*『一博一品』の序文・後記

序文

私たちはそれぞれ中国と日本に暮らす30人のブログ仲間です。インターネットで知り合い、共通の願いが私たちを一つに結び合わせてくれました。私たちは文章、イラスト、写真によって自分の実際の体験やそれに対する感想を記録し、この《一博一品》をまとめました。

異なる国家、地域に住み、異なる言語を用い、年齢も13歳から79歳にわたるメンバーは、お互いにまだ会ったこともない人たちが殆どです。このような人たちが共同で、二言語同時掲載の本を出版することの難しさは、想像するに難くないでしょう。私たち自身も、お互いに分かり合いながら理解を深めていくという磨り合わせを体験してきました。私たちのこの作品は決して傑作とは言えません。けれども、一品一品のそれぞれが私たちの心血を注いだもので、切磋琢磨を繰り返し、お互いに修正・翻訳をしながら編集されたものです。まさに、「一心同体」と言えるでしょう。半年あまりの時を費やし、出版社の力をお借りしながら、ついに、本日ここに読者の皆様と慶びを分かち合えますことを大変光栄に存じます。

私たちは草の根の集まりです。志願してこのことに取り組んできました。私たちの作品はプロの作品に手が届かぬどころか稚拙ですらあり、読者の皆様におかれましては至らぬ点を多々お感じになるかも知れません。しかし、私たちの願いは無垢で、固いものであります。この本をお読みになられた時、私たちの心の声が届きますことを願っています。私たちはこれらの実際の体験を通じて、二つの国の草の根同士で知り合うことを促進したいと思っています。なぜなら知ることなしに相手を理解するということは不可能であり、真に意義のある友好関係を築き上げることが出来ないのは当然の事ではないでしょうか。

最後に、この半年間、私たちを理解し支えて下さったご家族の方々に心より感謝の気持ちを伝えねばなりません。この私たちの《一博一品》は、彼ら(彼女ら)のものでもあります。

序言

我们是分别生活在中国与日本的30位博友,大家通过网络结识,共同的心愿使我们相聚在一起。我们分别用文章、图画、照片记述了自己的真实感受,汇集成这本《一博一品》。

我们生活在不同的国度与地区,使用着不同的母语,年龄跨度从13岁到79岁,大部分成员彼此都未曾见过面。这样的人们联合起来共同出版一本双语读本,其中的困难可想而知。我们本身就经历了相互了解、理解这样一个磨合的过程。我们的作品虽不是精品,但品品都凝聚着我们的心血,都是大家反复切磋琢磨、相互修改、翻译、编辑的。可谓是你中有我,我中有你。历时半年多的时间,在出版社的帮助下,今天终于得以与读者分享,我们感到非常荣幸。

我们是一群草根,是志愿来作这件事的。我们的作品不够专业,甚至还很稚拙,可能会有不尽人意的地方。但,我们的心愿是真诚的、坚定的。当您看到这本书时希望也能听到我们的心声,我们想通过这些真实的感受来促进两国草根之间的相互了解,因为没有了解就不可能理解,当然更提不上真正意义的友好。

在此还要特别感谢半年来家里人对我们的理解与支持,因为我们的《一博一品》也有他们(她们)一半。

作者:つぼみ 訳者:花子ママ

作者:蕾 译者:花子妈妈

後記

人間同士だもの

経済の流れが国の壁を取り払わなければ成り立たなくなったこの時代、人間関係もその波に飲まれて壁の向こうの人たちと関わることが避けられなくなるのは、確かにとても疲れることだ。

だから波に飲まれて振り回されてしまわないように、自分の考えや知識や想像で壁を築きたくなるのは、確かに人間の本能だ。割り切って壁の中に入り、自分を疑うことなく生活していくほうが、確かに楽で悩みも少なく、賢い生き方なのかもしれない。

しかしそれでも、換気が必要だ。時々、たとえ傷つくことや深く悩むことやショックを受けることがあっても、たとえ何を信じればいいのかがわからなくなることがあっても、やはり自分の目で壁の向こうの風景を見、自分の足で壁の向こうに出てみたほうがいいと思う。そうすれば、壁の中に戻ったあとの人生がほんの少し、変わる気がする。そういうややこしいことが必要な時代だと思う。

別々の国で挑発し合ったり騒ぎを起こしたりしている人たちが、もし同じ国に生まれていたら、きっと意気投合するだろうな、と時々思う。

人間同士だもの。ある種の価値観や行動パターンが似た者同士が、別々の国で同じことを意気投合してやっている。

人間同士なんだから、共感できることは必ずいくつも存在する。もちろん共感できないことやどうしてもわかりあえないことも必ずいくつか存在するけれど、それらは壁の中に持ち帰ってもいいじゃないか、と思う。ちょっとすっきりしないかもしれないけれど、相手が隣りの人間であっても、隣りの国の人間であっても、地球の裏側にいる人間であっても、結局は人間同士。すっきりしないことがあったって、意気投合した瞬間の笑顔はきっと同じだ。

后记

国异,人同

在当今这个时代,国与国之间的交流日渐频繁。是时代潮流,是社会发展的象征,说到底,也都是为了维持各自的经济发展。国与国的交流多多少少总会牵动到人与人的接触,当另一个世界中各种各样的人,事,物,乘着这股潮流来到了家门口,你是欣喜?兴奋?或是警戒?发怵?还是各种滋味都匀和到一起的平静?反正有一点是肯定的――门,是一定要打开的,人,是一定要接触的,就算想躲也躲不掉。

与其他国家的人接触,在不久以前还是件新鲜事。如今曾经的新鲜事不再新鲜,在不久的将来也许还会成为家常便饭,成为义务,这确实是一个挺让人费心的变化。和他人打交道本来就是门学问,更不用说是和他国的人打交道。磕磕碰碰,磨磨合合,总会有疲倦的时候。累了,本能地就只想关上门去平静地生活。门内的世界是自己一个人的,自己的看法、见闻、想像,会变成一栋高高的堡垒,严严密密地保护住脆弱的内心。只要不去怀疑,就不会有迷惑,活得单纯痛快。

然而,门,是一定要打开的。门外的世界一切都是那样不同,在与其接触的当中,我们有时也许会受伤,会受到意想不到的打击,会感到迷茫,不知该相信什么,从而徒增一些烦恼。但今后的时代需要这些烦恼,因为当人经历过它之后回到门内歇息的时候,会看到自己的成长--脆弱的内心强韧了,变得宽容而柔和,不必再需要顽固的堡垒来围护。

有时我想,如果那些在不同的国家里相互挑衅、敌视的人们生在了同一个国家,也许会一拍即合,聚在一起谈天说地。他们的某种性格和价值观其实是相似的。都是同一种人,在不同的国家里做着相同的事。

世上有无数的人。身旁的人,相隔几米的人,远隔万里的人,都有缘在地球上相聚。只要是人,就一定有谈得来的事、产生共鸣的事,无论是哪国人。只要是人,也一定有谈不来的事、无法理解的事,说不清,理不平。但何必紧紧盯住后者呢。国异,人同。能够与某个人彼此投缘的一刻是多么可贵,何不去享受那一瞬的会心一笑?

作者:chococo 訳者:chococo

作者:chococo 译者:chococo

『一博一品2009』の序文・後書へ

このページの先頭へ

ホームへ