GIGAスクール、DX、個別最適な学び・協働的な学び、働き方改革。新しいキーワードが矢継ぎ早に現れ、すべてに学校としての対応が求められます。しかも具体的な結果を出さなければならない。他方、従来からのルーティーン業務も止められない。本当は新しいことに挑戦してみたいけれど、担当者を決めるだけでも困難であり、できる範囲で考えるしかない。せめて、ICT機器を少しでも使ってDXに近づけることができれば御の字。
そんなことが多いですよね。DXを進めようとして一番障壁になるのが「変えたくても変えられない」という状況や意識。私自身もこれまで勤務してきた高校は、ほとんどがこの「変えられない」「それよりも先に〇〇しなければならない」「うちの学校には馴染まない・必要ない」「無理に変えずに今までの取組を続ければいい」「拡大解釈すれば古いままでも許される」という空気が充満していました。国の施策で新しい方向性が示されても、中身の刷新をせず手法のマイナーチェンジにとどまってしまう。マイナーチェンジできればまだいい方で、何も変わらずそのうちかけ声すら忘れ去られる。そんな光景を長年見てきました。
今のDXというのは、私はそういった古い学校的な考え方ではもう対応できない話で、いやでも進めざるを得ないことだと思います。たとえば今、「Amazonで買い物ができない」という町はありませんよね。どんなに田舎でも、注文して数日のうちに商品が届く。あれこそ典型的なDXです。これと似たようなことで、学校のDXが進められないというのは、もはやAmazon不可と同じことになりつつあると思います。特に郡部校はどこでも少子化による存続の危機に立たされています。黙っていては、いつか学校そのものが消滅しかねない。そんな中でDXはできません、とは言えない。以前のような「拡大解釈すれば古いままでも許される」というのが通用しないのがDXです。
となると、決め手は何か。実は技術よりも意識改革が先だと私は思います。私が真っ先に目をつけたのは、あちこちに書いていますが「校長のあり方改革」、つまりKX(校長トランスフォーメーション)です。KXを断行しないと、旧来からの学校のお作法(つまり校長への忖度)が頑として残り、DXに至らない。私は非常に強くそれを感じており、よく言われる打合せの省略とかペーパーレス化なども、校長の腹ひとつでDXまで行けるかデジタル化で留まるかが決まります。結局、校長が安心するための古くからの仕組みが残り続ける限り、DXは進まないんです。
私は、校長といえども時には判断を間違うし、失敗もする、ということはある程度仕方ないのではないか、と思います。失敗はしない方がいいのかもしれませんが、もし間違ったり失敗したときは、素直に謝ればいい。校長の言葉に二言はないとか、校長は失敗してはいけない(失敗なのに失敗をいつまでも認めず成功だと見せかける)、校長は細かいことに手をつけてはいけない、校長は流石だと思われる美しい仕事をしなければいけない、という価値観は、私は良いものだとは全く思いませんし、違和感すら感じます。校長が先陣を切って突き進んでもいいし、教頭をバディとして二人三脚で森に突入してもいい。先生方や生徒のために校長が鍬を持って汗をかいて道を切り拓いてもいい。そういう遊び心があってもいいじゃないですか。そうじゃないと、DXなんてとても実現できないと思います。トヨタ自動車の豊田章男会長が「トヨタイムズ」のテレビCMで語っていた「管理職は肩書きではなく、役割で仕事する」というのが、私の心にぐさっと突き刺さり、これを真似て私も学校経営方針にこの文言を入れています。まさにこれなんですよ。肩書きなんかどうでもよく、校長という名の分掌だと思って自分の役割をきちんと果たすことが大事だと感じています。
羅臼高校では実際にDXを走らせながら仕事をしていますが、日に日に職場の雰囲気が変わって来ていて、とても楽しいです。チャットやスプレッドシートはGWSの中では初歩的な手段であり、簡単に導入ができます。簡単なのに、インパクトは絶大ということが大切です。そして、DXを進めていくといつの間にか自分の頭の中もDX化されていくんですよ。たとえば私の場合、世の中のあれもこれも全部DXできそうだ、という見え方にすっかり変わりました。現在手がけている「羅臼町DX」にしても、校務DXができるなら地域DXもできるはずだ、とすぐに思いつきましたし、今はさらに範囲を広げた「圏域DX」みたいな構想を練っていて、いつか実現しようと画策しているところです。そして、リーディングDXスクールならぬ「リーディングDX教員・生徒」を育成したいとも考えていて、特に生徒が自らDXを思いつき実行する、ということをぜひやってみたいと思っています。DX生徒会とかDX部、あるいはDX学校祭なんてものがあってもいい。今までにない新しい学校の価値が、DXで見いだせそうな気がしています。もう少し山を登れば、何かが見えてくるに違いありません。
R6(2024).7.11 北海道羅臼高等学校長 古屋順一