組織運営にはトップダウン、ボトムアップ、ミドルアップダウンなどの手法があり、学校現場ではそれらがよく用いられていますが、それぞれに特徴があります。トップダウンは校長が強いリーダーシップをとり短時間で決定する手法、ボトムアップは現場に判断の権限を持たせてモチベーションを生みじっくり時間をかける手法、ミドルアップダウンは中間管理職がそれら両方を同時処理して効率よく組織を回す方法、とされています。
しかし、現実はどうでしょうか。トップダウンでうまくいっている学校を私は見たことがないですし、ボトムアップしている学校も見たことがない。ミドルアップダウンの学校は、教頭や副校長が板挟みで苦しんでいる。だいたい、どのマネジメントを使ってもあまりいい話は聞きません。これは、手法が間違っているのではなく、学校現場にはこれらのピラミッド型組織論の発想がそもそもあまり馴染まない、ということなんだろうと私は思います。新しいことをするときには、ある程度トップダウンで進めなければ一歩も進まない。でもそうすると教職員の反発を必ず食らう。反発されないような内容に削ると当初の目標からかけ離れて、やる意味が半減する。だから反発を避けるために会議の前に管理職がミドルリーダーへの十分な根回しをしなければならない。しかし、そこまでしても結局当初の想定からは縮小した妥協案になってしまう。多分、そういう苦しみを多くの学校で長年味わっているわけです。そうやって、いつまでたっても学校は変われない。その裏返しで、管理職向けの研修ではしきりに「組織マネジメントせよ!」とかけ声がかかる。これってイタチごっこだなとずっと思っていました。そもそも上下という概念でマネジメントするから、いいアイデアがなかなか表に出てこないし、何か決めても結局形式が強調され骨抜きになる。つまりやっても楽しくない。組織マネジメントとは言っても、結局トップダウンをかっこよくしただけに留まっていることもよくあります。私は、組織マネジメントをするなら今までと全く概念の異なる、面白い方法が必要だと考えていました。食堂で一番値段の高い日替わりメニューを注文するような、あのワクワク感がみんな日常業務の中に欲しいんですよ。だから、校長は常にワクワク大作戦を考えている必要があるんです。
現在私は校務DXを進めているわけですが、私の中にあるマネジメントのイメージは「リング」です。校長、教頭、事務長、教諭、養護教諭、事務職員、それら全員が上下のない水平な輪で結ばれ、お互いの立場から意見を出し合い、前向きなクリティカルシンキングをする。車座になって話し合うようにして問題点を洗い出し、みんなで少しずつ知恵を出し合う。形になったら最後に校長が決断する。これを私は勝手に「リング・マネジメント」と名付け、羅臼高校で取り組もうとしています。トップダウンもボトムアップも必要ありませんし、ミドルアップダウンのような煩雑さもありません。
その場となるのが、チャット。チャットはメンバー全員に議論の過程が見えます。いろんな意見が画面上に書き込まれ、たたき台がどんどん修正されていく。その過程を校長は見届けることができ、必要に応じて校長の意見も書き込める。つまり、決裁というよりは「稟議(りんぎ)」に近い。稟議の過程がそのまま校長判断の材料となります。複数の見方・尺度が出てくることにより、これを拠り所として決定すればコンセンサスも得やすく、しかも反省段階でも誰か一人のミスという体にならない。校長一人での決裁ではなく、幅広い立場からの客観的審査が可能になる。そしてそれは各人の「経営参画」につながる。
私は、なんとしても「ハンコ決裁」をやめたかったのですが、その理由がこれなんです。縦の柱1本しかないハンコ決裁ではなく、水平リングで稟議し、最後に校長が決定する。この方が、今風ですよね。「リング」で「リンギ」。なんだかちょっといいじゃないですか( ̄∇ ̄)。
私はDXとは上記のような、方法自体を全く別のスタイルに変えて、しかも面白くする、ということのために活用するものだと思います。面白くないと物事は続かない。特に学校現場ってそうだと思うんですよね。どんなに理想的な形を作っても、だいたい5年もすれば陳腐化するわけですが、それは面白くないからなんですよ。本当に面白いシステムというのは、永続的に存在できます。私の考えるリング・マネジメントは、GWSの無い時代では不可能でした。GWSを自由に使えるからこそ実現できた方法で、チャットを活用することが新しいのではなく、チャットじゃないとできないような決裁フローを作ることが新しいのだと思っています。今後、羅臼高校ではこのリング・マネジメントを育てて、もう少し上のレベルまで持ち上げようと考えています。
R6(2024).7.26 北海道羅臼高等学校長 古屋順一