イミダス(imidas)

執筆項目は以下(カッコ内は初めて掲載された年度)です.

一部の項目を公開しておりますので,ぜひご参照下さい.

イミダスの「経済理論」パートを,2012年より担当させて頂いています.

目次

公開している項目

経済学 <Economics>

人・モノ・サービス・お金の動きなどに代表される経済活動全般を分析する社会科学の一分野。 近年では、一見すると経済活動とは直接関係がなさそうなもの、例えば犯罪や教育、恋愛、環境問 題、国際交渉、さらには人間の脳の働きに至るまでも経済学の研究対象となっている。伝統的に、「希少な資源をいかに有効利用するかについて分析する学問分野」という風に、資源配分に焦点をあてて定義される場合が多かったが、現在では「人々のインセンティブの働きについて分析する学問分野」といったより広い定義がとられることもある。

分析対象の範囲に応じて、ミクロ経済学 (microeconomics)マクロ経済学 (macroeconomics) という 2 つの分野に大きく分かれている。ミクロ経済学では、個々の家計や企業がどのように意思決定を行い、それが市場や制度を通じてどのような影響をもたらすのかを研究する一方で、マクロ経済学では、インフレーションや失業、景気循環など経済全体の現象について研究する。近年ではマクロ経済学においても、ミクロレベルの意思決定にもとづいた分析が行われる場合が多く (これをマクロ経済学のミクロ的基礎付け <micro-foundation> と呼ぶ)、両者の間で分析手法上の違いはほとんど無くなってきている。

経済学の分析上の特徴としては、一定の仮定を置きそこから論理的な推論によって結論を導く演繹的アプローチによって、理論研究がもっぱら行われる点が挙げられる。また、現実が「どうなっているのか」を説明する事実解明的分析 (positive analysis; descriptive analysis) と、理想的に「どうあるべきか」を検討する規範的分析 (normative analysis) が明確に区別されている。

ミクロ経済学 <Microeconomics>

ミクロ経済学とは、家計や企業のような個々の経済主体がどのように意思決定を行い、それが市場や制度を通じて経済にどのような影響をもたらすのかを研究する分野である。分析の単位が、地域や一国といった大きな (マクロな) サイズではなく、より小さな (ミクロな) 個々の経済主体であるためミクロ経済学と呼ばれる。

伝統的には、ミクロ経済学は完全競争市場 (perfectly competitive market) と呼ばれる理想的な市場 (「いちば」ではなく「しじょう」と読む) の研究に最も力を注いできた。その際に基礎となるのが「需要 (demand)供給 (supply) の交点によって価格が決まる」という考え方である。ここで、市場の需要と供給は、次のような形でミクロレベルの意思決定から完全に導くことができる。家計や企業が与えられた価格のもとで、つまり価格をコントロールできない状況で (これをプライス・テイカー <price taker> の仮定と呼ぶ) 、各人にとって最適な消費・生産行動をとり、それらを集計することで需要と供給が得られる。完全競争市場の分析において価格が中心的な役割を演じることから、ミクロ経済学 (の市場分析) は別名、価格理論 (price theory) と呼ばれることも多い。特定の財・サービスだけに焦点をあてて、他の市場との相互連関をとりあえず無視して分析を行う部分均衡分析 (partial equilibrium analysis) と、すべての市場の相互連関を同時に分析する一般均衡分析 (general equilibrium analysis) があり、分析対象や目的に応じて補完的に用いられている。前者はマーシャル (Alfred Marshall 1842-1924) 、後者はワルラス (Leon Walras 1834-1910) により定式化され、一般均衡 (すべての財・サービス市場の需要と供給が一致している状態) はワルラス均衡 (Walrasian equilibrium) とも呼ばれる。

近年では、ミクロ経済学は完全競争市場を離れた、つまり完全競争市場の仮定が満たされない、様々な市場や制度についても分析のメスを入れてきた。企業数が少なくお互いが戦略的な状況に直面している寡占市場 (oligopoly market) や、加入者の情報が企業からはよく分からない (情報の非対称性 <information asymmetry> が存在している) 保険市場などがその代表例である。他にも、最適なインセンティブ (能力給) 契約や企業の資金調達、売り手と買い手の交渉、企業と労働者のマッチングなど、様々な経済問題が扱われている。完全競争市場とは異なるこれらの市場や制度の分析には、ゲーム理論 (game theory) および情報の経済学 (economics of information) という新しい分析ツールが用いられ、1970年代以降急速に研究が進んだ。こうした変化をふまえ、現代的なミクロ経済学では、完全競争市場の分析を扱う価格理論と、それ以外の市場・制度のゲーム理論的な分析が二本柱となっている。

