パルス磁場中で純良金属の磁気抵抗を測る技術を獲得することは、我々強磁場業界の長年の懸案でした。一般的にある程度以上強い磁場を生成するには、瞬間的な大電流を電磁石に流す方法がとられます。強い磁場中での純良金属の磁気抵抗測定は、信号が小さいためノイズを平滑化するには長時間のデータの積算が必要であり、パルス磁場下での測定は難しいと考えられてきました。そのため、パルス磁場中での磁気抵抗測定は、微細加工によって信号を大きくすることが可能な試料か、あるいは半導体や半金属など元々の電気抵抗が高い物質に限られていました。
本研究グループでは、パルス磁場中での有線測定に特有な主たるノイズが、不均一な磁場を持つ電磁石やプローブ等の機械的振動によって引き起こされた電磁誘導であることを突き止めました。これにより、機械的振動を抑制できれば、純良金属の磁気抵抗を測定する場合でもデータの積算時間は従来考えられていたものに比べれば短くても良いことが導かれます。むしろ磁場発生時間が短くなることで抵抗測定中に試料に電流を流す時間も短くなるため、出力信号を大きくするために電流値を大きくしても試料の発熱量が抑えられるという利点が生まれます。また、電磁石自体もコンパクトになると機械的振動の抑制も容易になります。
一方、磁場発生時間を短くすることに伴い、これに見合う高速測定が必要となります。もし究極的にノイズやバックグラウンドが無視できるならば簡便な直流4端子法で問題ないのですが、現実には諸々の対策を施してもこれらは除去しきれずに残ってしまいます。直流法ではノイズやバックグラウンドの周波数帯域より早い時間応答はできないので高速測定には不向きです。そのため、数値位相検波法を用いた交流4端子法を採用することにより測定の高速化を図りました。( 原著論文を読む... 物性研ニュースを読む... 和文解説を読む... )
一般的に交流信号を精度よく復調するには位相検波法が用いられます。これは、元の信号が、
f(t) = A cos ω0 t + B sin ω0 t (式1)
で表されるときに、両辺にを掛け合わせると、三角関数の倍角の公式によりそれぞれ
f(t) × 2 cos ω0 t = A (1 + cos 2 ω0 t) + B sin 2ω0 t (式2)
f(t) × 2 sin ω0 t = A sin 2ω0 t + B (1 – cos 2 ω0 t) (式3)
が成り立つことを用います。一般的なアナログ的位相検波法では2倍波をローパスフィルタによって除去して定数部分を抽出しますが、これには非常に長い時間(多くの振動回数)が必要となります。他方、数値位相検波法では、変調周期のちょうど整数倍の周期で積分することで2倍波を除去することができます。後者では、原理的に変調周期の1倍や2倍の非常に短い時間で復調を完了することが可能です。ただそれと引き換えに、変調周波数以外の周波数成分を除去する性能は劣化します。
我々のグループは、復調に用いる積算周期数の違いによって、変調周波数以外の周波数成分が通過する割合が異なることを初めて見出し、この性質をうまく使うことで、短い積分時間内で従来の数値位相検波では除去しきれなかった周波数のノイズを除去できることを理論(図1)と実験(図2)で実証しました。この方法は複数試料の同時測定に伴う干渉効果の除去にも強力な方法になります(図3)。
また、本研究で示されている新しい信号処理技術は、パルス磁場中での輸送測定に限らず、他の研究分野のあらゆる交流測定技法において時間分解能の向上に役立つ可能性があります。
一般に、信号検出の時間分解能を上げるには変調に用いる周波数を上げるのが常道ですが、放送や電気通信のように法的に使用を許可された周波数帯域が限定されているなどの理由から安易に周波数を上げられない場合には、本研究の新信号処理方式はとりわけ効力を発揮します。例えば、この方式は放送・通信分野で現在使用されている直交周波数分割多重方式(orthogonal frequency-division multiplexing, OFDM)よりも短い時間幅の情報で、さまざまな周波数成分で構成される、いわゆるブロードバンド信号を復調できることが本研究で理論的に示されています。したがって、ビヨンド5G を含む放送・通信分野において、信号密度向上による通信の高速化・耐障害性・耐干渉性の改善が期待できます。また、医療分野では超音波診断装置、MRIなどのイメージング装置において高速化・高解像度化が期待できます。センサ分野では電子コンパス、加速度センサ、ミリ波レーダー、超音波ソナーなどの自動運転技術に必要なデバイスにおける感度、時間応答および混線防止性能の向上に資すると考えられます。
