〇1970生 静岡県藤枝市出身
ピアノの先生だった母・理科教師だった父の下、3歳からピアノに打ち込む。
憧れのバレエを習い始めるも、数ヶ月で家庭の事情によりスイミングに変更。
「着ているものの形はよく似ているでしょう」という母の謎の説得に頷いてしまい、
翌週からプールに放り込まれる。
〇1982 小学校のスポーツ少年団でテニスを始める
小学校3年生で始めた「合唱団」とテニスの選択を迫られ、合唱団を泣く泣く諦める。
〇1984・85 全中 単 出場
初めて真夏に3セットマッチを体験した時、ファイナルに入る時に飲み物が無くなり、
父が差し入れてくれたのは「100%オレンジジュース」。
〇1987・88 インターハイ 単 出場
昨年、母校、藤枝東高校の校舎が新しくなったにも関わらず、制服がそのままである
(詰襟、蝶ネクタイ)ことに、兄とともに衝撃を受ける。
〇1990・91 インターカレッジ 単・複 出場
リーグ戦の順位の入れ替えが激しく、
1年 2部→1部
2年 1部→2部
3年 2部→3部
と、3部に落とした代。
でも、3年の2部最終戦で同期が5時間に渡って戦い、ナイター点灯の中、ファナルタイブレークで
サービスエースを決めた時の心が震えるほどの感動は忘れない。負けちゃいましたけど。
〇1990 全日本選手権 複 出場
単は、予選止まり。 JOP最高位は単108位、複72位。
どちらかと言えば、シングルスの方が好きなのだが、ジュニアの時から一貫してダブルスの方が
戦績がよかった。東海学生のタイトルも、東海中日のタイトルも、全日本本戦出場もしかり。
〇1987~91 国体出場(静岡県代表)
〇1993~06 静岡県富士市 パピーTCにて主にジュニアの指導担当
今日テニスを始めるお子さんから、全国大会出場の選手まで、幅広く担当。
〇2005 (財)日本体育協会認定上級コーチ取得
〇2006~ FTC 契約スタッフ
〇2009~ FTC 正規スタッフ
〇2019.09 合同会社Good shot 代表就任
今年は、ここ数年の中で、よりたくさんの方にお世話になる機会がありました。
その案件は残念ながら結実しなかったのですが、多くの学びがありました。
「0を1にする」難しさ、「イメージを確かな形にする」技術。
今はまだがんばることでしか、何も返すことができませんが、まずは、先を見据えて進みます!
〇1992生 神奈川県厚木市出身
〇2007 FTCジュニアスクールへ入会
小学校時代から、父、伯父、父の友人の4人で週末に2時間ほどテニスを楽しんでいた。
中学生になると元気があり余る中学女子を持て余した父から「塾に行きますか?
テニスに行きますか?」の謎の選択肢を出され、テニスを選んだことからFTCのジュニア
レッスンに入会する。
高校入学と同時に硬式テニス部に入部。ソフトボール上がりの相棒と2人で、気のいい
男子たちにも助けられ、楽しいテニス部時代を過ごす。
この時の友人たちとは、今でもテニスをしたり、飲んだり、誕生日を祝い合ったりする間柄。
高校2年で修学旅行が終わったタイミングで突然コーチ交代となり、禰津コーチと出会う。
〇2011~ 大学入学とともにFTCフロントスタッフに
大学が決まり高3の春休みからフロントのアルバイトに誘われるまま着任。
"愛想"がいいとも言えなかった当時、働ける?と不安だったが、"優秀"な他フロントスタッフの
みなさんに支えていただき、いつの間にか主軸スタッフへ成長していった。
FTC元フロントスタッフのみなさんとは、今でも定期的にランチをして、近況報告をする間柄。
大学時代に、それまで調べたことの無かった血液型を献血時に調べてもらい、自分が信じて
きた血液型では無かったことが発覚!?
たいしたことではないが、たいしたことだったらしい。
高校時代からFTCの一般クラスレッスンに入るようになり、早15年。親子のように、姉妹のように
いつも見守ってくださるクラスメイトのみなさんとは、毎年テニス合宿や忘年会をする間柄。
〇2017~ FTC正規フロントスタッフ就任
〇2019~ FTCアシスタント就任
〇2019.09 合同会社Good shot 業務執行社員就任
人との繋がりを自然に創り出すことができる、Good shotに無くてはならないスタッフとなる。
生涯初めての第1シードで臨んた今季の厚木市の大会は、残念な結果に終わりました。
「勝ちたい」と思って勝つのは本当に大変なこと。
欲が出たことも、大きな成長です。
さあ、今年の年末調整は一発で終わらせよう!!
〇1963生 岡山県岡山市出身
小学校低学年で、あまりのやんちゃぶりに、剣道に放り込まれる。
剣道でも、市内2位になるなど、剣道にものめり込んでいた。
〇1973 テニスを始める
父の通うゴルフ場の隣に、テニスコートがあり、壁打ちをしているところを、その後師事することに
なる石川武平コーチが「坊主やってみるか」と声を掛けてくれ、テニススクールに通い始める。
中学時代は、中国大会単3連覇するも、全国ではベスト8が最高。その悔しさから、岡山を出ることを
決意する。
〇1979 インターハイ団体優勝 1980単準優勝・複優勝 1981単優勝・複準優勝
「夏の思い出」を聞いたところ、「思い出って感じじゃないけど…」との前置きの後、1年生の時
は生活を回すことを含めて、生きるのに精いっぱいだったからね」と(汗)。
高校時代は、遠征も多々あり、覚えていないことも多いそう。
でも、両親の教えもあり、文武両道に励み、卒業時「成績優秀賞」の時計をゲット。
〇1984 インターカレッジ 単準優勝・複優勝
大学時代は、ナショナルチームの練習に入れてもらうなどしながら、授業の出席や課題をこなす
のがなかなか難儀だった。環境の選択に何度も迫られ、4年間で引っ越しは4回。
〇1985 全日本プロ 単優勝
大学側からの勧めもあり、大学院への進学と同時にプロ登録。この年、全日本プロの栄冠を
手にする。決勝の相手は、同じくプロ1年目、高校の5年後輩でもある、松岡修造さん。
〇1986~92 ツアープロ(最高位 ATP約500位 国内7位)
〇1987 デビスカップ日本代表
〇1988 東海大学体育学部大学院修士課程(コーチ学)卒業
〇1992~93 ツアープロコーチ
自分の選手としてのキャリアに限界を感じ、国内ツアーのみの参戦に限定。
大会や期間を決めて、プロ選手のサポートを始める。
一番長くサポートしたのは、澤松奈生子さんの2年。
〇1998 テニススクール事業展開
FTC大和、FTC森の里にて、一般テニススクールを運営。
「テニスをライフサイクルに」「充実したテニスライフを」と「Fill Tennis Center」と名付ける。
〇2020.03 合同会社Good shot 顧問就任
武鑓コーチがレッスンでテニスを通してお伝えしたいと思っていることをインタビュー形式で
掲載している「元デ杯選手 武鑓正芳が伝えたいこと」の続編「続 元デ杯選手 武鑓正芳が
伝えたいこと」を掲載しました!!
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