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Device Art Symposium "The Relation Between Art and Objects"

Panel Discussion "The Relation Between Art and Objects"

「予感研究所・2006」 デバイスアート・シンポジウム

パネル・ディスカッション:「アートとモノの関係を考える」

2006年5月8日@日本科学未来館・みらいCANホール

草原:どうもありがとうございました。今、3人からそれぞれ自分のやられていることについて話をしていただいたのですが、この後もディスカッションをできればと思います。

実は、今日のサブタイトルを「アートとモノのあいだ」とつけたのですが、なぜこのタイトルにしたかというと、“モノ”って言う時に、プロダクトとマテリアルの両方があるじゃないですか。しかもそれらは関係もしていますよね。なので、そのあたりの話題を行き来しながら話ができたらと思ったのです。

もちろんアートというのは、作品を作る時には「どういうものを作りたいのか」というアイディアが最初にあって、それに相応しいマテリアルを選ぶのだけれど、でもプロダクトというのは、それとは違った意味での“モノ”ですよね。だからアートの“モノ”性と言った時、そこでは両方が引っ掛かってくると思うのですが、いかがでしょう?

4.1●プロダクトとしての“モノ”、マテリアルとしての“モノ”

八谷:今回の僕の作品(『Fairy Finder』)の場合、偏光フィルターなどを使った作品なのですが、その偏光フィルターというのはフィルムで売られていたりします。それをどういう状態でお客さんの前に出すのかというのは、かなり検討して、結果的にはガラスの業者さんに直径90ミリのコースター状態のガラスパーツを作ってもらいました。これは試作品なのですが、東急ハンズで買ってきたフィルムを僕がアクリル板に貼り付けたので、気泡が入っちゃったりしているんですね。あと、持った時の感触が、アクリルとガラスだと、ガラスの方が良かった。また、コースター自体を回転させたかったので(そうすると見える映像がネガポジに反転したりするのです)、だから実は今回、一番時間がかかったのは、そこだったのですね。

草原:適切なマテルアルを準備するのが大変だった、と。

八谷:はい。あと、今回の僕の作品は(センサー類は一切使っていないので)実はインタラクティブィティは全くないのですが、ただ小人を「探す」という行為自体がインタラクションの代わりになるので、その際、テーブル表面のガラスとコースターのガラスとの摩擦係数とか、実際にはそういうところを一番気にしました。だからここに来て一番最後にした作業も、携帯電話やiPodを磨くワックスみたいなものを買ってきて、それでガラスを磨いて滑りをよくすることだったりしました。つまり観客が手に取る、インターフェイスのパーツの選定に時間をかけました。

草原:先ほどの岩田先生のスライドでも出てきた「道具」や「モノ」へのこだわりというのが、我々に共通する視点としてあるのではないか、というあたりはどうでしょうか?

八谷:(コースターの素材を)ガラスにしたデメリットとしては、割れるということがありますが、たとえ割れても間にフィルムが入っているので飛散しないだろう、ということで……今回4枚のコースターをテーブルの上に置いてあるのですが、すでに2枚、割れているらしい(笑)。でも全部で20枚ぐらい用意しました。 ところで、今日は僕、毒舌になってもいいかな? という気がしたのですが……。

草原:はい、けっこうです。どうぞ。

八谷:ここの7階に展示されている他の作品は、逆にそういうところをかなり適当に作っているなあ、という印象が、正直ありました。

草原:「ここはもっとこうすればいいのに……」みたいな感じですか?

八谷:やはりエンジニアや工学者の人たちだけで作っていると、そういうふうになるのだろうか? みたいなことを感じました。たとえば児玉さんの作品は、やはり6年間かけて作ってきただけあって、観客が周囲にたくさんいたのですが、他の作品では説明する人だけがポツンと座ってるような作品もあって……発想はいいだけに、もうちょっと導入をうまく作ればいいのに、って思ったわけです。

草原:観客をどう誘いこむかアーティストが考えないといけないのに、工学系のアプローチが強かったり、あるいはそれだけが強調された作品だと、インタラクションがどういうふうになっているのか、係の人に説明してもらわないと、一見しただけではよく分からない作品もけっこうありますよね。

八谷:そうですね。ポスター展示そのもの、というのも、けっこうありました。

クワクボ:でも、ランダムになっちゃうインタラクションというのも、割りと美術系の作家さんがやりがちなことですよね。

八谷:今回の僕のインタラクションは、ランダムですよね(笑)。

クワクボ:たとえば児玉さんと僕は知りあってけっこう長いのですが、さっきの赤い彫刻も、かなり昔に見た記憶があって懐かしかったのですが、あれが児玉さんの作品だったということを、僕は今初めて知りました。

それで、それだけ長い年月を重ねてやってきて、そのたびに(作品展示の仕方が)よくなってきているのは、恐ろしいことですよね。今回の螺旋の『モルフォタワー』も、前にメディア芸術祭で見た時、僕はかなりショックを受けて、それまでにも児玉さんの作品はずうっと見ていたのに、あの螺旋で何か「ガーン」という衝撃があった。不思議なことに、閾値(しきいち)を超えちゃったんです。

児玉:私は八谷さんやクワクボさんよりもアート活動を始めたのが遅くて、その結果、成長も遅いということだと思うのですが……。

クワクボ:いや、(作品が)体の一部になってきてしまったのだなぁ、という気がしました。

児玉:それは自分でもそういうふうに思います(笑)。素材と触れ合っているうちに、だんだんそうなります。私は磁性流体という素材から、漆とか墨汁のようなウェットな質感を連想するのですが、最近は携帯電話とかも表面の手触りを追求したものが出てきているじゃないですか。そういう質感の良さが、共にいると、だんだん分かってくるみたいなことがあります。あと、私はプログラミングは独学なのですが、コンピュータ・ソフトのインタラクションの部分が未熟だなぁ、と自分で思っていて、例えば液体の動きをどういうふうにすれば、観客がもっと身を乗り出してくるか、みたいなタイミングについて、ようやく最近分かってきた感じですね。

4.2●感動の「閾値を超えさせる」ための工夫

八谷:さっきクワクボくんが「閾値を超えた」って言いましたが、それはすごく適切な言葉だと思います。アーティストというのは、自分の作品をお客さんが観た時、その閾値をどう超えさせるか(レベルオーバーするところをどうやって起こすか)を、一生懸命やっている気がするので。

クワクボ:だからたぶん児玉さんの作品の場合、磁性流体を扱うという技術的な問題がポイントでもあるんだけれど、何か他人には成しえない部分の魅力がすごく大きくなってきていると思います。だから科学展示の要素がありつつも、それ以上のショックがあるというのは、そういうまだ一般化されていない開発を、身につけているのではないですか?

