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にて其氏神を祭たるが此時より盛大に成り賜へるなるべし(春日部は春日皇后に属たる名なる事は元年條に◯城部枳◯喩の女幡媛を春日皇后に奉りて春日部采女と称しても見るべし)

欽明天皇の御世常磐大連と伊礼波連とに始て中臣連の姓を賜ふ(常磐連等は黒田大連の子なり天児屋命より十九代黒田大連に至るまで中臣の職も氏も賜はりたる事なし神代に天児屋命天太命神事を司れる様に言へるは欽明天皇の御世より後の説なり)

後も天足彦國押人命の子孫も代々中臣姓を称して姓氏録巻三十未定雑姓右京中臣臣観松彦香殖稲天皇(諡考昭)皇子天足彦國押人命七世孫米舂大使主之後不見とあり此姓の人萬麿、眞萬、乙長、都奈美、奈美高、天足、大継、舩守、清主、吉公、廣成、系麿、宗副、清貞、(己上左京戸)安成、屎麿、全黒、財王、眞◯(鵟:のすり?)堅魚麿、鳥、耳、継縄、第氏、福成、ノ二十五姻斉衝三年中臣の本系帳を除れて惟岳宿禰の姓を賜はり二十五姻共に右京九條の二坊に編れたる事大中臣系図に見えたり阿波國中臣部も永く伝わりしと見えて類聚三代格に阿波國中臣部あり今も当社近く並の村に中富といふ最広き

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地あり(阿波國春日部の名尚尋ぬべし姓氏録未定雑姓山城國春日部村主津速魂命之後也は別事なり)

因に記す族第長年消息して大麻比古神社の有地を板東といふは後の称にて古は中富の内なりしも知べからず中富は東中富西中富とて最広き村なり中富邑の川を中富川と云ふ類聚三代格に阿波國中臣部あり是に因て考れば祭神天児屋命には有らぬかと云ひ遺せたり最珍しき考なり然れど天児屋命には非ざる事上に辨へたるが若し

鹿江比売神社

板東村に在り長井明神と称す三代実録元慶七年九月五日戌辰授阿波國従五位下鹿江比◯神従五位上頭書に神名帳紅作江とあり是決て大麻比古神の后神なるべし近江國小野神社も二座なり鹿江の名義御眞津日子訶惠志泥命の訶惠に同じきか但し江惠異音なれば別義か又天足彦の女忍(?)鹿江比売の鹿も考べし

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