大学院研究年報・論究
▶ 中央大学 学術リポジトリ 大学院研究年報 文学研究科編
哲学専攻関連の最新掲載論文
《中央大学大学院研究年報》53号 文学研究科篇(2023)―2024年2月20日発行 new!
レヴィナス『全体性と無限』における「私の死」について(高野浩之)
レヴィナスの「イリヤ」とレヴィ=ブリュールの「融即」(小川真未)
《論究》No.53, No.1 文学研究科篇(2021)―2021年3月発行
ガダマーの芸術思想における「像」概念――「形象性」をめぐって(土方尚子)
中央大学『大学院研究年報』文学研究科篇―哲学専攻関連論文タイトル
53号 「レヴィナス『全体性と無限』における「私の死」について」高野浩之(2023)
53号 「レヴィナスの「イリヤ」とレヴィ=ブリュールの「融即」」小川真未(2023)
52号 「レヴィナス『全体性と無限』における「わが家」と「表象」―「内部性」と「外部性」の具体的連関について―」高野浩之(2022)
48号 「ショーペンハウアーによるカントの義務論批判の妥当性――『実践理性批判』を主な手がかりとして」吉田卓司 (2018)
46号 「断絶の形而上学――グレアム・ハーマンのオブジェクト指向哲学における「断絶」と「魅惑」の概念について」飯盛元章(2016)
44号 「太宰春臺の老子受容について」田尻尚文(2014)
44号 「パスカルの『賭け』の必然性と理想の探求の合理性」宮崎信嗣(2014)
44号 「ホワイトヘッド哲学における知覚論――象徴的関連付けにおける命題の役割」佐藤陽祐(2014)
42号 「アリストテレスの感覚論――共通感覚対象の感覚と偽の問題について」太田稔(2012)
42号 「ホワイトヘッド的二元論の正当化――充足(satisfaction)の二面性(duality)をてがかりとして」清水友輔(2012)
41号 「逃れて行く自己を追いかける――絶対無の場所の間批判的解釈」佐藤陽祐(2011)
41号 「荻生狙徠の政治思想――四書注釈を中心として」田尻尚文(2011)
41号 「力への意志の時間的性格」大山真樹(2011)
41号 「存在するとは別の仕方で――レヴィナスの全体性批判について」飯盛元章(2011)
41号 「宇宙の自己表現としての哲学――『心理学原理』の自我論を手がかりとしたジェイムズ哲学の方法の検討」大厩諒(2011)
40号 「山鹿素行の日用と学問」石橋賢太(2010)
40号 「パスカルの賭けの必然性をめぐって――「船」の解釈」宮崎信嗣(2010)
40号 「純粋経験の二面性――その統一の試み」大厩諒(2010)
39号 「『日本霊異記』における死者の身体――冥界訪問説話を中心に」尾留川方孝(2009)
39号 「ホワイトヘッドの「命題的感受」について」佐藤陽祐(2009)
39号 「ホワイトヘッドの形而上学における<新しさ>の解釈に向けて」飯盛元章(2009)
38号 「反省的判断と仮説的理性使用のあいだ」齋藤宜之(2008)
38号 「神の力能と懐疑――永遠真理創造説と欺く神の関係について」安齋光志(2008)
37号 「『人知原理論』における「精神と神の形而上学」再構築のために(4)――『アルシフロン』第7対話における「自然の創造主の言語」説について」竹中真也(2007)
36号 「ベルクソンに継承された批判哲学の局面」大井英晴(2006)
36号 「カント実践哲学における形式主義の帰結」齋藤宜之(2006)
36号 「『人知原理論』における「精神と神の形而上学」再構築のために(3)――『アルシフロン』第4対話における「自然の創造主の言語」説について」竹中真也(2006)
35号 「『人知原理論』における「精神と神の形而上学」再構築のために(2)――バークリーの記号理論」竹中真也(2005)
34号 「ピュロニストの生き方について――フレーデ=バーニェト論争を中心にして」葛西大輔(2004)
34号 「『人知原理論』における「精神と神の形而上学」再構築のために(1)――「序論」を中心にして」竹中真也(2004)
33号 「『物質と記憶』におけるイマージュについて 」照屋裕美子(2003)
33号 「趣味判断における主観と他者の問題」齋藤宜之(2003)
32号 「欧陽脩の『詩本義』について――「人情」を中心に」土屋裕史(2002)
32号 「『アドラーの書』における「啓示」の概念をめぐって」鈴木保早(2002)
31号 「意味論的還元という誤謬――『論理学研究』第一研究における表現と意味の問題」寺本剛(2001)
31号 「『畏れとおののき』における「倫理的なもの」の概念をめぐって――アブラハムは本当に正当化されないのか」鈴木保早(2001)