情報の経済学 <Economics of Information>

売買や契約などの経済取引を行う際に当事者間で情報の非対称性 (information asymmetry) が存在する、つまり、ある情報を一部の当事者しか知らないという状況を分析する経済学の一分野。一部の当事者が知っている情報を特に私的情報 (private information) と呼ぶ。情報の経済学、あるいは情報の非対称性の分析は、私的情報が発生するタイミングとその所有者に応じて次のクラスに分類される。まず、取引が行われる前から私的情報が存在する逆淘汰 (adverse selection) と、取引後に私的情報が発生するモラルハザード (moral hazard) に大きく分かれる (逆淘汰は逆選択逆選抜と呼ばれる場合も多い) 。逆淘汰のうち、私的情報を持つ人から行動を起こす場合はシグナリング (signaling) 、私的情報を持たない人が先に動く場合はスクリーニング (screening) と呼ばれる。

情報の経済学は1970年代から研究が大きく進展し、2001年にはこの分野のパイオニアであるアカロフ (George A. Akerlof 1940-) 、スペンス (Michael Spence 1943-) 、スティグリッツ (Joseph E. Stiglitz 1943-) の3名がノーベル経済学賞を受賞した。アカロフは中古車市場 (中古車を外見から中身の品質を判断することが難しいレモンになぞらえてレモンの市場と呼ばれる) における逆淘汰の問題を、スペンスは労働市場におけるシグナリング、スティグリッツは保険市場におけるスクリーニングなどをそれぞれ分析した。情報の経済学で登場する用語はもともと保険業界から生まれたものが多く (逆淘汰やモラルハザードなど) 、現在では一般的な文脈で使われることも珍しくない。しかし、経済学で用いられる場合には上述した特定の意味を持っているので注意が必要である。たとえば、モラルハザードは「道徳の欠如」などと翻訳されることがあるが、情報の経済学におけるモラルハザードは道徳とは直接関係のない概念である。

行動経済学 <Behavioral Economics>

伝統的な経済学 (しばしば新古典派経済学 <neo-classical economics> と呼ばれる) に、認知バイアスの存在や感情の働き、計算能力の限界などに代表される心理学の知見を取り入れ、より現実的で多用な意思決定にもとづいた経済行動を分析しようとする分野。伝統的な経済理論では、利己的で合理的な経済主体 (これを合理的経済人 <ホモ・エコノミクス> と呼ぶ) が前提とされるが、行動経済学では利他的であったり、首尾一貫した意思決定をうまく行うことができない非合理的な経済主体を扱う。行動経済学で提唱される仮説の検証にしばしば経済実験が用いられることから、実験経済学 (experimental economics) との結びつきが強い。2002年には、行動経済学で最も影響力のある仮説の一つであるプロスペクト理論 (prospect theory) の提唱などを通じて、行動経済学の発展に大きく貢献したカーネマン (Daniel Kahneman 1934-) が、実験経済学の手法を確立したスミス (Vernon L. Smith 1927-) と共にノーベル経済学賞を受賞した。近年では、fMRI (functional magnetic resonance imaging) などの手法を使って人間の脳の働きを直接分析することで、より科学的に意思決定プロセスを分析しようとする神経経済学 (neuroeconomics) と呼ばれるアプローチも台頭してきている。行動経済学の中で、特にファイナンスの問題について分析を行うものは行動ファイナンス (behavioral finance) 、戦略的な相互依存関係を分析する分野は行動ゲーム理論 (behavioral game theory) と呼ばれ、独立した分野として扱われることも多い。

効率市場仮説 <Efficient Market Hypothesis>

市場で取引される証券価格が、ファンダメンタルズを完全に反映して決められている、とする仮説。ファンダメンタルズを左右する将来に関する情報が、どの程度価格に織り込まれているかによって次の3つの型に分類される

  • ウィーク型 (weak form):過去の証券価格に関する情報が完全に織り込まれている。よって、その証券の過去の価格を分析して投資を決定するテクニカル分析は無意味となる。

  • セミストロング型 (semi-strong form):過去の証券価格に加えて、財務情報やニュースなどのすべての公開情報が完全に織り込まれている。これらを総合的に分析して投資を決定するファンダメンタルズ分析は無意味となる。

