通信機器の輸入商社の招待でスタンフォード大学のジョン・チオフィ教授が来日し、赤坂のホテルの一室でDMT技術とチップ化の見通しについてプレゼンテーションを行いました。まだ浦安のビデオオンデマンド実験のプロジェクトに従事していた1995-6年の頃です。
その頃のADSL(下りの速度が非対称的に速いDSL)やSDSL(双方向が同じ速度のDSL)はCAP技術を使っていました(図)。情報の信号を乗せるための波がCAPだと3つあります。電話の信号の波を除くと、2つあり、インターネットへ上る信号と下る信号用です。ADSLの信号はツイストペア(撚り対線)という細い導線のペアを通るため、電話局と電話機の間で、いろいろな電気的な雑音が入ります。例えば家庭内の電気配線や電気器具からの電気ノイズや、電信柱に架かっている状態では自動車やバイクのスパークプラグの発火で出るなどの電気ノイズが導線に入ります。ノイズの影響は信号を乗せるための波を壊します。信号を乗せる波が上り下り1つずつではノイズによって上り信号全部、下り信号全部あるいは両方とも信号を送れなくなります。このため、CAP技術によるADSLは利用がとても限られていて、ノイズがない条件下のみでメタリックの電話線で数メガビットの通信ができるものでした。
この頃に米国人の友人が、メタリックの電話線で数メガビットの通信ができる、と話したのは別の意味でした。彼はチオフィ教授の研究とDMT技術を知っており、教授来日を知らせてくれました。このおかげで教授と話す機会を得ました。
DMT技術は情報の信号を乗せるための波を多数にするものです。図(図の横軸が周波数です。)にある通り、波がたくさんありますから、家電のスイッチを入れたり、バイクが通りかかったりして、電気的なノイズが導線に入ってきても、そのノイズ自体の周波数と同じ周波数の波は壊れてしまって通信出来なくなりますが、周波数が離れた波は無傷で通信を続けることが出来ます。このためには周波数ごとの多数の波ひとつずつに情報を乗せたり、その逆をする、周波数と時間を互いに変換するディジタルの信号処理などが必要で、CAP技術とは比較にならない膨大なディジタル処理能力になります。このDMT技術の開発し、汎用的なASICチップから、さらにLSI化し、家庭に置けるモデムにまで実用化したのがスタンフォード大学のチオフィ教授です。
その時のプレゼンは、DMT技術の説明と、LSI化のロードマップでした。プレゼン後に教授と面会でき、1995年当時ですので、日本ではNTTはISDNに熱心で、ADSLはその後になると思うと教授に話したのをおぼえています。いずれにしろ、DMTのADSLがチップ化されるのは、まだ2-3年先でした。
チオフィ教授は、ADSLモデムを日本に貸し出しました。当時まだ家庭用プリンタぐらいの大きさがありました。当時のNTTの部署はとても風通しがよく、マルチメディアの新しいことはなんでもしようという雰囲気でした。そこで、この組織のトップの常務の部屋へ行って、ちょっと面白いものがあるので見てくれませんか、というとその場で来てくれました。2つのPCの間をメタリックのツイストペアとチオフィ教授からの大きなモデムでつなぎ、6メガバイトのサイズのモナリザのJPEGファイルを一つのPCからもう一つのPCにダンロードしながら表示させました。比較用に、別の2つのPCでISDNでの同じダウンロードを行いました。トップは大変感心して、数日後に呼ばれて、平野ちゃんの言う通りこれからはブロードバンドだ、ということで、そのための大きなプロジェクトを開始することになりました。しかしメタリックのツイストペアではなく、光ファイバーでブロードバンドを推進するプロジェクトでした。メタリック線でメガビットの速度がでることを見せたのですが、モナリザがダウンロードされて表示される速度に心が動いたようです。いまは通信の速度は誰でも身近に感覚的に理解しますが、ADSLの前の時代は、体験としては通信といえば電話しかなかった。例えば、父親は東京めたりっく通信の株主説明会に出席した後、実家のリビングで息子を手招きし、”剛、通信が速いとはどういうことか”と質問しました。
チオフィ教授との最近の会話では、"The technologies used in ADSL went on to VDSL, G.fast, DOCSIS 3.1 and 4.0 in cable and of course WiFi 4,5,6,7, ... and Cellular 4G and after, and most of all help most of the worlds people to internet/data/each other. "とあり、最近のWifiにも反映されているようです。