31号 「K・ゲーデルの数学的実在論――不完全性定理と連続体問題の哲学的帰結について」望月正彰(2001)
31号 「慰みとしての著作――プラトーン『ファイドロス』篇に関する一考察」八木英之(2001)
30号 「フッサールの真理論――「ものと知性の真の一致」をめぐって」寺本剛(2000)
30号 「『考説』と『狂筆』――伊勢貞丈の未紹介資料の解題と翻印」須佐俊吾(2000)
29号 「フッサールの「ノルマリテート(Normalität)」について」岡山敬二(1999)
28号 「フッサール他我構成論のパラドクスについて――『デカルト的省察』第五省察、「固有領域の還元」と「付帯現前化」をめぐって」岡山敬二(1998)
27号 「ハイデガーの「気遣い」の成立背景について」平田裕之(1997)
26号 「中庸についての一考察――『孟子』と中庸との関係から」土屋裕史(1996)
26号 「明治以降の道徳教育――「修身」と「道徳」の目標をめぐる考察」中村康英(1996)
26号 「Die Techne und das gute Leben――Vom sokratischen Modell des Techne-Wissens zur platonischen Dialektik」Liederbach, Hans Peter(1996)
25号 「ホモウーシオスについての一考察――イレナエウス、ヒッポリトス、オリゲネスに見るホモウーシオスの概念を中心にして」中村康英(1995)
24号 「初期B.バウアーにおける歴史哲学」小須田健(1994)
24号 「『論理哲学論考』における「言語の限界」」孫力平(1994)
24号 「「時間性」の背後にあるもの」平田裕之(1994)
24号 「オリゲネスにおけるホモウーシオスについて」中村康英(1994)
24号 「玄語図を読む」加藤響子(1994)
22号 「言語ゲームと『哲学探究』」瀬嶋貞徳(1992)
22号 「メルロ=ポンティと自然の概念」小須田健(1992)
21号 「シェリング、ヘーゲルにおける記憶と想起」吉田達(1991)
19号 「哲学的反省と知覚の弁証法」小須田健(1989)
19号 「自我の現実存在」永山将史(1989)
18-4号 「<解釈学>的現象学の射程」福田收(1988)
17-4号 「ヘーゲル『人倫の体系』における社会形成の論理」高橋義人(1987)
16-4号 「シェーラーと「知識」の概念――哲学的人間学へ向かって」太田裕喜(1986)
16-4号 「ライプニッツの物体概念――アトミズム批判にそくして」橋本由美子(1986)
16-4号 「言語考察の循環――ウィトゲンシュタインの転換点」永山将史(1986)
16-4号 「ハイデッガーにおける共―存在の問題――作品と人間」吉次基宣(1986)
15-4号 「弁証法的現象学の冒険――マルクーゼの「史的唯物論の現象学」をめぐって」高橋義人(1985)
15-4号 「ハイデガー哲学に於ける真理の本質と本質の真理」福田收(1985)
15-4号 「ハイデッガーの芸術論について――哲学と芸術の間へ」吉次基宣(1985)
14-4号 「言語と沈黙(2)――ハンソンとナイサー」本宮輝薫(1984)
14-4号 「道元の嗣法観」半田栄一(1984)
13-4号 「ライプニッツ哲学に於ける個体の在り方について――個体的見地に即しての一考察」橋本由美子(1983)
11-4号 「カント哲学における反省の機能」村岡晋一(1981)
11-4号 「構造と主体――メルロ・ポンティの言語論に即して」本宮輝薫(1981)
11-4号 「デカルトにおける言葉と知覚」財津理(1981)
10-2号 「道元における修行と悟り」半田栄一(1980)
10-2号 「「最も不幸なる者」の時間性――キルケゴールの『あれか、これか』から」田代擁子(1980)
9号 「デカルトにおける時間について」財津理(1979)
6号 「ニーチェにおける無の思想」隈崎美佐子(1976)
5号 「親鸞における恩思想」新保哲(1975)
4号 「美と崇高」黒川幸史(1974)
中央大学大学院『論究』文学研究科篇―哲学専攻関連論文タイトル
53/1 「ガダマーの芸術思想における「像」概念――「形象性」をめぐって」土方尚子(2021)
52/1 「永遠性を経験する身体――スピノザ『エチカ』における身体の変容と精神の永遠性の問題の一側面――」平澤衛(2020)
51/1 「ヘカベの舟――「和解の暴力性」についての哲学的考察」竹生修平(2019)
51/1 「誠実さの歴史的構成を扱うニーチェの歴史哲学――道徳の支配のもとからいかにして道徳を批判する真理認識が成立するか」大山真樹(2019)
50/1 「レヴィナスのエロスの現象学における未来の時間性」髙野浩之(2018)
