ある日、Yahooで何か面白い記事はないかな、といろいろ見ていると、標題の「主体性を阻害しうるリーダーのマインドセット」という言葉が出てきました。そこには、こう書かれていました。
・失敗を避けたい欲求(失敗したらどうするつもり?/この仕事がうまくいかなかったら私が困る)
 ・コントロールできなくなることへの恐れ(知らないところで勝手に進められたらどうしよう/想定外のことが起きたら対応する自信がない)
 ・立場が揺らぐこと、立場を失うことへの不安(メンバーが言うことを聞いてくれなくなるかもしれない/なめられたら今後やりにくくなる)
 ・自分の弱さを見せたくない感情(リーダーたるもの完璧でなければならない/うまくやらないと恥ずかしい)
 ・メンバーに対するバイアス(あの人にプロジェクトリーダーは任せられない/あの人は新人だから仕事の話を理解できない)
出典が分からなくなってしまい恐縮なのですが、まさに私が長年感じてきたことそのもので、ドンピシャな言葉です。私はあちこちで「KX(校長トランスフォーメーション)」を叫んでいますが、その根底にあるのはまさにここに掲げられているようなことで、学校のリーダーである校長がこういったことを思ってしまうと、そこですべてがストップするんです。特にDXはそうです。
 何度も言っていますが、DXはデジタル化とは違います。業務のやり方を根底から変革し、ゼロベースで今の時代にマッチした方法を「新築」すること。これがDXです。中古住宅のリフォームではないのです。あくまで新築。ですから、従来からのつながりとか関連というのは、ともすればDXの敵になります。しかし、学校業界の慣習というのは、地中深くにまでガッツリと根付いています。悪い言い方をすれば、何か新しいアイデアを思いついて提案しても、たいていはできない理由を並べられて反対される。出る杭は打たれるという雰囲気の根強い学校が、まだまだ多いと思います。
  しかし、周囲の顔色を窺って怯えていては、何も始まりません。何も始まらないから何も変化が起こらない。つまり何も失敗しないということになりますよね。だから失敗しない=何もチャレンジしていないという意味にもとらえられます。私が一番やりたくない仕事は、そういう無風な学校経営です。だって、つまらないですから。失敗しようが何しようが、足引っ張られようが、非難されようが、とにかくやれることはどんどんやってみる。そして自分自身が失敗しまくる。そういう経験がないと、絶対にDXはうまくいきません。
DXによって見えてきたのは、みんなが事の本質に気づく、ということです。たとえば羅臼高校では職員会議の改革を大々的に進めているんですが、従来やってきたことを一切合切やめても、何ら問題がないんですよ。今までのやり方である「校長の会議資料事前決裁」「水面下での調整、根回し」「管理職だけの会議前打合せ」などを一切しなくても、会議はスムーズに回っちゃうんです。いやむしろ、そんなことをしない方がよほどいい会議になる、ということが分かりました。近々羅臼高校では部長主任会議も廃止しようと思っています。もはやDXのもとでは不要です。【追記:10月から部長主任会議は廃止となります】
 結局、本質を突き詰めるとシンプルになるということだと思うんです。働き方改革を実行するためには、シンプルに仕事をするということが必要不可欠です。複雑で面倒な、しかも手間ばかりで誰も得しない昭和型業務を残したまま、働き方改革はできません。そして、その種の昭和型業務が未だに存在する要因の大半は校長の旧態依然な価値観にある、ということです。
  実は、この「校長がまず変わらなければダメ」という考え方を最近よく目にするんですよ。私だけが吠えているわけではなく、少し安心しています。私は校長が偉いとは全く思っておらず、むしろ草を分け入って獣道を作るのが校長だと思います。DXもそんなイメージなんですよ。獣道を作る仕事。しかし、一度道ができれば、そこを通る人が必ず現れるんです。
そんな感じで、私としては少なくとも羅臼高校の先生方の主体性を阻害しないよう、最大限注意をしながらDXを進めたいと思います。
R6(2024).8.20 北海道羅臼高等学校長 古屋順一