  • ストロング型 (strong form):公開情報に加えて、内部情報も完全に織り込まれている。よって、インサイダー取引を行っても平均を超える投資収益をあげることができない。

効率的市場仮説が成立していない場合には、確実に儲けることができる「さや取り」 (これを裁定 (arbitrage) と言う) の機会が存在する。この仮説を明確に示し、上のように3つの型に分類したファーマ (Eugene F. Fama 1939-) は、資産価格市場の分析に対する貢献によって、2013年にノーベル経済学賞を受賞した。

合理性 <Rationality>

人々の意思決定に関する仮定で、個人が首尾一貫した好みを持っていて、自分にとって最も好ましい選択肢を選ぶことを求める。正確には、ある個人の好み (専門的には選好 <preference> と呼ばれる) が次の2つの性質、完備性 (completeness)推移性 (transitivity) を満たす時に合理的であるという。完備性とは「任意の2つの選択肢が与えられた時に、どちらか一方が望ましい、あるいはどちらも無差別である (同様に望ましい) 、という判断を下せる」こと、推移性とは「ある選択肢 x よりも y が望ましく、 y よりも別の選択肢 z が望ましい時には、必ず x よりも z が望ましい」こと、をそれぞれ要求する。経済学において、合理性はしばしば暗黙のうちに仮定されている。日常言語で用いられる場合とは異なり、経済学で定義される合理性には上述のような特別な意味が込められており、特定の価値判断を一切仮定していない点に注意が必要である。

リカードの等価定理 <Ricardian Equivalence Theorem>

政府があらかじめ決められた歳入を賄う際に、課税しても公債を発行しても人々の消費行動には一切影響を及ばさない、という考え。19世紀にイギリス人経済学者リカード (David Ricardo 1772-1823) によって提唱された。公債発行によって課税を先延ばししても、いずれ政府は返済する必要がある。そのときに行われる将来の課税に備えて、つまり将来の増税を先読みして、消費をせずに貯蓄にまわしてしまう、というのが基本的な発想である。現実には、すべての家計がこのような先読みを行っているとは考えにくく、増税を行えば(少なくとも短期的には)消費が落ち込む。 そのため、リカードの等価定理が文字通り成立する状況は非現実的であるが、財政問題やマクロ経済政策を議論する上で、議論の出発点としてこの定理はしばしば参照される。 1970年代にアメリカ人経済学者バロー(Robert J. Barro 1944-)が、現代的な数理分析の枠組みでこの主張を厳密に証明したことから、リカード=バローの等価定理(Ricardo-Barro equivalence theorem)と呼ばれることも多い。

成長会計 <Growth Accounting>

経済成長の要因を資本、労働という2種類の代表的な投入要素の増大、および技術進歩の3つに分解して分析する手法。新古典派経済学(neo-classical economics)の代表的な成長理論であるソロー=スワン成長モデル(Solow-Swan growth model)に基づく。技術進歩は、経済成長に対する資本と労働の寄与で説明できなかった残差として求まることから、ソロー残差(Solow residual)、あるいは全要素生産性(TFP=total factor productivity)と呼ばれる。成長会計におけるTFPは、あくまでベンチマークとなる理論が正しいという前提のもとで技術進歩に一致するだけで、実際にはモデルが適切に考慮することのできない変数の動きや制度や法律面の変更など、様々な要素によって影響を受ける、という点に注意が必要である。ソロー=スワン成長モデルでは技術進歩は外生的に与えられているが、これをモデルの中に組み込み、内生的に技術進歩が発生するように拡張した理論を内生的成長理論(endogenous growth theory)言う。この分野は、1980年代にローマー(Paul M. Romer 1955-)などの貢献によって大きく花開いた。1987年には、経済成長理論への一連の業績が評価されて、ソロー(Robert M. Solow 1924-)がノーベル経済学賞を受賞した。

合理的期待 <Rational Expectations>

経済問題で対象とする人や組織が将来の状況を予想するときに、首尾一貫して事後的な実現値から外れた予想形成を行うことはない、とする考え方や仮説を指す。合理的期待仮説 (rational expectations hypothesis) とも呼ばれる。より正確には、モデル内の意思決定主体が将来の経済変数を予想する際に、 (1) モデルの予測 (モデル内で決定される均衡経路) が正しく、 (2) 正しい予測のもとで発生する不確実性については、その変数の、モデルが示唆する確率分布のもとでの期待値を予想として採用する、というもの。合理的期待は平均的に予想が正しいことのみを要求しており、将来を正確に予想できる(これを完全予見 <perfect foresight> と呼ぶ)とする仮説とは異なる。

