設立経緯

    • 平成元(1989)年から始められていた、諫早市制施行50周年記念事業の準備の中に「音楽の分野にも何かひとつ」という期待を込めた話が浮上していた。

    • 平成2(1990)年10月「諫早讃歌をつくることができたら・・・・・」という夢のような話が胎動の発端であった。

    • 「諫早讃歌制作発起人会」に引続いて「諫早讃歌制作推進実行委員会」が諫早文化協会を中心に結成された。

    • 平成3(1991)年10月諫早とかかわりの深い詩人風木雲太郎氏(長崎市在住)に作詞を、東京在住の白石茂浩氏に作曲を依頼した。

    • 平成4(1992)年9月管弦楽と混声合唱による合唱組曲諫早讃歌『有明』が完成した。

  • 平成5(1993)年10月17日(日) 諫早文化会館大ホール

  • 指揮 團 伊玖磨 演奏 九州交響楽団

    • 合唱 諫早市民混声合唱団による初演で、まさに記念碑的な文化的財産の誕生となった。

    • 初演を聴いた市内の音楽愛好家・市民たちは感動した。彼らの夢は素朴である「この諫早讃歌を市民のものに。そのために市民の手で演奏できる交響楽団を」「自分たちの町で、自分たちの好きな曲を自前の楽団で演奏したい」とのうねりと究極の思いが交響楽団結成に動いた。

    • 平成6(1994)年1月に行なわれた弦楽アンサンブルと諫早吹奏楽団の代表者との話合いは、交響楽団の組織編成など基本的な考えについての意見交換の場として、まさにこの日こそ、諫早交響楽団結成への第1歩であった。

  • 交響楽団結成の為の準備会が平成6(1994)年2月と3月に開かれ、ついに諫早交響楽団が発足し団員を募った。

  • 市内の諫早弦楽アンサンブルと諫早吹奏楽団のメンバーが中核となり、平成6(1994)年6月から合同練習を始めた。

    • それぞれの楽器の愛好者たちが、楽団の一員として奏でることの楽しさと難しさを実感しながら練習に励んだ。

    • 結成式は平成6(1994)年11月29日諫早文化会館中ホールで行われ、初演の演奏曲は、シベリュウス 交響詩「フィンランディア」作品26であった。

    • その日、楽団員代表として挨拶に立った池田敏子さんは結成できたことの喜びを決意とともに語った。その中で「夢が現実となった。感激の極みです」と涙ぐむ一幕もあった。

    • 平成7(1995)年2月諫早交響楽団誕生に伴い、既存の諫早弦楽アンサンブル、諫早吹奏楽団の3団体を支援する「諫早にオーケストラを育てよう会」が発足した。

  • 平成11(1999)年6月 「諫早にオーケストラを育てよう会」の会員は、自動的に諫早交響楽団の賛助会員として諫早交響楽団の活動を支援することとなった。

  • 従って「諫早にオーケストラを育てよう会」は発展的に解消した。