研究紹介

ガラス化における流体輸送異常(揺らぎの相関構造の起源とその役割の解明)

(上)密度揺らぎの緩和時間の波数依存性。ガラス形成物質は"strong"と"fragile"に大別されることが知られているが、fragileガラスは密度揺らぎの緩和が拡散的(保存的)になるのに対し、strongガラスはその緩和が非拡散的(非保存的)である。(下)2次元fragileガラス形成液体の動的不均一性。緑色の粒子がある時間間隔において不活性な粒子を表す。

ガラス転移に伴う諸現象は、基礎から応用に至る幅広い分野で精力的に研究が行なわれてきた。100K程度の温度冷却に伴い、粘性係数(構造緩和時間)10桁以上も増大するこの劇的な現象を理解することは、物理の基礎研究に限っても、残された未解決の大問題であると言って過言ではないだろう。この問題の解明に向けられた多くの研究者による膨大な蓄積があるが、この20年ほどの間に動的不均一性と呼ばれる概念がガラス化を特徴づける鍵として期待されるようになった。これは簡単に言えば、次のようなものである:高温にある通常の液体状態では粒子は相関を持たず独立に運動しているが、低温の過冷却状態では、粒子運動の速い領域と遅い領域が不均一に混在し、それぞれの領域で協同的に運動する。さらに重要なことには、ガラス転移温度に向かって温度を下げるに従い、この協同運動に特徴的なサイズは増大する。

 これまで、粒子運動とその相関の解析に重点を置いた研究が主に展開されてきた。しかし、ガラスや過冷却液体を記述する基礎方程式も不明な現状では、このような協同運動の解析から流体輸送の異常に直接的にアプローチすることは難しい。ならば、いっそのこと、流体輸送や流体揺らぎそのものにもっとフォーカスしてはどうであろうか?ガラス化を定義するのは流体輸送の異常それ自体であるにも関わらず、従来、その時間・空間スケール依存性 すなわち、協同性との関係性に直にアクセスした研究はなかった。前置きが長くなってしまったが、私は近年、このような観点から、流体輸送異常の直接解析によって、ガラス化に伴うスローダイナミクスのメカニズムを理解することを目指している。 これまでの一連の研究で、流体輸送そのものが持つ階層性すなわちスケール依存性やその過冷却度との相関を明らかにしたが、これはガラス化の流体輸送異常において、なんらかの相関構造の介在が本質的に重要であることを示唆している。 このアプローチの強みは、粘性係数や拡散係数など流体輸送係数に現れる時間・空間スケール依存性が輸送異常のメカニズムそれ自体を直接反映していることにある。つまり、 流体輸送異常の顕著なスケール依存性の解析・考察から、ガラス化における協同性の本質や緩和メカニズムに迫ることが可能であると考えている。  

ガラス形成物質や粉体における非ニュートンレオロジー

剪断流動化の過冷却液体中に現れる異方的な大規模構造の発現:時間発展(上⇒下)に伴い、剪断バンドが顕在化する。(赤→青→緑→黄)の順に平均的な変位からのずれが大きい。このような異方的な動的構造の形成は非ニュートン性の出現に伴い顕在化する。

上記のようなガラス物質は温度や圧力などの環境の変化に対応して、液体的な過冷却(溶融)状態から固体的なガラス(アモルファス)状態まで、その流動特性を連続的かつ劇的に変化させる。このようなガラス形成物質の変形下の挙動については、今日までに材料科学の諸分野における膨大な実験研究の蓄積が残されているが、付随する高度な非線形性・非平衡性は系統的な理解を著しく困難にしている。特にシアシニング、塑性変形といった非線形レオロジー(非ニュートンレオロジー)現象は、シアバンド形成(変形の局在化)や、疲労・破壊など密度場の空間的な不均一化を伴う。このような構造形成、不均一化の空間スケールはミクロ(原子・分子)よりも十分に大きなスケール(メソ)であり、また材料強度や延伸率などのマクロ物性にも多大な影響を与える。そのため、これらの発生メカニズムを理解し、物性の予測・制御を可能にすることは、基礎的見地から興味深いだけでなく、成形・加工という実際の製造プロセスの現場においても重要な課題である。これらの問題における理論的理解の現時点での到達点はミクロな平均場理論であるが、測定不可能な「ミクロ」なパラメータの多さは定量的な予測を困難にしているだけでなく、空間相関の効果を無視しているため、不均一変形や変形下の構造発展のダイナミクスを記述することも難しい。

 このような問題に取り組む上で、これまでソフトマターの物理で培われてきた様々な概念が有用になると考えている。高分子、液晶、コロイド複合系などメソスケールに顕著な内部構造・内部自由度を有するこれらの物質系では、内部構造と変形の動的結合に由来してしばしば劇的な粘弾性現象(シアシニング、流動誘起相転移など)が発現することは本質的であった。従来、ガラス物理の理論研究はミクロからのアプローチが主流であったことは既述の通りだが、メソスケールでの構造と輸送現象の関係に着目すれば、ソフトマテリアル物理の研究で培われた概念やアプローチとの共通性を積極的に見出すことが可能であると考える。 

微生物系の集団運動に及ぼす(近接)流体力学的相互作用の効果

 アクティブマターとは、外界から何らかの形でエネルギー源を得て、それを内包する変換機関によって能動的な運動を引き出す物質群の総称である。広義には、食物を摂取し活動するマクロな生物もアクティブマターに含まれるが、通常、ソフトマター物理の研究課題としてアクティブマターを取り上げる場合、マイクロメートルオーダーの自己推進粒子を指す。バクテリアや藻類などの実際の微生物系はその代表例であり、また、粒子媒質境界に化学的・物理的特性を人工的に与え、化学反応などを利用して自己駆動するモデル系なども、この狭義のアクティブマターに含まれる。このように多岐に渡る物理系を対象とする今日のアクティブマター研究では、高分子、液晶、コロイド、膜などのソフトマター物理における基幹分野で長年にわたって培われた知識、概念、手法を総合的に駆使しながらの取り組みが展開されており、ソフトマター研究の最先端分野の一つであると言える。アクティブマターそのものの本質に根差した非平衡性により、従来の平衡系では見出しえない多種多様な集団運動や秩序構造が発現しうることが近年の実験的研究により次々に明らかにされてきた:「これらの物理現象の背後に未知の原理が存在しうるか否か?」、「真に新しいパラダイムが拓かれるか否か?」といった根源的な問題に対する解答は現段階において判然としないが、構成要素そのものが能動性を有するアクティブマターの新奇性は、単なるソフトマター物理、あるいは物性物理の一研究分野という枠組みを超えて、非平衡統計物理や生物物理などの学際領域に展開する新しい学問分野を創出しうる可能性を十分に持つ。  

 流体中に分散して存在する微生物系ではその媒質である流体を介した相互作用(=流体力学的相互作用)がその輸送、レオロジー特性を理解する上で重要な鍵であることが期待されてきた。生物に本質的なアクティビティに由来する運動は、それ自体の運動量自由度だけでなく、常に流体の自由度を励起しており、微生物の位置・運動量自由度は流体場の自由度と不可避的に結合する。この動的結合の効果を理解することは、複雑な非平衡現象を理解するうえで必要不可欠なものであろう。 手始めに、微生物の泳動メカニズムの基本的特性を備えたミニマルモデル系の系統的な数値実験により集団運動に与える流体力学的効果の一般性、任意性の別を検討することを行っている。