田渕 豊 (Yutaka Tabuchi)

自己紹介

2006年3月 国立津山工業高等専門学校 情報工学科卒、2008年3月 大阪大学基礎工学部卒、2012年9月 大阪大学基礎工学研究科 博士課程修了 (博士(工学))、2012年10月より東京大学 先端科学技術研究センター 特任研究員、日本学術振興会 特別研究員(PD)を経て2017年4月より 東京大学先端科学技術研究センター 助教、2020年12月より理化学研究所 創発物性科学研究センター、2021年4月より同研究所 量子コンピュータ研究センター。

1996年よりロードバイク、2001年よりクロスバイク、長距離を卒業し2011年よりBMX、2015年より固定ギア(前後ブレーキ付)を乗りこなす。モットーは非日常を探し続けること。

超伝導回路を用いた量子コンピュータの研究

2016年より超伝導量子ビットの集積化の研究を始めました。2017年からERATO巨視的量子機械プロジェクトの研究総括補佐、2018年から光・量子飛躍フラッグシッププログラムの中村旗艦プロジェクトの共同研究者をやってます。2016年当初は3次元空洞共振器中に超伝導量子ビットを配置にする形態を想定していましたが、2017年より集積性の高い超伝導同軸共振器を開発し、量子ビット面の垂直方向から制御・読み出しが可能な方式に取り組みました。さらなる小型化・高集積化のため、最近では二次元平面内に量子ビットが稠密に(びっしり)並んだ場合においても、配線における拡張性が維持できるする素子構造を考案しました。今はその実装段階です。

何が面白いって、できるのかできないのか分からない量子コンピュータを誕生させるその過程そのものを研究するという点です。ハミルトニアンの素子パラメータから量子ゲート、極低温下の配線にわたり、一つのチームを組んでフルスタックに設計でき、自分の手で半田づけしたりネジを切ったりして実装するのは楽しいです。測定結果をもとに、ああでもないこうでもないと設計をレビューしデバッグしている過程もまたひとしおです。

最近の講演たち

近視眼的な観点でいう量子コンピュータ開発は近年勢いを見せており、巨大な企業からベンチャー企業を含め次々に原理実証用の素子が誕生しています。現実に有益な量子コンピュータは数十年後と予想される一方で、その形はまだ何もなく技術的根拠に裏付けられた予想とは言えません。この講演では、現実に有益な量子コンピュータがどのようなものであるか、その形態または様式を議論しています。単なる一個人の一意見ですが、参考になれば幸いです。

超伝導体を用いた量子コンピュータについて、その物理的性質をすこし抽象化して、工学を研究される方をを対象に解説を試みました。有益な問題を解く量子コンピュータの鍵は集積化であることに焦点をあて、超伝導量子コンピュータの抱える潜在的な問題を紹介しています。量子コンピュータの集積化には無くてはならないスケーリング則を少しだけ話題に取り上げ、工学を研究されるみなさんの参加を呼び掛けたいです。

話題: 量子誤り訂正と量子コンピュータ

量子誤り訂正は素晴らしい。たぶん業界の人が誰もがそう思っているはず。量子コンピュータの実現には必ず無くてはならないものだと思っているでしょう。でもちょっと勘違いがあって、誤り訂正なら何でもいいってわけではありません。 量子コンピュータは何もしなければアナログ計算機の一種です。いわゆるアナログ計算に分類されるアナログ量子コンピュータには、難しい拡張性の壁が立ちはだかります。システムサイズや計算深度が大きくなると、とたんに回路構成が難しくなってしまうものが、アナログ。 アナログとディジタル、その観点から量子誤り訂正を眺めてみましょう。

システム屋さんにとって量子誤り訂正導入する大きな意義は計算過程のディジタル化でしょう。この誤り訂正符号が導入される過程の中で、アナログの量子コンピュータは(波動関数の収縮をフルに活用した)ディジタル量子コンピュータに生まれ変わります。もちろんディジタル化による回路規模の肥大化など費やすコストも甚大ではないですが、ディジタル化はシステムを大きくするのに大きく貢献します。論理を担う電圧(=ここでは確率振幅)が、回復論理(restoring logic: ゲートを通るたびに電圧が規定のディジタル値に再生されること)になっているために、要素要素をカスケードしてシステムを大きくすることが可能です。生じる追加のコストは甚大ですが、システム屋さんからして、扱う素子がディジタル素子でないことの方が辛いです。

