研究内容
research

 分子間相互作用我々の目で直接観測できませんが、豊かな未来社会の基盤となる重要材料の設計において必ず考慮しなければならない重要因子です。本研究室では、コンピューターを利用した第一原理分子シミュレーションにより分子間相互作用を、その物理的期限にまで遡った解析を行っています。一分子の電子状態制御を超える「分子間の相互作用の制御」をキーワードに据え、物理化学数学情報科学・生物学の知識と技術を駆使することで、種々の機能性材料分子集合体の凝集物性)の理論設計に挑んでいます。

熱力学物性第一原理的予測への挑戦

◯有効フラグメントポテンシャル分子動力学法(EFP-MD)の超臨界流体への適用

 EFP 法はフラグメント小分子の電子状態計算の結果から、何ら人為的なパラメーターを使わずに任意の分子間相互作用を高速評価する手法です。本研究室は、超臨界 NH3 を例とした EFP 分子動力学シミュレーションを実施し、ns(ナノ秒)オーダーを超える超臨界流体の長時間ダイナミクスを、世界で初めて第一原理的に追跡することに成功しました。超臨界状態では、溶液はミクロに不均一な構造をしています(密度揺らぎ;下図参照)。周辺環境の違いにより、倍近く双極子モーメントが異なるものも存在することも分かりました。EFP-MD シミュレーションでは、超臨界流体の動的物性(拡散係数)も半定量レベルで予測することができます。

図  圧縮性/超臨界 NH3 の溶液構造(世界初の超臨界流体の ns オーダーの第一原理分子動力学計算結果)

 各球は NH3 分子。色は孤立した NH3 一分子からみてどれだけ双極子モーメントが増減したかを示す。超臨界流体中では、流体を構成する各分子の電子状態が分子間相互作用により大きく揺らいでいることを世界で初めて示しました。超臨界流体は、わずかな圧力・温度変化でその特性を大きく変化させることができ、分離・抽出分野で注目されています。超臨界流体物性を理論的に理解し、制御できる可能性を拓きました。

 本研究は 2018 年度 東工大 TSUBAME グランドチャレンジプロジェクト「超大規模第一原理有効フラグメントポテンシャル分子動力学計算による超臨界流体の熱力学物性予測への挑戦」および JST さきがけプロジェクト支援下実施されました。

機能性液体の
マテリアルズ・インフォマティクス

◯電子状態インフォマティクスによる排ガス分離/回収液体の迅速探索

 イオン液体(IL)は、有機または無機のカチオンとアニオンで構成される不揮発性で非常に安定した溶媒です。ILはガス分離材料として利用できるため、環境化学工学的に魅力的な機能性液体として期待されています。 本研究室では、溶媒効果理論(COSMO-RS)を使用して、数万種類の IL に関して工業排ガスに含まれる 15 種類の気体のヘンリー定数をデータベース化し、ガス分離に適したILを機械学習的に予測する基盤を構築しました。 一連の作業を通じて、イオンの幾何学的構造だけでなく、イオンの電子構造も IL のガス吸収能力を高精度予測するために重要であることが分かってきました(電子状態インフォマティクス)。さらに、CO2 吸収性能に優れることが予測されたイオン液体を実際に合成し、精密なガス吸収測定までトータルに行うことで、イオン種を上手く選択することで、選択的なガス吸収能力をもつイオン液体を開発できることを、「情報化学・合成化学・計測化学の三位一体アプローチ」から実際に証明しました。

 これらの研究は、経済産業省 NEDO GIJST ACT-I プロジェクト支援下実施されました。

相対論的電子論による元素戦略への貢献

◯手軽で高精度な相対論的量子化学計算を可能にする手法の開発

 触媒・発光材料などの我々の生活を豊かにしてくれる機能性分子には、しばしば遷移金属・ランタニドなどの重元素が使われます。しかし、それら重元素の多くは希少であり、その機能を如何にして安価な元素で置換えていくかは未来社会を切り拓くために重要な課題です。重原子中の電子状態の支配方程式は、「非相対論的 Scrödinger 方程式」ではなくより複雑な「相対論的 Dirac 方程式」になることが知られています。

 本研究室では、カナダ・アルバータ大学 Klobukowski グループと共同して、相対論的電子状態計算を精度を落とさずに高速化するための近似計算法「相対論的モデル内殻ポテンシャル法MCP; Model Core Potential)」を開発・公開とその応用による機能性分子設計に取り組みました。本グループが開発した MCP 法は、様々な相対論的内殻省略近似法が提案されてきた中で、「系統的にレベル制御された(correlation consistent な)全電子計算の結果得られる原子価一電子軌道を正確に再現するように決定されて」おり、周期表上の任意元素を含む系について、実用的な量子化学計算を可能にするものです。