児玉:自分ではそれはよく分からないのですけれど、このあいだのデバイスアート・シンポジウムの時、たしか土佐さんが折り鶴の絵を出して、折り紙は正方形ですよね。でもそれを折り鶴の織り方を発明した人は「鶴でおじゃる」とか言いながら(笑)実演して、その時の「“折り”がアートだ」みたいなことを言われた記憶が残っています。

実は(私の作品の)螺旋の溝は、それに近いものがあるのではないかと、個人的に思ったりしています。というのも、どんなふうに形を作れば磁性流体が登っていくかというのは、実はけっこう微妙で、それは電磁石の強さの問題もあるし、斜面には重力がかかって引っぱられるから、上にきれいに上っていくのもけっこう難しかったりするのですが、その溝のつけ方みたいなものは、もしかすると「これさえ守れば、誰でも液体を上らせられることができる」というポイントがあるのではないかと思っています。

八谷:それをパブリック・ドメインみたいなものにするつもりは、あるんですか? あるいはクリエイティブコモンズみたいに「こういう手法でこうしたら、こういうものが作れます」みたいな。

「折り」ということで、このあいだ土佐君が言っていたのは、要するに彼は「製図にできる作品」みたいなことを考えていて「折り紙ってそれだ! って、このあいだ気がついたんですよ」みたいな。ハゥ・トゥの方法だけ残っていれば、誰でも再現できるみたいな話だったと思うのですが……それってけっこうクリエイティブ・コモンズみたいな考え方なのかも? と、僕はその時思ったのですけど。

児玉:まだ考え始めたばかりなので、公開するかどうか……今はそこまで考えを進めていなくて。2001年の《SIGGRAPH》で、私は磁性流体の作品を最初に海外に出したのですね。そうしたら非常に反響が大きくて、ワラワラと色んな国……カナダとかスペインとかアメリカとかその他の国で、磁性流体を使う、私の作品と似たような感じだけれどちょっとずつ違った作品群が現われてきました。それで、今“Magnetic Flude”(あるいは“Ferrofluid”)でGoogle検索すると、色々な作品が出てくるんですよ(笑)。いったいこれはどういうことなんだろう? と、私は日々興味深く観察しているのですが……。

クワクボ:率直に、それで腹が立ったりしますか?

児玉:いえ、なんか、そういう作品を見てみたいと思いますね。

4.3●サーフェイス・フェチ/ポストCG時代のテキスチャー

八谷:さっき児玉さんの作品に関連して、サーフェイス(表面)の話がいっぱい出たのですが、磁性流体を使って作品を作る人ってたぶんサーフェイス・フェチなんだと思いますよ。サーフェイスに対する人間の興味みたいなものが、たぶんきっとあるんじゃないですかね? すごく滑らかなツルっとしたものを見るとグッと来るとか、逆に怖いと思ったり、そういうことが人間の気持ちのファンダメンタルな部分にあるのではないかと思ったりしたのですが。

児玉:そういう意味では、岩田先生もサーフェイス・フェチなのではないかと、私は思ったりするのですが(笑)。違いますかね?

八谷:最近、ちょっと興味を持って、アフォーダンスという概念を最初に提唱したジェームズ・ギブソンの本を翻訳で読んだのですが、そのアフォーダンスの考え方の中にも、人間がものを見る時、サーフェイスや肌理のような感覚からスタートしているという話をちょうど読んでいたこともあったので、「ああ、サーフェイスか。ここでも!」とか思いながら、さっきの児玉さんの映像を見ていいました(笑)。アップになった時、ツルっとしているものって、白と黒のコントラストが激しいじゃないですか。だからアップの映像を見ると、なおさらゾクッとくるというか……。

クワクボ:あれはたぶん、ポストCGの作品だと思いますね。

草原:児玉さんが《SIGGRAPH》に『Protrude, Flow』を出した時、展示の仕方がすごくうまいと思いました。さっきスクリーンに映っていたように、ビデオカメラで磁性流体のアップを撮って、それをライブで大きく映し出していたじゃないですか。場所が《SIGGRAPH》だから、まず来場者はそれが目に入って、「あ、CGだ」と思ったでしょう。それってシミュラクルとシミュレーションみたいな話で、実際の物質のほうが“真”なのに、その映像を見るなり、そのシミュレーションであるべきCGの方だとみんな思ってしまったんですよね。それで実物を見て、余計に驚いた。

児玉:私はそういうことを少し考えつつ、実物とイメージを対比させながら、インスタレーションで展示することを何回かやっています。映像だけ見せると、やはりみなさん、CGだと思うみたいですね。

八谷:最初にCGが出た頃、「わぁ、ノイズが全くなくってツルっとしていて、超キレイ!」みたいな視点で僕は見ていたので、そういう観点でいくと、最近のすごくリアルなCGって、逆に魅力がないような気がします。現実と同じもの作っても、というか。

草原:油の表面のツルっとした感じとか、今でも現代美術などで使われていますよね。そういう滑らかさとトゲトゲのコントラストが、児玉さんの作品の場合、すごく面白いと思います。

4.4●二進数の空間を意匠登録できるのか?

草原:話はちょっと戻るのですが、先ほど児玉さんがあの作品を出してから、世界中で磁性流体を使った作品がたくさん出てきたという話がありましたね。私が最近ショックを受けたのは、クワクボさんの『BitMan』にそっくりなものが商品化されたじゃないですか。

クワクボ:それ、やたら最近よく言われるのですが、どの作品のことですか? 積み重ねられるやつ? みんなそう言うのですか、僕は全然似ているように思えないので、何とも……(笑)。

八谷:家に人が住んでいて、隣に行ったりするやつ?

草原:はい。四角い箱があって中にいる人がアニメーションで動いている、でもそのドットが大きくて、みたいな……。パッとあれだけ見たら、絶対に最初はクワクボさんの作品だと思いますよ。

クワクボ:まあ、強いて言えば、あれに類似した自分のアイディアが実現できなくなった、くらいで、あとは特に困ることもありませんね。そもそもドットの大きさや数があのくらいだと、だいたい同じ形になるでしょう。

八谷:8×8ドットだと?(笑)

クワクボ:もう一歩踏み込んでコメントしますと、ああしたブロック・オリエンテッドなモノって、世の中にけっこういっぱいあって、「似てる」とか言われますけれど、自分もその中のひとつだから……(笑)。

草原:そんなに気にならないものですか?

クワクボ:全然ならないですね。やたらと言われるのですが、実際似ていないと思うし、どうしたものかな……と。逆に、どこで「似ている」と主張できるんでしょうか?

八谷:裁判を起こしてみたらどうかな?(笑) このあいだ村上隆さんがナルミヤという会社を訴えて、4000万円ぐらい貰ったらしいですよ。

クワクボ:ちょっとねえ(笑)。

八谷:でも逆に言うと、村上さんの例は、彼の作品である『DOB君』がそもそもミッキーマウスが元ネタだったはずなんだけど、それはいいのか? みたいな気持ちに、みんななっているようなところもあるみたいですが(笑)。

クワクボ:パワープレイですね、そのへんは。

八谷:パワープレイというか、はっきり言うと僕は、実を言うと「アーティストはパクってもいい」と思っているんですよ。それはトリックスターとして……。ただその代わり「劣化させちゃダメだ」、つまり「劣化コピーを作ったら、ダメでしょう」という気持ちはあります。あとは、引用元に対して、何か批評みたいなものがちゃんと働かないと、やはりダメなんじゃないかと思っています。とはいえ、誰が見ても「これ、パクリじゃん」というものは、やっぱりダメなんだけれど……。

クワクボ:『BitMan』って、あれは8×8ドットの二進数の空間なので、そこで意匠登録ができるのかな? という興味はありますね。ある数字をリザーブするわけですよね。64ビットのある数字を「これは僕のです」って言うようなことができるのか、という興味はあるんですが。

八谷:それは……難しそうですね(笑)。

クワクボ:画像をどんどんドットに落としていくと、だんだんそうなるし。真っ黒とか、何ドット以上だったら、そういう著作権が発生するのかとかも、興味ありますね。

八谷:その場合、裁判官がどのくらい芸術のことを考えてくれるのかということも、すごく興味がありますよね。基本的には産業の中で見ると思うので……。

4.5●“アートのエッセンス”とは?

