平塚宿方見附

平塚宿から見る富士山

平塚宿方見附

平塚宿は相模川(馬入川)と花水川に挟まれた沖積地、いまの平塚駅よりも西側に形成された町で、建物や植栽がなければ宿場全体で富士山を西に望むことができ。ただし、宿場出口に近づくほど、大磯宿との間を塞ぐ高麗山が目の前に大きく迫ってくる。

平塚宿の出口(京方見附)は花水川橋の位置にあったとされる。花水川は1707年11月の宝永山噴火で流れが埋まり、その後江戸幕府によって現在の位置に新水川が開削され、花水橋も移動した。広重の東海道五十三次(保永堂版)に描かれているのは現在と同じ新花水川と、古花水橋の位置にある京方見附ということになる。浮世絵では高麗山、それに少し隠れるように見える富士山、および大山が並べて描かれ、宿の出口を示す杭票が描かれている。山の相対関係はデフォルメされている。

平塚宿内ではどこでも富士山が見えるので、特異的な場所は富士山が見えなくなる、という点になる。宿場の出口が、富士山の可視・不可視境界の特異的な位置にあるという点では、ほかの宿場と似ている点がある。

東海道は高麗山の南側を囲繞して西へと進む。平塚宿を出ると大磯宿の出口まで 富士山を見ることができない。

平塚宿京方見附跡付近、古花水橋信号の現在の眺望。建物が多く、富士山が見えるかどうかを判断することはできない

現在の平塚宿京方見附跡

新花水橋から新花水川沿いに100mほど北へ進むと富士山が高麗山の山裾から顔を出す

富士山という旅の目標が見えなくなる宿場出口

次の大磯宿へは二十七町(約三キロ)の近さだが、平塚宿の旅籠の客引きは、夕暮れに西へ向かう旅人のそでを引いて高麗山を指さし「大磯宿はあの山の向こう」と、高麗山を越えねばならぬように思わせて泊まりを勧めたという。(『かながわの古道』阿部正道 著 1981.3 神奈川合同出版 より引用)


新花水橋から高麗山

2023/1/15 眞田則明