◯相対論的電子論の触媒化学への応用

 遷移金属元素は、自身の電子状態を巧みに変化させることで、種々の化学反応を効果的に進めてくれる触媒として働くことは広く知られています。しかし、良触媒特性を示す元素は、所謂、レアメタルであることが多くその使用量の減少、あるいは、同等の機能をユビキタス元素(ありふれた元素)で置換していくことが、元素戦略的に重要です。

 本研究室は、原子の数で大きく触媒特性を変化させる「サイズ選別された遷移金属クラスター」について、触媒能を支配する電子状態揺らぎの調査を行っています。例えば、下図には代表的な例として、白金クラスター Pt13 の幾何構造とエネルギーを相対論効果を加味した第一原理分子動力学シミュレーションで求めた結果を示しています。simulated annealing の結果、その最安定構造は予想に反して、icosahedral 対称性が崩れた無定型な構造であることを証明しました。また、この非対称性により、当該クラスターがもつ非常に高い酸素還元触媒能の起源になることも同時に解明され、典型金属と合金化することでその揺らぎを制御することができることを予見しました。

図 白金が13個集合して出来上がる酸素還元触媒能をもつクラスター Pt13 の構造とそれらの相対エネルギー。

 本研究は JST CREST プロジェクト支援下実施されました。感謝申し上げます。

◯相対論的電子論の有機 EL 発光材料の色劣化に関する検討例

 相対論的モデル内殻ポテンシャル法MCP; Model Core Potential)では、全電子計算に匹敵する精度を、大規模なリアル分子系の計算で実現できます。本研究室は、平面型 Pt(II) 錯体を用いた有機 EL デバイスが駆動により色劣化してしまう要因として、励起状態複合体(エキシマー)を形成することを、相対論的量子化学計算の応用により証明しました。

生物量子化学

◯遺伝子治療応用が期待される亜鉛フィンガーの DNA 認識能力解析

 一般に、量子化学計算は精密に分子間相互作用を評価できる反面、その計算コストは系のサイズに対して急速に増加することが問題になります。本研究室では、「大規模分子も小分子が相互作用して出来上がった複合体である」と捉えることで大規模系の精密量子化学計算を可能にする手法:フラグメント分子軌道法(FMO)に基づく生物量子化学シミュレーションを行っています。

 下図は、本研究室が実施した生物量子化学的研究の一例です。遺伝子治療にも使われる亜鉛フィンガータンパク質がどのようにして DNA 中の特定アミノ酸残基配列を認識しているのかを FMO 法を用いて解明しました。本研究により、ZF の DNA 認識能力の発言には、従来 DNA 認識領域として知られていなかった BR1/2 領域が実は重要な DNA 認識領域であることを定量的に示しました。FMO 法と上述の電子状態インフォマティクスを連携すれば、未知の疾病に対する迅速で精密な創薬指針を提示できる可能性があり、そのような研究を今後も継続します。

上:遺伝子治療にも用いられる zinc finger タンパク質(ZF)と ZF-DNA 複合体の構造。
下:FMO 法による ZF(変異体含む)-DNA の相互作用マップ。
      DNA 認識能力が下がる変異体 (b)-(d)では BR1/2 領域の引力相互作用が弱まっていることが分かる。

cis/trans-platin の抗腫瘍活性の違いに対する新知見

 cis-platin は大腸癌等に処方される抗腫瘍活性をもつ白金錯体系の薬剤分子です。cis-platin は有効な抗癌剤として用いられる一方、その幾何異性体である trans-platin は殆ど抗腫瘍活性を示さないことは、広く知られています。従来これらの違いは、cis-platin が癌 DNA に二本の結合で cross link できるのに対し、trans-platin は cross link できず、結合力が弱いためであると説明されてきました。しかし、trans-platin と DNA の複合体の存在が、X線結晶構造解析で証明され、この説明には修正が必要な状況でした。

 本研究室ではこの問題に対して、相対論的フラグメント分子軌道-分子動力学法(FMO-MD)を用いた解析を試みました。その結果、cis-platin では Cl 配位子周辺の水和水の数が trans-platin に比べ平均 1.4 分子程度多く、DNA と複合体を作る際に必要となる Cl アニオンの解離が起こりやすいことを示しました。