草原:そこで、先ほど八谷さんが発表の最後で「テクノガジェットはアートにならないけれど、しかし、商品にアートのエッセンスを入れることはできる」と書いてあったじゃないですか。その“アートのエッセンス”って何ですか?

八谷:んー。要するに、僕はアーティストになる前は、コンサルティング会社で企業の商品開発のお手伝いをしていたのですが、企業がものを作る動機というのは基本的には利潤、なんですね。それは企業の成り立ちとしては非常に正しいわけですが、アーティストがものを作る時は、そのスタートは金銭的な利益ではない……と思っていて、それは「そうあってほしい」と僕が願っているだけかもしれないですけれど、少なくとも多くのアーティストは、金銭的な利益からは作品制作をスタートしないと思うのですね。「これを見て、何がしかの自分の考え方を分かってほしい」とか「これができあがった状態を見たい」とか、何か切実な、プライベートな動機からスタートすると思うのです。

でも、それと同じようなスタートで量産品を作ることもできると思っていて、『PostPet』はもともとは自分の友達……とくに女の子の友達にメールを使ってほしいという、よく言えば“善意”、悪く言えば“下心”(笑)からスタートしているのですが、そういう動機で作られたものの方が、マス・マーケティングから作られたものよりも面白いし、ユーザーに支持されて、結果的に量産した企業に利益をもたらすこともあると思うんです。

なので、僕が「アートやアーティストの立場からものを作る」と言っているのは、そういう立場のことですね。

草原:利潤追求から出発するのではなくて、もっと個人的な興味とか動機とか……。

八谷:そうですね。原則的にアーティストは「何を作ってもいい」わけで……だから僕は今、飛行機を作っているのですが(笑)……しかし、そういう立場でないと作れないものも、世の中にはあると思います。合理性や利潤だけではつくれないものが。例えば僕が今作っている飛行機は、通常の尾翼のある飛行機に較べると安定性が悪いけれど、たとえ危険でも、僕はあれを作るべき……みたいな信念はある。

それは、登山家は別に山が安全だから登るわけではなくて「この山に登りたい」と思ったら、命を懸けてでも登るわけですよね。世の中にはそういった活動=アクティビティが必要だと僕は思っていますし、それが人の心を打ったりするのだと思っているのですが、他の皆さんはいかがでしょうか?(笑)

クワクボ:八谷さんの作品って、いつも“ツナギ”が1個あるんですよ。これは前々から聞こうと思っていたことなのですが、『視聴覚交換マシン』の羽根って何の役割なんですか?

八谷:あれはですね、もともとアンテナが入っているのですけれど、それが露出していると人にぶつかった時に危ないので、アンテナのカバーですね。

クワクボ:それがエンジェルの羽根の形になった、というわけですね。たぶんそれが“ツナギ”で、何かいつも人を引っ掛けるフックが、八谷さんの作品にはあるんですよ。たぶんそこらへんが、さっき言っていた「使ってほしい」ということの現われなのかな、と思ったりしたのですが。

八谷:けっこう野蛮なことや危険なことを僕は毎回やっているわけで、あの作品も「視聴覚が入れ替わる」というヤバさと同時に、ああいったゴーグルをいきなり人にかけさせるというのは、いくら「やって!」と言っても、明らかにみんな引くわけじゃないですか。その「引きかける」のを、別の要素で繋ぎとめたり、羽根をつけた人がウロウロしている姿を見るだけでもおかしかったりするので、「何だ何だ!」って見ているうちに、ついやってしまう、みたいな仕掛けですね。それは『PostPet』でも同じような構造がありますし、あと現在の『OpenSky』でも、危険なことをやっているのだけれど、それが危険なようには見えないようにしているということが、けっこうあったりしますね。

4.6●「仕様」と「実装」、そして「実施」と「調整」

クワクボ:前からそこにはけっこう興味があって、こういったテクノロジーを使った作品って、「仕様」と「実装」というレベルで考えられると思うんですよ。自分が製作する時も、もうひとレベルあるな、と思っていて……仕様がコンセプトで、実装が実際に作るモノだとすると、その上に「実施」というものがあると思うんです。

要するにインスタレーションを展示したり、実際に人に使ってもらった時の……今、まさに八谷さんがおっしゃっていたような、人が寄ってくるような部分って、実は作品の閉じた領域の中で考え、閉じたアトリエで作っているだけでは見えてこなくて、さあ展示して、世の中に出しましょうと言った時、この「実施」というレベルがすごく意識されてくる気がしますよね。さっきの、展示されたものの質感とか、仕上げがどうだといった話も、その一部であるし、人が(作品の近くに)寄ってくるよう、うまくテイストづけをするのも……そう。

八谷:僕は今日、自分の作品がどう使われているのか、下の階でずうっと見ていたんですね。すでに何回か出品した作品だったら、だいだい分かるのだけれど、あの作品は今回が初公開で、お客さんが使っている状態を見るのも当然初めてだったので、例えば子供だったらどんな反応を見せるかとか、お爺さんお婆さんだったらどうするか、みたいなことを見ておきたかったのです。

あの作品の場合、コースターに見せかけているガラスの円盤パーツがいくつあるかで、分かりやすさが変わる部分がありまして、今は4つ置いているのですけれど、それが適当かどうかも自信がなかったんです。4つ置いていると、偶然コロボックルが下を通ることがあって、そうすると「何だ、何だ?」って気づくのですが、これが2つだと、たぶんほとんどの人は気づかないのではないかと。だから「仕様」と「実装」という話でいくと、その「実装」の後の「実施」……まあ「調整」でもいいのかもしれませんが(笑)、そういうところが、この手のインタラクションを必要とするメディアアートの場合、難しいし、そこを丁寧にやらないとダメな感じがしますよね。

クワクボ:その最後の「調整」とかは、重要にも関わらず、けっこう本質的ではないもののように思われているきらいがありますよね。

八谷:でも一方で、鈴木康広君の『まばたきの木』という作品が下に置いてあって、木の幹に近づくと天辺からまばたきをする葉が舞い降りてくる。あれは子供に大人気で、ワァーッって集まってきますよね。で、ほぼ毎回そうなんですけれど、子供たちが葉っぱを(装置に)いっぱい入れるから、詰まっちゃうんですよ。で、それを鈴木君が毎回取っている(笑)。

クワクボ:あれは「仕様」ですか?(笑)

