さて,下にある「ボタン」を触って欲しい.先に,言えば,触ると1秒だけ,「塗り絵」が表示される.その色をじっとみて覚えてほしい.あっという間だから.すると,塗り絵は消えて,色が消える.そして,質問されるはずだ.「色はなんでしたか?」と.
さて,矢印のついた場所の色,覚えていますか?慌てて,ボタンを触れて解答を見てもいいけれど,じっと考えてほしい.これは少々難しいと思う.なぜなら,ヒトも動物にも,記憶として覚えるには限度があり,その限度を超えているからだ.
しかし,6色のペンを渡されて,絶対に色を埋めてください,って言われたら,どうするだろう.全くない記憶.何を頼りに色を塗ろう?当てずっぽうに?
実際のところ,完全に当てずっぽうにはならない.なぜだろう.それは,当てずっぽうにヒトも動物も過ごしていないからだ.記憶が曖昧な時は,ヒトも動物も,サイコロを振るように決断しているわけではないからだ.例えば,全体を見てあのあたりは赤が多かったな,という漠然とした記憶を頼りに色を埋めるかもしれない.となりの色ぐらいは,はっきり覚えていて,その色とは違う色だったというような「違い」のような記憶を使って色を当てようとするかもしれない.あるいは,実は全くそんな記憶もないのに,「あの花弁は赤だった」という間違った記憶や錯誤を使って色を「確信して」決めるかもしれない.いずれの場合も,あらゆる判断は事前に持っている知識と,直前での経験とを照らし合わせて,次に起きることを予想する,ことをしている.
こんな形で,記憶から溢れてしまうものは,正確には再現できなから,なんとか補う.意識的にも無意識にも補う.さて,以下の右側が最初のお手本,左側がその再現の結果(の一例)です.どうだろう?大きく構造は変わってしまった.
初期の塗り絵手本:これは乱数で6色を割り当てている
塗り絵手本を見て記憶し,再現した塗り絵の例
その間違いの性質とは何か?その性質が立ち現れる巧妙な実験がある.「伝言ゲーム」をさせるのだ.つまり,最初のお手本から,間違いを含んだ再現結果が得られる.次は,その再現結果をお手本に,塗り絵をさせる.また次もその再現を繋いでいく.これを続けると,間違いの性質が累積することになる.さて,その累積結果はどうのようになるのだろう?
以下は,その伝言ゲームの結果に立ち現れた,息を飲むような結果です.次々に色が変化して,「薔薇」が出現した.
途中で,真っ青に背景を塗っちゃった人がいたり,それがまた興味深い.そのような例外処理は置いておいたとしても,現代の(計算論的)認知科学的解釈を加えると,これは,ヒトの持つ「事前知識」が,伝達している過程で出現した,と考える.事前知識というのは,得体の知れないものだが,この塗り絵を見て,多くにヒトが抱くであろう,「この花弁はこの色なのではないか?」と普段の経験から得られている色に関する知識,などのことを意味している.実際は,得体の知れない知識であるので,「この葉っぱと花弁は違う色であるべきだ」などの知識も入り込んでいるかも知れない.
ここでお見せしたのは,顕著な例で,少し「ズルをして」この場で解説をしています.実際は,全ての伝言ゲームで,薔薇らしくならなかった.この示した伝達では特別に薔薇が出現した.どのような条件があると,この薔薇が出現するのか,それはこれから調べるべき問題だ.まだ僕はその本質がわかっていない.
研究をしていると,昔やったものがいかに面白くたって,やったそばから次のテーマに心は向かってしまって,その次,その次,って次のことが頭に浮かび,昔のことをあまり覚えてないことが多い.だから,あまり振り返って言葉にまとめたいと思える研究というものは,人生の中で多くない.とても限られているような気がする.この研究は,やっていた時期の前後で色々な思い出があり,息を飲む結果を目にして多少の思い入れがあり,まとめておいた.
表象が立ち現れる,言葉を超えて立ち現れるような,そんな世界がとても見事で素敵だ.
この研究から.
Iriguchi, M., Kikuchi, S., Morita, T. Koda, H. Exploring the Emergence of Organized Colouration in Paintings Through Cultural Transmission. Human Nature (2026). https://doi.org/10.1007/s12110-026-09512-5