徒も先生も、そこでは個人の価値というより、その学校を優秀たらしめるための要素としての価値が求められ、個人よりも学校の名誉や立ち位置が優先されがちです。そのことの必要性、つまり優秀な学校への帰属意識から「自分は選ばれし人間であり、将来社会貢献すべき存在である」という認識を持たせることも、適切な自尊心を育む上では大切なことかもしれませんが、それが個々人のウェルビーイングにつながるのかというと、一概に「選ばれし者」が幸せとは限りません。そもそも今の時代、何をもって選ばれし者なのか、かなり曖昧ですよね。
難関大学の合格者数も部活動の戦歴も、「ほかの学校(人)と比較して自校(自分)はどうか」という、いわば外側のものさしで自分を見ていることになります。絶対評価ではなく、相対評価をしているのです。確かに相対評価は分かりやすいですし、指標にしやすい。でも、それだけで今のような予測不可能な時代を生き抜ける人づくりが、果たしてできるのでしょうか。私は、懐疑的に見ています。数字だけを追い求めると、必ず間違いが発生します。表向きの数字を良くしたいがために、裏ではめちゃくちゃなことを始める。今までの学校では、そういうことがしばしば起こってきました。もちろん、他との比較によって子どもが自信を持ち、適切に伸びていくこともよくありますから、相対評価そのものは否定しませんが、それに頼りすぎてきたのではないでしょうか。
今子どもたちに身につけさせるべきことの一つは、自分自身(あるいは自分の所属する団体)を絶対評価できる能力ではないかと考えています。それは、根拠も無く感情的に評価することではなく、エビデンスに基づいた客観的評価を自分自身に下す、という意味です。これができれば、大学進学とか全国大会といった外的ものさしの呪縛から逃れ、その子が持つ本来の才能を開花させるチャンスが増えるのではないか、と思うのです。
AIの時代となった今、おそらく求められてくるのは「自分は何を生み出すか」という能力です。今までにはなかった概念や手法を、さまざまなツールを使って具体化できる人材がこれから必要になるでしょう。そこでは難関大学とか全国大会といったワードはもはやほとんど意味をなさず、そんなことよりも発想力がどれだけ柔軟で豊かであるかが問われます。
一度作ったものを、もっと良くできないかと考えて改良を重ねていく、という考え方も学校現場には必要です。ともすれば、何十年も前の枠組みが根強く残り、誰も改定しないということが学校では起こりがちです。私は典型的な理系脳人間なので、壊し屋でもありまして笑、「もっと良くするためには長年続いた〇〇をやめて新しくしよう」といつも考えています。それもあって、昨年度本校では校務DXをかなり大胆に進められた(自画自賛)のですが、これで満足して終わってしまうと、あっという間にすべてが陳腐化し、時代遅れになります。そうさせないために、校務DXのレベルアップを目指して日々校長室でプログラミングに明け暮れておりますが、これも他校と比較してどうのこうのということではなく、本校の教職員にいかに楽してもらうかということのためにやっているものです。楽をする、というと聞こえが悪いかもしれませんが、苦労し過ぎるとウェルビーイングは実現できなくなるので、考え方として教職員にはまず楽をしてもらおう、というコンセプトがあり、そのためにどこをDXするか、という着眼点を大切にしています。DXは技術的な難しさではなく、目の付け所が難しいのです。自分にとって何が好都合なのかを考え、自分がうまくいくことが世の中への貢献としてどうつながっていくのか、という「自分からスタートする絶対評価」がDXやウェルビーイングには欠かせないと思います。
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人の真似ばかりして「隣の芝」みたいな庭を造ったとしても、さほど価値はありません。それよりも、今までに見たこともないような新型の庭を造った方が、何倍も面白いです。これといった型が存在しないからこそ、DXやウェルビーイングは奥深くて面白い課題なのだと、私は思っています。
R7(2025).5.26 北海道羅臼高等学校長 古屋順一