八谷:詰まりが解消すると、急にブヮーッと出てきたり(笑)。それがまたいい風景なんですよ。それでいつもあの作品を観るたびに「ここにブローワーを突っ込んで、詰まったときには葉っぱをブオッと出せるようにすればいいのに」とか色々と思うんだけど、その一方、別の心では「ああ、また鈴木君が詰まり解消やっている。いい風景だなぁ」って思いながら観ている自分がいたり(笑)。

児玉:今、「調整が軽視されている」みたいなことを八谷さんがおっしゃっていたのですが、いわゆる「ガジェットリウム」構想の中にも、試行期間に色々と体験してもらって、そういった「調整」を行なう場所を設けるというふうに、先ほどの岩田先生のプレゼンでもおっしゃられていたかと思います。で、そういうところを重視するのはとても重要であるというのは私も同感で、インタラクティブ・アートの場合、体験する自分以外の色々な人たちと共同で、製作の後半部分で作りあげていく部分が、もしかするとあるのではないかとも思っていて。それは商品の場合も、そういう「テスト」をするケースがありますよね。

八谷:ゲームの場合もありますよ。「ロケ・テスト」みたいなのがあって、特定のゲームセンターだけでやったりする……。 児玉:我々の作る作品の場合、身体で体験するものが多いので、色々な人が試した結果がどうなるかという調整期間がすごく大事だし、そこで作品に新たな発見があったり、体験してもらった中でさらに作りあげられていく部分も、かなり大きいのではないかと思います。

八谷:ガジェットリウムはいつできるんでしたっけ……さ来年? ロケ・テストだけどこかでやるというのもアリかなあ、と僕は思ったりもしますが。以前、メーリング・リストに投げたのですが、たしか「理系カフェ」みたいなお店……メイドカフェのかわりに、全員白衣を着た博士が接客する「博士カフェ」みたいな店があるらしくて(笑)……例えばロケ・テスト用にちょっとの間だけ、そこに作品を置かせてもらう、とか夢想したりしたのですが。

草原:そういうふうに作品を作ってみて、実際にみんながどう使うか、そこでどういうことが起こってくるかを見るのは、先ほど「鍛える場所」という話もありましたけど、こういうアート作品をギャラリーやミュージアムにだけ閉じ込めておくのではなく、一般の人々に触らせていくことが必要なのでしょう。さらには商品化にも繋げていこうとすれば、結局はそのところがすごく大事になって、いわゆる「美術館向けのアート作品」とは全然違った話になっていきますよね。

八谷:そうですね。ただ一方で、美術館は美術館で、僕はけっこう厳しい場所だと思っていて、今回の僕の作品は、チラシの中の絵が踊っているダンサーの写真だったから「(それが)コンテンツですか?」みたいにも言われました。いや「コンテンツですか?」じゃなくて、それも重要な要素でしょ? みたいに思いながら、聞いていたんですけどね。なので、またスクリーンで画面を見せてもいいですか?

草原:はい。お願いします。

4.7●メイキング・オブ『Fairy Finder』

『Fairy Finder』

八谷:今回はテーブルに映るコロボックルの動作を、「珍しいキノコ舞踊団」というダンスカンパニーの人に踊ってもらったのですが、結局CRESTの予算の大部分は、実はそこに使ったりしています。あんな小っちゃなモニターに写るものですが、俯瞰で撮らなければいけないので、全俯瞰で撮影可能なスタジオを借りて、山田郷美さんと篠崎芽美さんという2人のダンサーの方にお願いして、踊っていただきました。それで、後で場所とかを合わせる時にやりやすいよう、モニタで確認しながら……。

草原:彼らがコロボックルの動きになっているのですね。

八谷:はい。コロボックルの有名な本があって、その方の絵をモチーフにしているのですが、衣装も当然オリジナルで全部作っています。こういうふうに踊ってもらっています……。これらの写真はメイキングなので、普通はあまり見せないものですけれど、ちゃんとヘアメイクと衣装の人が付いています。あと、下に発泡スチロールのチップが敷いてあって、そういうものが雪みたいに舞い上がらないとリアリティが出ないと思って、色々やってみたのですが、それが服に付きすぎないように、現場では霧吹きで水をかけていたりします。

そうそう、さっきのクワクボくんの「仕様と実装」というところで思ったのは、まさにそういうことで……実際の絵画とかだったら「実装」をきちんとするのは前提で、その上でとても作り込んでいる部分があるわけじゃないですか。やっぱりそこをちゃんとやらないとダメだな、というのが最近の自分の考えです。だから衣装をちゃんと作るとか、ダンサーもちゃんと踊れる人を連れてくるとかって(さっき言った)閾値を超えさせるために一番必要なことであって、その努力を最大限やって、何かマジックが起きることを期待するというのが、割りといいやり方なのではないかと思っていたりします。

これがウチの子供なのですが(笑)、ちょっとだけ出ています。今はまだ子供も小さいから「無制限に子役をノーギャラで使えるチャンスだ!」と思って、何分かに1回だけチラリと出ています。

草原:そういうところに……先ほどのテクスチャーの話とか、下のフワフワ感とか、でもそれが衣装にたくさん付いたら変だとか……、結局そういう細部にまでこだわるかどうかが、デモに終わってしまうか、それとも作品になるか、の境目なのではないですか?

八谷:そうですね。やっぱり僕もキャリア10年になってきたので、この辺はちゃんとやろう、みたいなのがあります。前は、衣装とかはもう少しいい加減だったのですけれど、最近はちゃんと作ろうという感じで、特に今回は予算もありましたので……(笑)。

草原:そういうビジュアルの面でいえば、私がいつも面白いなと思っているのは、クワクボさんの作品で『ビデオバルブ』とか……それこそ、いかにも「デバイスです」というような「道具そのもの」みたいなデザインにこだわっているじゃないですか。あの辺はどうなのでしょうか? いわゆる「アート系」みたいにしない、というのは。

クワクボ:いや、僕はアート系だと思ってたのですが(笑)。

草原:いや、かっこいいんですけどね(笑)。

クワクボ:えーと、そうか……(笑)。もとはですね、ああいう電子的なものを作る前に、キネティック(・ア−ト)みたいなことをやっていたのですが、その時から「製品っぽい」見てくれというのはすごく気にしていたんですよ。

要は(さっきの「フック」の話ではないけれど)ひとつの好奇心とかを持ってもらうための仕掛けとして「もうすでにある・作られている・大量生産されたもの」というようなテイストに、最初は色々とこだわっていた経緯があって、それほど作品がそれこそ彫刻のようでなくても、自分としてはあまり特別なことだとは思っていなかったりしました。 ただ、基本的には自分が欲しい形にしちゃったりはしているのですけど……ただ、あまり「エセ機能主義」みたいなデザインにはしたくない、というところはあります。

八谷:それって純正なモダニストだと思いますけれど、どうなんでしょうかね? 明和電機も、基本的に機能と形態が一致していますけれど、クワクボくんのはそれ以上に「機能イコール形態」みたいな?

