本日12月18日(水)に開催された「ICT活用全道協議会」にオンラインで参加しました。実は今日は私の55歳の誕生日でして、そんな日にこの研修を受けることができたのは喜ばしいことであります。
協議会ではさまざまなお話を聞くことができましたが、羅臼高校に照らして考えたときに「まだまだうちは立ち後れているな」という部分と「うちはかなり進んでいるな」という部分の2つを強く感じました。立ち後れているのはやはり学びのDXであり、手段としてクラウド活用は進んでいるものの、基本的なコンセプトやそもそも論の部分をもう少し整理しないと、形骸化するなぁとしみじみ感じました。前回も書きましたが、具体的な決め手はチャットです。チャットの有効活用ができれば、授業は激変します。ただ、なぜそれが必要なのかという部分をまず整理しないと、ただチャットを使っているだけに陥ることになります。今日の協議会でも、国の施策の狙いから外れたDXに陥っている学校現場が少なからずあるとの指摘がありました。これは、十分注意しなければなりません。
DXに限りませんが、学校という世界はどうしても白か黒かという二者択一みたいな考え方に支配されやすいのです。というのも、学校現場では「端的で分かりやすい結果」が重要視され、プロセスやロードマップというものに光が当たらないことが多いからです。結果重視しがちで、途中にある本質的な価値を見ようとしなかったり、見落としたりします。特に、結果が見えにくい新しいことを導入しようとすると、必ず抵抗されます。DXも同じで、導入することでどういうメリットがあるのか、はっきり目に見えるように仕向けないと定着しない、という一種の「学校病」があるわけです。北海道の高校は特にその傾向が強いと私は感じています。結果ばかりに目が行き、試行錯誤する考え方が明確に足りないんですよ。とりあえずやってみよう!という雰囲気がなく、そんなことやって何の意味があるのかという方向に流れやすい。結果がそれなりに出せる保証がある方が楽ですからね。試行錯誤はできればしたくないし、結果が失敗だったということをなんとか避けたい。そんな逃げの考え方が残念ながら見え隠れしているように私には思えます。それでは新しいことが何も始まらないから、結局何も失敗しない。まさに無風。
本当の先進校というのは、研究を重ね、失敗を無数に重ねているはずです。だからこそ本当に洗練された実践ができている。表面だけ真似ても決して洗練されないんですよ。失敗が悪いのではなく、失敗をしないことが悪いのです。
DXに関しては、いつも言っていますが旧来からの学校文化とか学校ならではの価値観というものを、いったんリセットしてゼロベースで新築しなければうまくいかないのです。今までの流れを守ろうとすると、やりたいことが何もできなくなり、結局デジタル化で終わってDXに至らない。私は最初からこのことをずっと言い続けていますが、今日の協議会でも参加者の意見を聞いていると、結局ゼロベースは難しいという声が多い印象なんですね。これでは何も進みません。改めて、古い学校文化、校長への忖度、しがらみ、経験値、そういったものをいかに捨て去るかが、まずはDXの第一歩だなと痛感しました。そして、それは校長が腹をくくるしかない、ということも再確認。いつまでもDXが進まないのは、先生方の問題もありますけれど、結局は校長の姿勢が明確でないからそうなるのです。校長がグイグイと先陣を切って躊躇無くDXを進める気概を見せないと、先生方はついて来ませんからね。
もう一つ感じたことは、上記と重なりますがDXとは「過程を充実させる手段だ」ということです。結果はすべてアナログなのです。DXが果たす役割は、アナログな結果に至るまでの検討過程を、アナログでは到底フォローできないようなコアなデジタル情報で固めて、子どもの思考力や思慮深さを柔軟に育てることに資するということに尽きるわけです。ですから、学びのDXによってこんな成果が出ました、という言い方よりも、学びのDXによってこんな人づくりができました、というべきであって、そこにフォーカスした指導でないとデジタルに踊らされるだけだなと思います。要するに、クラウドはアーミーナイフであるべきだというイメージです。何でもできるツールだけど、それをどう使えばいいのかを考えるのは人間。ですから、以前も書きましたが私は学びのDXの中にDXer育成も含まれるべきだとずっと思っていて、子どもたちが自律的にDXを進められるレベルまで高めないと、ただタブレットを使いましたということで終わると考えています。与えられたDXから、自律的なDXへの昇華。ここまでを目標に据えないと、あっという間に今やっていることは陳腐化します。そういう、リアルタイム感がある学びのDXをどう実現するか。これが羅臼高校の次なる課題です。
前回紹介した見学旅行におけるクラウド活用は、その意味でかなり示唆に富む実践だったと私は自画自賛しており、これを発案した学年主任は天才だと思っています。日常的にDX視点で物事をとらえていないと、何をDXするかという発想に至らない。今いちばん難しいのは、ここです。発想力。GWSの使い方なんてどうってことありません。そこが難しいのではなく、どの部分の何にクラウドを適用していくのかということが難しいのです。そしてそういう発想力は、研修を受けた程度では身につかないんです。教員自らが意識して発想する姿勢を持たない限り、いつまでも与えられたDXレベルで留まります。
そう考えると、実は一番難しい課題が、個々の内面の意識の問題、すなわちアナログトランスフォーメーション、AXなんですよね。DXの前に必要なKX、AX。非常に奥深く大変ですが、やりがいのある仕事だと私は思います。これらを同時多発的にマルチタスクで制御していくことが、今の校長に求められていると思います。DXを経営戦略の柱に据えるには、同時にKXとAXも据えないと始まりません。
今やっているDXは、基本的にはGWSベースのものです。コンピュータにあまり詳しくない人でも簡単に使えるGWSで学校のDXを進めなさい、ということ。これが何を意味するかというと、校長や教職員が「ICTは苦手でよく分からない」と発言することが、もはや許されないということです。簡単ですからねGWSは。やるかやらないかの問題です。やれませんという言い訳はもうできません。
まさに、勝負しないと始まらない。そんな気持ちにさせられる協議会でございました。
55歳となった今日、これはGO GO(進め進め)という天命だろうと、勝手に思っております😁
R6(2024).12.18 北海道羅臼高等学校長 古屋順一