合理的期待の考え方はミュス (John F. Muth 1930-2005) によって初めて経済分析に取り入れられ、その後、のちにノーベル経済学賞を受賞するルーカス (Robert E. Lucas, Jr. 1937-) やサージェント (Thomas J. Sargent 1943-) たちによってマクロ経済モデルに大々的に応用された。これは合理的期待革命 (rational expectations revolution) と呼ばれる。彼らの分析した初期の合理的期待モデルは完全競争市場 (perfectly competitive market) を前提としており、「 (モデルと整合的な) マクロ経済政策は経済主体に予想されてしまい効果が無い」という政策無効命題 (policy ineffectiveness proposition) が成立する。このことから、合理的期待がただちに政策の無効性を意味するという誤解が広がったが、完全競争市場を離れた経済モデルに合理的期待仮説を適用した場合には、そのような含意は得られない。合理的期待とは、あくまで予想形成に対する仮説である点に注意が必要である。

囚人のジレンマ <Prisoner's Dilemma>

ゲーム理論における最も単純で有名な2人ゲーム(プレーヤーが2人のゲーム)。アメリカ合衆国ランド研究所のフラッド(Merrill M. Flood 1908-1991)とドレシャー(Melvin Dresher 1911-1992)が1950年に考案し、顧問のタッカー(Albert W.Tucker 1905-1995)によって定式化された。「囚人のジレンマ」の名称は、彼らの考えた次のようなストーリーに由来する。

AとBの2人が、ある共同犯罪の容疑で逮捕された。しかし有罪にするだけの証拠がなく、容疑者(囚人)たちの自白だけが頼りの検事は、次のような司法取引を各容疑者に持ちかけた…

    • 2人とも自白すれば、A、Bともに懲役2年。

    • 2人とも黙秘すれば、A、Bともに1年間の勾留。

    • Aが自白、Bが黙秘すれば、Aはすぐに釈放、Bは懲役3年。

    • Bが自白、Aが黙秘すれば、Bはすぐに釈放、Aは懲役3年。

この状況は、利得行列(payoff matrix)と呼ばれる次の表によって、簡潔に記述することができる。プレイヤーAの戦略が左側の列、Bの戦略が上の行に書き込まれており、それぞれの結果に対応する各マスの左側の数字がプレイヤーAの利得、右側がBの利得を表す。たとえば、Aが自白してBが黙秘した場合には、Aは0、Bは-3の利得を獲得する。

<囚人のジレンマの利得行列>

この表をじっくり眺めると、各プレイヤーにとって、相手が黙秘を選んでも自白を選んでも、常に自分は自白すれば利得が高くなる、ということが分かる。このように、相手の戦略に依存しない最適戦略のことを支配戦略(dominant strategy)と言う。このゲームでは、AとBどちらの容疑者にとっても「自白」が支配戦略になっているため,彼らは(自白、自白)を選ぶことになる。二人で協力して(黙秘、黙秘)を選ぶことさえできれば、1年ずつの勾留で済むにも関わらず、2年ずつの懲役という非効率な結果に陥ってしまうのだ。これが「ジレンマ」と呼ばれる理由である。

現在では囚人のジレンマは、タッカーらが定式化した上述のストーリーを離れて、一般に「グループ内のメンバーがお互いに協力行動を取り合えば全体にとって望ましい結果が実現するにも関わらず、各人にとっては裏切る方が得であるため非効率な結果に陥ってしまう」ようなジレンマ的な状況を幅広く指す。プレーヤーが3人以上の場合の囚人のジレンマは、社会的ジレンマ(social dilemma)とも呼ばれる。企業間の熾烈な価格競争や、大国間の軍拡競争、共有地の悲劇(tragedy of commons)など、さまざまな現象をこのフレームワークで説明することができる。囚人のジレンマという非常に単純なゲームを通じて、個人にとって最適な意思決定が全体にとって最適な結果を導くとは限らない、という重要な教訓を得ることができる。