クワクボ:そうですね。電子機器って、あまり形に反映されないところがありますよね。例えばエンジンとかであれば、色々な放熱の問題とかが出てくるけれど、コンピュータってある程度自由に外側の造形ができちゃうじゃないですか。そこで何か機能主義を気取るだけの根拠がないような気がするんですよね。なんかMac G5とか「すごく空気がうまく流れる」ようにデザインされているらしいのですが、車とかバイクのように、機能がそのまま剥き出しに形になるということがあまりないかなあ、という気がします。

八谷:今回のクワクボ君の作品(『I/Oツールキット』)は、本人的にはどうなのですか? 率直に言うと地味じゃないですか。

クワクボ:地味ですねぇ。もう、怖いくらい地味ですよ(笑)。さっき見に行っても「誰も見てないなぁ」みたいな……。

八谷:いや、あれは今回のデバイスアートのプロジェクトの中では、非常に重要な仕事を彼がやっていて、それは僕らはすごくよく分かっているし、あの展示は展示で、ケーブルを全部ちゃんと挿して、そこをスパッと切ってあって、非常にきれいに作られている……ある意味、幕張メッセやビックサイトでやっている「技術展示ショウ」みたいな感じでキッチリとやってあって(笑)、それが面白かったりもしたのですが、一方でそれに気づく人が、今回はきっと、ほとんどいないだろうなあ、って。

クワクボ:今のところ、あれはあれで全然いいし……まだ始めたばかりというのもあるし、あれをみんながみんなやってほしくもないという気持ちもあるので……例えばあれをもっと色々な人にやってもらうために、じゃあ本当にブロックにしたらどうか、とか。

八谷:ワークショップにする、というのはあるでしょうね。

クワクボ:ワークショップは考えています。むしろすごく少数でもいいから、あれに引っ掛かる人がいたり……とか。もうちょっと夢想しているのは、ウェブ上で公開して、小学生とかがうっかり見ちゃって、うっかり作っちゃたり……とか。そういう感じの体験があったらいいなあ、っていう気はしています。

八谷:僕はあれは売っていないのかな、と、ちょっと思ったんですけどね。売ればいいのに……。

クワクボ:色々検討はしていますけれど、ね。そこらへんであれを今後、オープンソースなりクリエイティブ・コモンズ的な展開をした場合、どういうふうにお金との兼ね合いができるかとか、色々と考えてはいます。

4.8●発明と特許/オープンソースとクリエイティブ・コモンズ

八谷:そうそう、この間のオープニングの時にその話になったんですよね。クワクボくんと明和電機と岩田さんを交えて……。基本的にこのCRESTというのは、成果が出たらそれを特許にして、還元というか「儲けなさい」みたいな話みたいですけれど。一方で、例えば僕の今回のテーブルとかは、特許を取れるような性質のものでは、実はあまりなかったりするんですよね。

あとは、そういうふうに特許でガードするよりも、何かクリエイティブ・コモンズにしてしまう、とか。ノウハウにしてもウェブ上で公開してしまう方が……例えば日本国が、あるいは社会全体とか世界のことを考えたら、そっちの方が貢献なのではないかと思ったりもするんですけれど。でも、その一方で、あれをやっている文化庁……JSTの大元の方針としては、やっぱり知財をちゃんと管理して、税金から出ているから(その成果を)日本国に奉仕しなさい、みたいな、そういう考えがあるらしいですよね(笑)。

クワクボ:例えば僕があのキットを作る時、すごく意識したのは、ソフトウェアの「processing」ですね。ああいうものはやっぱりオープンソースで出てきて、そのおかげでプログラミングがすごくクリアに分かるようになったり、ワークショップでみんなが最初に触って、1秒で四角が描けるという面白いところを体験できる……ああいうことができちゃうんだと思って、やっぱりあれと同じようなものをハードウェアで貢献したいな、という気持ちはすごくあります。

草原:今の話に関連して、古い例で言うと「写真の発明」ですよね。ダゲールが写真を発明した時、あれはフランス政府が特許を買い取って公開したから、写真ならびに様々な写真関連の技術があっという間に広まったでしょう。だから、そういうことが歴史的にも証明されていると思うし……。あと、ひとつには、今度の『I/Oツールキット』みたいなものは、みんなが使うための道具(デバイス)ですよね。それを作るという行為というか……その場合のアーティストの役割って、どこになるんでしょうか? そのプロセス自体がアート活動ということになるのか?

クワクボ:「processing」を作ったベン・フライとケイシー・リースの……どちらか分からないですけれど……もともと自分が絵を描くためのツールとして作ったのが最初だったですよね。

草原:ケイシーの方ですね。

クワクボ:はい、ケイシーが最初だった、と聞いて、それと全く同じですね。「processing」上で作ったプログラムのことをスケッチと呼んでいて、それがうまく現わしていると思うのですが、それと同じようなことをやりたいと思っているので、作家としては自分自身の道具でもあるという感じですかね。

草原:むしろそうすると、クワクボさんの場合、自分が欲しい・自分が使いたいものを作っていて、それが単なる自分用だけではなくて、誰でも使えるような形にしていく、ということですか。

クワクボ:そうですね。

草原:でも、それを作る時に、自分のためだけだったら、そんなに細かいところまでこだわらなくてもいいわけだけれど、商品化の話とかがあると、そうは言ってもいられなくなる。先に八谷さんが『ThanksTail』や『PostPet』の話でしたのと共通してくるけれど、それが「誰でも使えるようにする」ためには、かなり余計な手間も実はかかっているわけでしょう?

クワクボ:かかってしまいそうですね。ただ、あのキットに関しては、ある程度ラフな状態でリリースしたいんですよね。あれで閉じた世界を作っても仕方ないし、それによって単価が上がって手が出せなくなったりしても、それはそれで矛盾を孕んでしまう……。それよりは「自分のために作った」と言いつつも、僕だったら「Gainer(ゲイナー)」っていうIAMASのツールを使っている方を取ると思うんですよ。それは僕がある程度、エレクトロニクスとかマイコンのプログラミングが分かるので、僕だったらあっちを使う。

八谷:そっちは難しくて高度なことができる、って感じなのですか?

クワクボ:もっとスマートでこんなに小さいのが、あるんですね。そこから先の、センサーを取り込んだりとか、何かを動かしたりという部分を、こちらの『I/Oツールキット』のものを流用してもらうことも可能なわけですよ。そういうモジュールの強みを活かして、相互に行き来できるようにしてしまえばいいのではないか、と。

草原:なるべく汎用性が持てるように、ですか?

