藤沢宿から「山アテ」に見る富士山
藤沢宿京見附(西側出口)を少し過ぎたあたり「湘南高校入口 」交差点で、道の屈曲に従って旧東海道正面に富士山が現れる
富士山はほぼ旧東海道の真正面(山アテ)になっている。
京見附の説明。
芳盛 行列東海道 藤沢(Museum of Fine Arts Boston)
藤沢宿の江戸方見附は遊行寺前の尾根道(現在は切り通し)にあり、京方見附は舌状に伸びた相模原台地の末端をのり越える小さな坂道の上にある。藤沢宿はその間にある谷間に沿っており、周囲を微高地に囲まれている沖積地で、展望の良い場所を選んだ宿場町ではない。
藤沢宿から西に向かって歩き始めると、台地の末端にある伊勢山橋(現在の小田急線との交差。江戸時代には小田急を跨ぐ伊勢山橋はなかったが微高地はもともとの地形)に向かって坂を登ると、視界を遮っていた伊勢山をかすめて富士山が飛び込んでくる。藤沢宿京方見附がそこに待ち構えている。
この辺りに台町郵便局、台町バス停などがある。貝原益軒『東路記』に「藤沢の台の上より鎌倉山見ゆる。又、三浦のみさき見ゆる。絵の嶋の向ひに西に出たる崎なり」とあるのは、景色が目に入りやすいこの場所だったかもしれない。
ここから西、藤沢宿から平塚宿まで、旧東海道は海岸段丘の高みを縫って通る。砂埃のひどかった地域ではあるが、晴れれば展望を遮るものがない好展望地だったと思われる。
藤沢宿京見附を40mほど通り過ぎると道が少し北を向き、富士山が顔を出す。現在でもここから富士山が見えるが、建物が低く数も少なかった当時は京見附付近から富士山が見えたと思われる。
京見附を少し過ぎた地点からの富士山(写真の拡大)
貝原益軒「東路記」、『東路記、巳巳紀行 西遊記 (新 日本古典文学大系)』貝原益軒ほか(原著)、板坂耀子・宗政五十緒(校注)、岩波書店(1991.4)
2023/1/3(写真)、1/19 眞田則明