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HASHIKAMI
このコーナーでは、宮城県気仙沼市に起きた東日本大地震についてや防災、減災についてなどの特別なコーナーになります。自然災害の恐ろしさを知ってもらうと同時に、その備えや豆知識なども紹介します。防災に日々意識して生活している階上中生ならではのページになっていると思いますのでぜひ、最後までご覧ください!
このコーナーでは僕、はっしーが仕切っていくよ。よろしくね!
突然だけど、みんなは気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に行ったことはある?僕はあるんだけど、その中でも印象に残っている話があるんだ。今日はその出来事について紹介するよ!
今回紹介するのは…、「杉の下地区の東日本日本大震災での被害」についてだよ。以前にも紹介したことがあるんだけど、今回は写真付きだから、見たことがある人も見ていって欲しいな〜。
まず、東日本大震災について紹介させてね。知っている人が多いと思うけど、2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0の地震と大津波で、日本の観測史上最大規模だったんだ。
次に杉の下地区の被害とその後についてだよ。「杉の下地区」とは、気仙沼市階上の地区なんだけど、1896年にあった明治三陸地震という地震の時は安全だった場所なんだ。だから、市の指定避難場所になっていたのが、杉の下地区にある赤色と白色でできた、この建物だよ。それに、この地区は年に数回、独自で避難訓練を行っていたほど、防災意識の強い地域だったんだ。
ここまで聞くと、東日本日本大震災でも生き残っている人が多いように感じる人は多いんじゃないかな?だけど、結果はあまりに違う。地区の3分の1の人口が亡くなってしまった。なぜ、こんなことになってしまったのか。それはね、避難所が安全じゃなかったからなんだ。確かに明治三陸地震では安全だった。だけど、東日本大震災ではこの場所は波に飲み込まれてしまった。大半の人が安全のはずの“避難所”で亡くなり、その他の場所で亡くなった人も含めて、「3分の1」というこの人数になってしまったんだ。
現在、杉の下は災害危険区域となり、住めない場所となったので、自治会は解散しました。その際に慰霊碑が建立されました。時間があれば、行って見てください。
この写真は、杉の下地区の避難所だった場所の近くにあるものだよ。ホヤボーやとともに津波がどこまできたのか書いてあるよ。杉の下地区のような悲惨なことが起きないように、このようなものが置かれるようになったのかもしれないね。
階上地区を探してみてもたくさんあったから、多分君の街を探してみても、たくさんあるんじゃないかな?
散歩するついででもいいから、何気ないところから、防災・震災を意識してみると、何かあったときの備えになっていくと思うよ!
最後までご覧いただきありがとうございました!いかがでしたか?
私たちこれを機に少しでも防災を意識して生活してほしいと思っています。このサイトで知ったことを身近な人に話したり、散歩のついでに避難経路を確認したり、ちょっとした“防災”が広がっていき、いざという時に、助かる人が増えることを祈っています。
本当に最後までご覧いただき、ありがとうございました!