50/1 「価値評価と道徳とを倒置する遺されたニーチェの定式――運命愛ならざるものとしての価値と道徳」大山真樹(2018)
49/1 「アリストテレス『デ・アニマ』の感覚論における作用の受動の問題」太田稔(2017)
49/1 「ニーチェはアフォリズム書きか――数字から見るニーチェのアフォリズム」大山真樹(2017)
47/1 「ジェイムズ自我論の批判的検討とその射程――暖かみと記憶の特性をとおして」大厩諒(2015)
46/1 「アリストテレス『デ・アニマ』における表象論解釈へ向けて――427a17-427b6におけるアリストテレスの先行学説批判の解釈」太田稔(2014)
45/1 「形而上学とその影――『過程と実在』のふたつの読み方について」飯盛元章(2013)
45/1 「ニーチェ『曙光』の道徳批判における時間の概念」大山真樹(2013)
45/1 「歓待する自己へ――レヴィナス『全体性と無限』享受論における「女性的なもの」に至るまで」髙野浩之(2013)
42/1 「『往生極楽記』における「異相往生」の内実――『往生要集』および『霊異記』との比較から」尾留川方孝(2009)
41/1 「ハイデッカーの良心の呼び声について」芳賀恵(2008)
39/1 「ベルクソンにおける個体性の概念について」大井英晴(2007)
37/1 「差異の問題への序――ベルクソン ‐ ドゥルーズにおける差異の概念構成に即して」大井英晴(2005)
37-1 「悪しき行為における自発性の問題――アリストテレス倫理学の一側面」八木英之(2005)
35/1 「ベルクソンにおける思想と概念」新海太郎(2003)
35/1 「原徳斎『先哲像傳』自筆稿本の故実家伝――伊勢貞丈の未紹介資料の解題と翻印(三)」須佐俊吾(2003)
34/1 「『家流問答』と『つれゝゝ草の大意』――続伊勢貞丈の未紹介資料の解題と翻印」須佐俊吾(2002)
33/1 「フッサールモナドロギー再考――生活世界概念の一解釈」岡山敬二(2001)
33/1 「フッサールにおける「超越」の問題」寺本剛(2001)
33/1 「言語の存在様態と歴史的アプリオリ」大井英晴(2001)
32/1 「フッサール間主観性論における原初性と独我論の問題」岡山敬二(2000)
31/1 「可視性/仮死性――ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』について」大井英晴(1999)
31/4 「「連合」と他者経験」岡山敬二(1999)
30/1 「日本近世思想史研究の問題点と伊勢貞丈」田中俊吾(1998)
30/1 「パルーシアとテクネーの圏域」矢島久隆(1998)
29/1 「ウィトゲンシュタインと「形式」の概念」瀬嶋貞徳(1997)
25/1 「ヴィトゲンシュタインの「確実性」について」中村昇(1993)
25/1 「『精神現象学』の二つの仏語訳をめぐって――「良心論」を中心に」吉田達(1993)
24/1 「オリゲネスの三位一体論」中村康英(1992)
23/1 「クリプキの言語論」瀬嶋貞徳(1991)
22/1 「レンマ」永山将史(1990)
22/1 「「言語ゲーム」としての言語」中村昇(1990)
21/1 「方法概念としての「言語ゲーム」」中村昇(1989)
21/1 「『精神現象学』における自己確信の問題」吉田達(1989)
20/1 「春の潮の如くに―「論究」20巻の刊行によせて」高木友之助(1988)
19/1 「永久平和論再読――紛争と連合」上野俊哉(1987)
19/1 「『技術への問い』(ハイデガー)をめぐって」高橋義人(1987)
18/1 「書かれたもの――法の名で "ルソーの共同体"」上野俊哉(1986)
18/1 「被投的事実の重み――情態性と開示されるもの」福田收(1986)
16/1 「「吉本隆明」を読む――その戦争責任論を中心に」竹田之(1984)
15/1 「カントの「性質」のカテゴリーについての一考察――制限性を中心に」田代博司(1983)
15/1 「メルロ=ポンティにおける言語と沈黙(1)」本宮輝薫(1983)
9/1 [研究ノート] 「列子研究覚書――列子における虚をめぐって」山崎徹(1977)
9/1 [研究ノート] 「索の源泉――人間における「無限の思索」と「有限性からの思索」について」完戸昭夫/田代博司(1977)
8/1 「蓮如「御文」の研究――布教活動を中心に」新保哲(1976)
7/1 「『霊異記』に見える庶民の宗教意識」新保哲(1975)
Philosophy Course, Graduate School of Letters / Chuo University