みなさま、令和6年はいろいろとお世話になりました。年末年始、それぞれお過ごしのことと存じますが、私は年越しを過ごす札幌の自宅からこのページを編集しています。クラウドのメリットは、どこからでもこういう編集が簡単にできることです。
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今年の流行語大賞となった「ふてほど」。ドラマ「不適切にもほどがある!」を略してふてほど。ドラマを知らない人からすれば、何の意味か分からない言葉ですね。
さて、このドラマ、いわゆるタイムスリップもののストーリーなんですが、一話ごとになかなか考えさせられる言葉に溢れており、見終わった後に何かが頭の中に残るような作品です。その中に、こんなセリフがあります。
「社員のやる気を削ぐのが、働き方改革ですか 」
ともすれば超過勤務削減、時間短縮にばかり話題がいってしまう働き方改革ですが、実はそれによってかえって改革ができない可能性をはらんでいます。以前勤めていた高校で、私もある先生からこう言われたことがあります。「管理職が早く帰ってくださいとか休んでください、と言うのを聞くと、モチベーションが下がる。そういうことを言わないでほしい。誰しも好んで長時間働いている訳ではなく、納得のいく仕事をするとどうしても長時間になってしまう。どの先生が見えないところでどれだけ苦労しているか管理職は把握していないでしょう。だから改革なんて掛け声だけだとみんな思ってますよ。時間短縮しないと校長が怒られるんでしょ?校長のために早く帰れと言われるのは不愉快だ」という、痛烈な一発でした。
まあ、分かりますよ。私も教諭の頃は朝7:00出勤、夜9:00退勤でしたらかね。土日は全部部活でつぶれ、家族との時間なんてほとんど無かった。でも、それしか方法がなかったですから。学校のため、生徒のために自分を犠牲にするのは「当たり前」だという価値観と、教師ってのはそういう仕事なんだという同調圧力だらけだったのでね(平成20年頃)。この仕事を選んだ以上、仕方ないだろうなと、私も半分諦めていましたね当時。それでも自分がやりたい仕事ができる喜びの方が勝っていました。
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厚生労働省「働き方改革関連法に関するハンドブック」の冒頭に、こう書かれています。
「働き方改革」は、働く方々が、個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を、自分で「選択」できるようにするための改革です。 日本が直面する「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く方々のニーズの多様化」などの課題に対応するためには、投資やイノベーションによる生産性向上とともに、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境をつくることが必要です。 働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現することで、成長と分配の好循環を構築し、働く人一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指します。
重要なキーワードは「選択」だと私は思います。教職員の業務に「選択」という言葉をあてはめると、どうなるのか。その答えの一つは「自分のセオリーで仕事をする」ということではないでしょうか。たとえば教材研究をする場合も、先生方それぞれ違った方法をとりますよね。どれが正解というものはなく、効率を追求する人もいれば、あえて回り道してじっくり練る人もいる。たくさんの文献を調べるような準備方法だと、必然的に長時間を必要とします。でもその結果良い授業ができて、生徒の将来の選択肢が増えることに繋がるのならば、その長時間労働は悪いものではなく、むしろその先生が「選択的に長時間必要な方法をとった」という意味においては、働き方改革の定義に反するようなものとは言えません。つまり、働く本人が一番いいと思う方法を「選択」することも、十分働き方改革に資する行動だということです。
しかしながら、上記のような長時間を要する教材研究のような仕事を、ある先生が毎日夜8:00くらいまで残ってしていたら、周りにはどう見えるか。文献を調べていたとしても、傍目には単に本を読んでいるだけにしか見えず、「あの先生は趣味の本を読むために毎日遅くまで残業している」というような悪評が立つ可能性さえあります。管理職としても、特定の職員が毎日遅くまで残っている状況は解消しなければならないとされているため、どうしても早く帰るような声掛けをせざるを得ない。ところが、その先生からすると重要な教材研究をしている途中で管理職から「帰れ」と言われていることになり、自分が選択した仕事を阻害されることになります。そしてそれは「やる気をそぐ」ことに繋がってしまいます。
私は、長時間勤務をしてしまった後日にたとえば定時退勤をしたり、何らかの休暇を使って休むなどして、バランスを取れば良いと考えています。毎日決まった時刻に帰宅できることの方が、ある意味不自然ですよね。機械のような働き方をしているわけではないので、日々ばらつきがあって当然だと思うんです。どうしてもその日にやってしまいたい仕事というのがあるはずで、それを時短だけを理由に中断させてまで先生方に「早く帰れ」みたいなことは、私は言えないと思っています。だから最後はどうしても「うまくやってね」としか言いようがなくなります。
先生方も大人ですから、管理職が「うまくやってね」と言えばだいたいその意味をとらえてくれますし、長時間勤務の後に年休を取りたいという希望が出てきたら、気持ちよく受理するということ。小さなことですが、そういう積み重ねを通して地道に進めるしか、働き方改革は実現できないのではないでしょうか。
極端な話、DXでできる働き方改革というのは、しょせんアシスト部分なんですよ。本質的な働き方改革は、本人の内面の改革なしには実現しないものだと思います。ただ、DXの威力は今まで長年やってきた、定型化した手間のかかる仕事を一瞬で終わらせてしまう可能性を秘めていることで、これによる時間圧縮効果は間違いなく絶大です。で、問題はその圧縮した時間を「早く帰る」ことに使うのか、「もっと自分らしい仕事をする」ために使うのか。本当の働き方改革ができるかどうかは、その辺にかかってくるのかなと私は思います。だから、DXを進めた結果として仮に超過勤務時間が減らなかったとしても、それだけで働き方改革が進んでいない、という判断をするのは早計です。
教師はブラックだと言われて久しいですが、長時間だからブラックだという意見に左右されて、本当の働き方改革が矮小化してしまわないように、管理側の人間は気を付ける必要があるのではないでしょうか。
R6(2024).12.30 北海道羅臼高等学校長 古屋順一