クワクボ:そうですね。互換性があるように……。なので、その規格自体は守りつつも、ある程度ラフにしてしまった方がいいのかな、という気はしています。

八谷:それは今後、商品化みたいなことを考える時にどうするかを考えなければいけないのですけれど、一方で、僕らアーティストって、とりあえず作っちゃうから、自分たちがメーカーでもあるわけですよね。他のプロジェクトに較べるとたぶん商品化というのも(小規模でいいと思ったら)割りとすぐできちゃったりするから、そこをどうするのかというのを、JSTのCRESTの母体になっている文科省の下の独立行政法人の所と、ちゃんと詰めておかないとまずいかも? みたいな気もしていますけど……。

草原:アーティストが作品という形で作るだけじゃなくて、他の作品にも使えるようなデバイスを作ったり、自分のコンセプトを入れて商品化していくという時、これはたぶん八谷さんの『PostPet』が一番成功した例だと思うのですが、どういうところに、今までの既成の商品にはなかった、その商品開発する人たちやエンジニアの人たちが考えつかなかったようなマーケットや需要を見つけるのでしょうね? アーティストだから気がつく部分というのが、たぶんあるんだと思うのですが。

八谷:そうですね。需要についてはそうだと思いますし、プロトタイピングもアーティストは比較的うまくできると思うのですが、一方で、それを「大きく・安く・たくさん売る」みたいなのに関しては、既存のメーカーの方が巧かったりもするので。たとえば『PostPet』のアイディアを思いついた時に「自分たちだけでやる」って考えずに、最初からインタネットプロバイダーの「So-net」に持っていって「いっしょに商品化しましょう」みたいに持っていったのは、最終的には安く出したかったという理由もひとつにはあったんです。

あと、宣伝力なんかもメーカーの方があるから、あの時は自分のベスト・チョイスとしてISPといっしょにやるというのを選んだのですが、一方でその頃と、もうずいぶんとネットをめぐる状況は違ったりもしていますし、メーカーと組む/組まないという選択肢は、もちろんどちらかひとつが正解ではないと思いますが、もうちょっと小規模に始める方法もあるのではないかと思っていますけど。

特にクワクボくんのとか、教材としてもともと作られているから、「来年度から使いたいです」みたいな話もあり得るかもしれないので……。あと僕のテーブルも、具体的にはカフェやバーのテーブルとして作品をいくつか作りたいと思っていて、その気になれば量産できるようなやり方で作っていますから、もしも引きあいが来たらそれも考えるし、というような感じですね。

あと、発表しちゃうと、今度は特許を取りにくくなったりするんですよね、本当を言うと。公知でない、つまりまだ公開していないものじゃないと、本当は特許って申請できなかったりするんだけれど、「あれ、もう公開しちゃったから、特許はダメなんじゃないのかなぁ?」とか思ったりして……。

草原:ちょっとバージョンを変えたりして?

八谷:例えば防御的に特許を取るという考え方もあるんですけれど。『ThanksTail』とか『PostPet』は、どこかのメーカーといっしょにやる、あるいは、他のメーカーが勝手に高く作れないように、と思って、一応特許は取ったのですけれど、でもそういう特許でがちがちに固めるやり方が今もベストかというと、そこに関しては疑問もあったりしますね。最近は。

草原:先ほどのオープンソースの問題などにしても、結局それを支えるだけのコミュニティができていないと、結局は無理なわけですからね。

クワクボ:そういう部分で最近よく思うのは、自分が「あっ、いいアイディア思いついたぜ!」とかっていって、ちょっとGoogleで検索してみたら、似たような話が山ほど出てくるっていう状況があるんですよね。今までは、そういうことをお互いが知りえなかったという現実があったので、こちらで何かが発明された時、こっちでもほぼ同時に発明された……みたいなことがありえたわけだけれど、今は「知れる」状況になってくると、そういう言い訳が許されなくなってきて、そういう時に「パクった/パクられた」みたいな話を盛んに聞くのがだんだん疲れてきたということがあるんですよ。

そこで僕がオープンソースとかに興味を持ちだしたのは、そうも言っていられない状況なのではないか、と。むしろもう、共有するしかないのではないか、と。一方では、そういうところがありますね。

4.9●質疑応答

草原:色々な話題が出てきたのですけれど、たぶん会場にいらっしゃっている方、あるいは岩田先生、フータモさんからも、質問とか意見とかあると思うのですが、いかがでしょうか? 会場の方からの質問やコメントを、ぜひお願いします。

質問1(フータモ):八谷さんへの質問なのですが、先ほど、これまでに作られた作品のほとんどがアナログだったという話でしたが、かたや『PostPet』は完全にデジタルなわけで……そこでのアナログとデジタルの関係をどのように考えられているか、もう少し補足してもらえますか?

八谷:おっしゃるように『PostPet』は完全にデジタルな作品です。ただ、アナログの作品が比較的多いのは、ひとつには理由があって、僕は美術作品をなるべく作りたいと思っていて、そうすると例えば10年〜30年経ったら、全く魅力がなくなってしまうみたいなことは避けたいと思っているんですね。で、コンピュータを100%使っている作品というのは、CPUのパワーとかクロック周波数みたいなスペックによって、劣化する場合が多いと思うのですよ。魅力的でなくなってしまうケースが多い、と。もちろんそうでない作品もあるとは思うのですが、そういう気持ちが自分の中にあるので、ある種アナログといいますか、非コンピュータな作品も多く作っています。

ただ、例えば今回の「コロボックルのテーブル」(『Fairy Finder』)にしても、実はコンピュータを使っていますから、コンピュータを全く使わないというわけでもないですし、あるいはPIC(ピック)のようなプログラマブルなチップも使っていますので、僕の作品の中にもデジタルな要素はけっこうあるのですけれど、それでもコンピュータパワーのみで作品を作るというのは避けています。

あと『PostPet』に関しては、プログラムの作品を作って、それをたくさんの人に使ってもらうというのが、あの作品の場合、非常に重要だったので、あれに関しては、最初からソフトウェアを想定して作りました。ただ、コミュニケーションのツールを作る、というような自分のコンセプトに関しては、『PostPet』も『ThanksTail』も『視聴覚交換マシン』も、非常に似た存在だと思っています。草原:今日、チラッと出てきたけれど、あまりカバーできなかったトピックとして、身体性の問題があるのですが、私が面白いと思うのは、たとえば『PostPet』もあれだけ流行ったじゃないですか。で、けっこう物質化しちゃう……ぬいぐるみになっていたり、みんなが携帯ストラップで付けていたり……あれ自体はデジタルなのだけれど、接点の部分で、実はみんながアナログなインターフェイスを作ってしまう、あるいは求めてしまう、というところもあるみたいですね。

八谷:そうですね。『PostPet』のプロジェクトの時には、ソフトウェアの製作には1年ぐらいかかるので、その間、プログラマが働いている間、自分がやることがなかったので、最初にやることはモモの着ぐるみを作って、その中に僕が入って……。

草原:え? 八谷さんが入っていたの?

八谷:はい、一番最初に『大アート展』というのがあって、明和電機も出ていたのですが、その時は僕があの着ぐるみの中に入って、愛嬌を振りまいたりとか(笑)、その当時、プロモーションの仕事の一環として自主的にやってました。

質問2:今日のテーマの割りと中心にあったのが「アートか/アートでないか」ということだったと思うのです。それで、八谷さんのお話の中では、たとえば「アーティストというのは利益を目的としない活動をする人だ」というお話がありましたけれど、それだとプロセスが違うだけで、できあがってきたものがアートなのかアートでないのかは決まらないわけですよね。他に「これはアートになって、これはアートではない」みたいな区別の仕方はお考えになっていますか?