マーケットデザイン <Market Design>

ミクロ経済学、特にゲーム理論を用いた研究から得られた知見を生かして、現実の制度設計や、市場の失敗 (market failure) を克服する具体的手法を研究、提案する新しい分野。理論を補完するために工学的なアプローチが積極的に用いられているのが大きな特徴で、単純に数理モデルを構築するだけでなく、提案された仕組みがうまく機能するかどうかをより客観的にテストするため、被験者を集めた経済実験 (economic experiment) や、コンピュータによるシミュレーション (simulation) などを行って予測を行う。この十数年ほどで、マーケットデザインを通じて提案された具体的な制度が、ほぼそのままの形で現実に応用され始めている。電波周波数帯を割り当てる電波オークション、臨床研修医のマッチング、公立学校の選択制度、臓器移植の交換プログラムなどがその代表例である。

既存の市場や制度を与えられたものとして捉え、その機能を解明することに注力してきた伝統的な経済学に代わり、イチから制度を設計、あるいは変更することを対象とするマーケットデザインは、その実践例の拡大とあいまって近年急速に関心を集めている。2012年には、マーケットデザインを支える最も重要な基礎理論の一つであるマッチング理論(Matching Theory)の分野を切り開いたシャプレー(Lloyd S. Shapley 1923-)と、その手法を発展させると共に、現実の制度設計へ数々の実践を行ったロス(Alvin E. Roth 1951-)の2名にノーベル経済学賞が授与された。

コースの定理 <Coase Theorem>

外部性があるため市場取引を通じて効率性が達成できないような状況であっても、取引費用 (transaction cost) が存在しなければ、当事者間の自発的な交渉によって効率的な資源配分が実現できる」とする主張。1991年にノーベル経済学賞を受賞したコース (Ronald H. Coase 1910-2013) によって提示された。お互いの状況を改善するような交渉を妨げる要因が何もなければ、改善の余地がない状態、つまりパレート効率的 (Pareto efficient) な状態へと行きつく。そのため、利益の (負の) 外部性の受け手である被害者が外部性を排除する権利を持っているか、あるいは出し手である加害者が自由に経済活動を行う権利を持っているかに関係なく、効率性が達成されるのである。ただし、現実には無視できない様々な取引費用が発生するため、コースの定理が文字通り成立する状況は限定されている。また、仮に取引費用がゼロであっても、誰に権利が与えられるかによって、当事者間での富の分配は大きく左右される点に注意が必要である。取引費用の存在が企業の経済活動や組織構造にどのような影響を与えるかを分析する上で、ベンチマークとなる定理。

アローの不可能性定理 <Arrow's Impossibility Theorem>

アロー(Kenneth J. Arrow 1921-)が1951年に出版した博士論文『社会的選択と個人的評価』(Social Choice and Individual Values)の中で示した、社会的選択(social choice)あるいは集合的選択(collective choice)に関する否定的な理論結果。起こりうる社会の状態についての個人の選好を集計して、社会全体の選好(社会的選好 <social preference> と言う)を形成する難しさを厳密に証明した。具体的には、選好の集計ルール(これをフォーマルには社会厚生関数 <social welfare function> と呼ぶ)が満たすべきだと考えられる4つのもっともらしい条件を定義して、それらを常に満たすルールが独裁制、つまりある個人の選好を社会的選好と一致させるルールしかない、という結果を導いた。当然ながら、独裁制は民主的な選好集計ルールとは言えないため、アローの定理は(直接)民主政による社会の合意形成が原理的に不可能であることを示唆している。ここから一歩進んで、この定理が「民主主義の不完全性を数学的に証明した」という風に解釈されることもあるが、あくまでも様々な前提条件に立脚した議論であるので、その言及には十分に注意する必要がある。実際に、アローが要請した条件を少しだけ緩めることで望ましい集計ルールの存在が導かれる、といった可能性を示した研究も数多く存在する。

ちなみに、アロー自身はこの定理を一般可能性定理(general possibility theorem)と名付けたが、その内容から一般不可能性定理(general impossibility theorem)と呼ばれる場合が多い。アローは不可能性定理を導いただけでなく、社会的選択に関する理論的なフレームワークを博士論文の中で確立し、この分野自体を事実上切り開いた。この貢献が、一般均衡理論(general equilibrium theory)における卓越した業績と合わせて評価され、彼は1972年にノーベル経済学賞を(同賞受賞者としては最年少の)51歳で受賞した。その後、社会的選択の分野では、1998年にセン(Amartya Sen 1933-)がノーベル経済学賞を受賞している。センはインド人で、アジア人としてはじめての同賞受賞者となる。

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