完全三角格子反強磁性体RbFe(MoO4)2は低温磁気秩序相で面内120°スピン構造をとることが知られています。この物質のc面内に磁場をかけるとP1~P5の5つの磁気相が順に現れ、そのうちP1相とP2相はc軸方向に自発電気分極を持ちます。この強誘電性は良く知られた「スピンカレント」、「交換磁歪」、「d-p混成のスピン依存性」のいずれのモデルでも説明できないことが判っていて、新たな機構を通じて三角格子の面内スピンカイラリティによって引き起こされているのではないかと注目されています。先の論文では、磁気対称性の議論によりこの物質で面内スピンカイラリティ由来の強誘電性が起きてもよいことを示しました。
c軸方向に自発電気分極が発生する為にはc軸をひっくり返すあらゆる操作に対して系が保存してはいけません。三角格子の120°スピン構造の場合においてスピンカイラリティに着目するならば、スピンカイラリティの並進対称性は格子のそれと等しいので図2の6通り(mz; 鏡映、S3; 3回回映、C2y; 縦軸廻りに半回転、 i; 反転、S6; 6回回映、C2x; 横軸廻りに半回転)のパターンを考えれば充分です。スピン(カイラリティ)を考慮せずに格子だけ考えた場合はiとS6の場合が元と重なるので、常磁性状態では自発電気分極がないことがわかります。これに対しスピンカイラリティと格子を同時に考慮した場合はいずれの場合も系を保存しないので、磁気秩序状態(120°スピン構造)では自発電気分極が現れて良いことがわかります。 (このときスピンカイラリティは mz、S3、C2yの場合にのみ保存されます。 )従ってこの物質においては磁気転移に伴ってスピンカイラリティに由来した強誘電性を発現してもよいと結論づけられます。
一方でこの物質の強誘電性の起源は、c軸方向の螺旋磁性のスピンヘリシティである可能性もまだあります。それはスピンヘリシティがiとS6の操作に対し保存しないためです。零磁場では面内スピンカイラリティと面間スピンヘリシティが強く結合しどちらも電場で配向するため、どちらが分極の主たる起源か判別できません。そこで我々は、磁場中では両者の大きさに差が出ることに着目し実験で決着をつけることにしました。
中性子散乱の実験(上図(c))ではP1−P2相境界で面間スピンヘリシティに大きな跳びがあることを示していますが、電気分極の測定結果(上図(a))は大きな変化を観測していません。従って、これらの結果は電気分極において面間スピンヘリシティの関与がほとんどないことを示しています。
三角格子反強磁性体のスピンカイラリティの概念は今から30年ほど前に東京大学の宮下精二先生らにより提唱されましたが、これまで巨視的に観測はされていませんでした。従って、この物質は三角格子の120°スピン構造における面内スピンカイラリティが巨視的物理量として観測された最初の例になります。また、磁場中でのスピンカイラリティの振る舞いは大阪大学の川村光先生らによって同じく30年ほど前に計算されましたが、本研究の結果(上図(b))はこの理論予測を初めて実験的に裏付けたものです。この研究成果はPhysical Review Letters誌に掲載されております( Phy. Rev. Lett. 113, 147202 (2014).)。本研究におけるパルス強磁場中の実験は横浜国立大学パルス強磁場実験施設において行なわれました。また、中性子散乱実験は日本原子力研究開発機構の日米協力事業に基づいて、米国オークリッジ国立研究所(ORNL)の広角中性子回折装置(WAND)において行なわれました。
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