八谷:はい、あります。これは僕の基準なのですけれど、「有料の展示にした時、お金が取れるかどうか」というのが、もうひとつの基準だと思っています。今回の予感研究所は入場無料ですから、たとえば展示内容がつまらなくても怒る人はほとんどいないと思うのですけれど、これが有料だったら……例えば美術館の企画展だと1000円ぐらい取ることもありますし、例えば500円ぐらいの入場料を払ってみんなが見てきたと仮定して、納得してもらえるかどうかというのを、割りと僕は考えることがありますね。その時に、「コレとコレとコレはダメなんじゃないの?」みたいに思うことがありますけれど。それに耐えられるように作ろうと自分は心がけています……というので、答えになっていますでしょうか?

草原:けっこう重要なのが、アートとコンセプトの問題という話になってくるわけですよね。日本のメディアアート……それもプレイフルで、テクノロジーがけっこう使われているようなアート作品に対して(ある意味、クリシェなんですけれど)ヨーロッパなどでよく言われるのは「コンセプトはどこだ?」と。つまりコンセプトが先にあって、そこから作品ができるのがアートの王道であって、そうじゃないのはおかしいのではないか、と。

これはたぶんフータモさんにも言ってもらったほうがいいのかもしれませんが、そういう伝統的な考え方がある一方、実際にはもう今のアートはそうではなくなってきていると思うのですけれど、あまりにもそういうパラダイムから外れているように見えるアート作品に対して(いわゆるアート界の方から)最初から拒絶反応を示されることが、けっこうあると思うのですよね。ただ、やっぱり、プレイフルであろうと何であろうと、それがアート作品として認められたり受け入れられるのは、見ていくとその背後に、さっきから言っているような……。

八谷:何らかのコンテクストがある、とか?

草原:はい、コンテクストとか、思想が感じられるというところだと思うのですよね。

八谷:あとは実際、その作品に「力があるかどうか?」ということもあると思います。僕はジェームズ・タレルという人の作品がすごく好きなのですが、シンプルですよね。天井をくりぬいて、空を見せてるだけだったり……。でもやっぱり、それを見ただけで、心が動くようなところがある。さっきのクワクボ君の言い方で言うと「自分の中の感動の閾値を超える」部分があったりして、そういう力を持っているものが、僕はアート作品だと思っていたりするのです。その辺でいえば、僕はむしろ保守的で、メディアアートの作品でも「これってゲームじゃん」とか「ゲームに負けてるじゃん」あるいは「これは家でダウンロードして、やれた方がいいんじゃないですかね?」みたいに、割りとネガティブな感想も思いがちだったりするタチではあるんですけれど……その辺、クワクボくんや児玉さんは、どうですか?

児玉:私の場合、「これはアートか、サイエンスか?」と言われることが多くて、「これはアートか、エンターテインメントか?」という質問ではないのですけれど……。私としては、ひとつは「体験した人が自分なりの価値や意味を発見していくことができる、そしてそれが感動に繋がる」というのがアート作品だと思っています。私は、インタラクションのことを色々な本を読んで勉強しようと思ったことがあって、ユーザー・インターフェイス・デザインの本とか、インタラクティブ・システムの本を読んだのですが、それは実用的なソフトウェアのインタラクションをどういうふうに作りだしていくかについては明確に書かれているのだけど、感動をもたらすようなインタラクションについてはどこにも書かれていなくて、「ああ、自分が求めているものは、これらの本には書かれていない」と思ったことがあります。もちろんある実用的な部分は使えるのだけれど、もしかするとアートにとってのコアな部分は、もしかしてどこにも書かれていないのではないかと思いました。で、その感動を作りだすにはどうしたらいいのかというのを、今、液体といっしょに模索しているところです。

クワクボ:アートを決める要素があるかどうかは、僕自身、考えていてもよく分からないですね。アートはとにかくリニアな世界ではないというのは、すごく言えてて、例えば「こういうものを作りました」といって、そのバージョンを上げたらもっといいかというと、そんなことはなくて……。

八谷:前のほうが良かったりするんですよね。

クワクボ:ガクンとそこで落ちることもあるので、すごく魔物が潜んでいることは確かだと思います。

草原:たぶん、この話が一番重要なトピックで、本当なら30分ぐらいかけて話しあうべきだったと思うのですが……。他の方、いかがでしょうか?

4.9●質疑応答(つづき)

質問3:この「テクノガジェットがアートになりうるかどうか」というのは、それを受け取る側の我々社会が、そういうものに対してどう考えているかにもよると思います。旧来の工学的な研究というのは(先ほどボトムアップという話もありましたが)例えばそれが論文として評価されるかどうか……など、評価する社会やコミュニティの側にもよったりすると思うのです。僕としては、社会的にもだんだん変化してきて、こういうテクノガジェットやデバイスアートを受け入れる下地ができてきていると感じているのですが、実際にみなさんが長いこと、こういうことをやられてきて、そのように(社会の側がそれらを受け入れるように)変化してきたとお思いですか? あと、日本独自の文化として、こういうものが今後さらに発展していくかどうか、率直なところをお聴きしたいです。

八谷:「アートになるかどうか」というのは考え方が2つあって、ひとつは「作った人が“これはアートだ”と言い切れるかどうか」、あるいは「これはアート作品です」と言った時、周りの人……それは日本人のみならず、外国の人も「ああ、たしかにこれはアートだ」と認めるようなものになるか、みたいな話を満たす必要があると思っていて、それに関しては僕はけっこうネガティブ……というのは、自分のプレゼンの時にスライドの最後に出したように、大量生産品を「アートだ」というふうに考えるのは、あまりヨーロッパ的ではないし……あるいはデザイン・ミュージアムみたいなものの中に入ることはできるかもしれないけれど、その必要もないのではないかと思っていたりします、というのがひとつの答え。

もう1個は、「テクノガジェットはアートになるか?」という問いとは別に、「テクノガジェットは市場に受け入れられるか?」みたいな……今の質問には、そっちの方が近いですよね? それに関しては、僕はけっこうポジティブで、自分が『PostPet』を作って、何となく「ああ、このやり方ってOKなんじゃないの?」と思ったこともあるから、大丈夫なのではないでしょうか。ただ、その量がどのくらいかというのは、やってみないと分からないし、ブレイクイーブン(採算分岐)できる部分が低く抑えられれば、ちゃんと利益が出るような構造に持っていけるのではないかと思っていたりはしますけれど。

草原:ちょっと補足しますと……今日は私はあまり喋らない主義でやっているのですが……日本はけっこうこういうものに対する受容性は高いのではないですか? それは今の日本のポップ・カルチャーを見てもそうだし、江戸時代からの遊びの文化を見てもそうだし、この前の時にスライドで見せた「寿司メモリー・スティック」みたいに、そりゃ役には立つけれど、別に単なるメモリー・スティックでもいいじゃない、みたいな遊び心に、比較的みんなお金を出しますよね?

八谷:その結果を出すのが我々の仕事なのじゃないの? くらいに思っていますけれどね。 さっき児玉さんが、インタラクティブ・デザインの本の話をされていた時、僕が思ったのは、僕はデジタル・ハリウッド大学院でインターフェイス・デザインの授業を持っているのですが、その授業のひとコマで「銀座に行ってブランドのお店を見てきなさい」という実習をやって、まとめとして去年はみんなでシャネルの店舗に行きました。すると、お金を使わせるための工夫が無茶苦茶いっぱいあったりして(笑)、そういうものもインターフェイス・デザインのひとつだと個人的には思っています。だからそれはインタラクティブでなくても全然よくて、ひとがお店の中に入ってきた時、何かプレステージを感じさせるように、ちゃんと作るということなのですけど……。

ちょっと話が脱線しましたが、我々展示作家各自がやりたいと思っていること、例えば外に展示されている(明和電機の)土佐くんの『Edelweiss Digital』だったら、あれが高級なアクセサリーとして売れるとか、僕の「コロボックルのテーブル」が(全国のカフェにまで行き渡らなくてもいいのですが)何らかの什器の新しい形として使われたり、あるいはATM機あたりに使われる可能性もあると思うのですが、そういう事例が何らかの形で成功するとか。あるいはクワクボ君の『I/Oツールキット』だったら、教育機関が購入して教材として使ってくれるとか、そういう目的が達成されるということに関しては、比較的楽観視しているというか、そのためにも「がんばってやりましょう!」みたいな気持ちですね。

草原:そういうのが売れるとか受け入れられるというのは、「これを買ったらこれだけのことができますよ」という実用性とかお役立ち度ではなくて、やっぱりその中に込められている何か……例えば児玉さんの作品だったら、見ていて不思議な感じがするというのがすなわち、暮らしや精神を豊かにしたりとか、思いがけない発見があるとか、そういうことですよね。それが結果的に、アート作品としてアーティストが示そうとしていたことになるわけですね。それが普通の商品とは違うところで……。

八谷:例えば、児玉さんの作品は、どこにどういう形で普及するのが理想なんですかね?

児玉:ここに参加されているアーティストのみなさんが、実際に作品をマス・プロダクトとして売られているのですが、私の場合はまだそれが行なわれていないので、この秋にでも、ちょっと小さな『モルフォタワー』を作って、売ってみようかな、と今計画中です。それでどんなふうになるか……。

八谷:僕は、あの「卵の作品」がすごくいいと思ったのですが、やっぱりあれは大きく作らないといけないけれど、飛び散ったりした時に服が汚れたりして……。展示品としては、そういうちょっと「危なっかしい」部分、難しい部分があるじゃないですか。だけど個人の所有物だったら、けっこう友達と見たりするのに、あのサイズはけっこうアリかも? と思って見ていたんですけどね。

児玉:そうですね。家の中とか、プライベートなところで楽しめて、ちょっと実験の気分も味わえるし、見た目がきれいだし、というようなものを、まずは作ってみて……。

八谷:あれは100ボルトで普通に動くのですか?

児玉:はい。

草原:そろそろ時間も来ているのですが、他にどなたか質問がありますか?

質問4:みなさん各自が作品を作られて、それを「発表する/しない」というところの基準みたいなものが何なのか、ということをお伺いしたいです。先ほど八谷さんもおっしゃっていましたが、ある自分の作品が、今後5年、10年といったロングスパンに堪えうるような力を備えていると、どういうところで感じられているのか、凄く興味があります。例えば八谷さんの場合、デザイナー的な考え方が強くて、それゆえに作品のコンセプトを伝達するデザインやインターフェイスの部分の作り込みを、とても大事にしています。あと、児玉さんの場合も、先ほど「サーフェイス・フェチ」という話がありましたが、そういう素材の質感をすごく大切にされています。もちろん人によって、作品を発表するために重きを置いている基点も違うのでしょうが、漠然とそういうことをお伺いできたらと思います。

八谷:僕の場合だと、基本的に「できている」と当然判断した段階で出す、ということなのですが、いくつかのプロジェクト……たとえば『OpenSky』とか『AirBoard』とかは、途中の段階で見せているんですよね。それは、3年越しとかになるプロジェクトも時々あるので、「その間、いっしょに楽しみましょうよ」みたいな「失敗するかもしれないけれど、そこを見てて」みたいなプロジェクトがたまにあって、それの場合は、例えば機体が完成していなくても、実際に愛知万博に出したり、キリンプラザ大阪であの機体を見せたりしているので、途中でも「ワーク・イン・プログレス」として見せることは、あります。

だからその時点で100%完成でなくても、今生きている作家が「こういう活動をしていますよ」と見せるのは、僕はアリなのではないかと思って、そういうことをよくやりますね。

草原:作品の完成度ということとは別に、作品が成長していく過程を、他の人たちも見ていけるという感じですね。

八谷:そうですね。「まさかこれが飛ぶとは思っていなかったでしょ?」みたいな(笑)。「万博で見たけれど、あれ、本物の飛行機だとは思わなかった」みたいなことは、ネットに書いてあったりしましたけど。

4.10●総括コメント:岩田洋夫

草原:では時間も来ましたので、最後に岩田先生からコメントをお願いします。

岩田:研究代表者の立場からすると、今日のパネルは大変大きな前進があって、まず最初に「感動の閾値を超えた」という話があって、それがまさに目標としている作品製作と評価の方法論に関する、ひとつの重要な観点だと思いました。

その後、作品を作る場合、特にテクノロジーを使う場合には「仕様」があって「実装」があって「調整」があるよね、という話があって、まさにその3つの段階をはっきりさせていく。最初の「仕様」という言葉はコンセプトだから、あまり方法論にならないのかもしれませんが、「実装」と「調整」に関しては、しっかりとした方法論があるべきじゃないかな、と。それを明らかにするべきではないかということを強く感じました。

あと、後半の議論で、知的財産に関する議論があったのですが、実はこの予感研究所の展覧会をやっているデジタル・メディアの領域がなぜできたかというと、内閣府の知的財産本部が「コンテンツ、しっかりやれ」という号令から文科省がそれに対応してできたのが、実はこの領域なのですね。だからそれに対して何らかの答えを出していかなくてはいけないのですが、従来JSTとかがやってきたプロジェクトというのは、まず「大学で研究しなさい」。その成果を「特許にしなさい」。それを「どこかの会社が実施しなさい」……というのが、JST的なスキームなのだけれど、実はデジタルメディアに関して言えば、あまりそのスキームは成立しないのではないか、という感じがするわけです。今日の議論などでも「アーティストって、自分自身がメーカーだよね」という話がありましたよね。そういうところが当然あって、それから研究した知的財産はクリエイティブ・コモンズみたいに、万民の財産にしていきましょう……とか。それは税金の使い方としても十分適正だと思いますが……というのがあって、じゃあ売るところはどうすればいいかというと、また別の従来の特許を実施するのとはまた別の考え方が入ってきて、実はこの研究チームでは、すでに八谷さんや土佐さんがたくさん実践している例があって、そのあたりからうまくビジネスモデルを作れるのではないかな、というふうに私としては考えています。

草原:ということで、今の岩田先生のコメントが、ちょうどシンポジウムのまとめにもなったと思うのですが、今後も(さっき話に出た)サイエンス・カフェみたいなところでもやれることになったら、ミニ・シンポジウムとかができるのではないかと考えていますので、また次回、ぜひお越しください。パネリストの皆さん、講演していただいたエルキ・フータモ先生と岩田先生、今日はどうもありがとうございました。(拍手)

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