アナログ素子からディジタル素子へ-この生まれ変わりの過程に量子誤り訂正が位置しています。しかし実は、符号がしきい値を持つか持たないか、それがディジタル化の可否を左右します。逆にしきい値を持たない符号は、誤りを"軽減"することはできますが、本質的にはアナログ量子コンピュータにすぎません。 Googleが量子超越を示した後から、次は量子誤り訂正だと思っている人は多いと思います。しかし「回路に誤りがあるから何とかしないと」、そんなノリで誤り訂正符号の実装をやっているわけではなく、アナログ計算機をディジタル計算機にすることが本質なのです。

Noisy intermediate scale quantum computing (NISQ)ってのは雑音の存在と計算過程が共存する方式と呼びます。誤り訂正符号のしきい値特性をシステム化の観点から説き続けないと、いつまでたってもNISQの時代は終わらないでしょう。postNISQ時代ディジタル量子コンピュータの時代とするために、アナログ計算をファンシーなしきい値なし誤り訂正符号により延命するはやめましょう。 NISQ計算では回路規模が大きくなるにつれ増え続ける誤りに負けてしまいますが、システムサイズがその程度の規模になる場合にはディジタル量子コンピュータに移行する、その決意のもとに”intermediate”という単語が用いられていると思っています。そのことを決して忘れることの無いようにしたいですね。

過去の研究たち

磁性体中の磁化の量子(マグノン)を制御

もともと常磁性スピンを学生の際に研究しており、2012年から強磁性体スピンの素励起であるマグノンの量子制御を超伝導量子ビットを用いて実現しました。単一のマグノンというのは磁性体中のスピンが1つだけ反転した時のエネルギー励起に対応し、励起マグノン数が小さな時には調和振動子として取り扱います。超伝導量子ビットは優秀な電荷センサーとして動作することが分かっていたので、超伝導量子ビットと空洞共振器の複合量子系を作る事で、超高感度な電磁場モードセンサーを構成し、さらに電磁場(特に磁場)をスピンと相互作用させることにより、量子極限と呼ばれる超低エネルギー励起極限における単一マグノンの制御を実現しました。何が面白いって、これイケると思うパラメータ領域の探索や実験装置を構成し、スピード感をもって実験している時ですね。単一のマグノンを光読み出しすることで超伝導量子ビットの状態を光子に乗せることができるようになると、量子コンピュータの大規模化につながる重要な研究分野です。現在は元同僚や学生が、さらに面白い物理の実験を続けてくれてます。

電子スピン量子コンピュータ

2007年から2012年まで、在学中は電子スピン量子ビットの制御に関する研究を行っていました。有機分子中の不対電子対(ラジカル)のスピンが量子ビットになります。常温では量子ビットとして初期化されないため、最初は希釈冷凍機内の試料ステージの設計や、電子スピン分光装置の開発から始まりました。常温で電子スピン共鳴がみられる装置を開発するまで2年かかり(初観測は当時の同期と後輩と感動しました)、極低温で電子スピン共鳴を観測できるまでそこから2年程費やしています。電子スピン共鳴を観測する様々な共振回路を、電磁界計算をしながら設計し、フライス盤や旋盤を使い同期と競うようにたくさん自作しました。Kuバンドのマイクロ波の制御系を開発する際にはマイクロ波の方向性結合器をやバンドパスフィルタを設計しテフロン基板をエッチングして作ってみたり、レジストを塗布するスピンコータを自作してみたりしました(回転中に基板が実験室の端から端まで飛びました)。ハイパスフィルタを導波管から自作してみるとわずかな金属壁の隙間が-50~-60dbあたりでクロストークとなり、フィルタ特性に影響をあったりと、いい経験になりました。本当に楽しい学生時代です。

量子ゲートの自動構成法

2010年、在学中に電子スピン量子ビットをどうすればまともに量子ゲート制御できるか考えていました。不対電子スピンは量子ビットとしての性能は良いものの、必要な相互作用に対して不要な相互作用の影響もあり、良い量子ゲートの構成法が思い浮かびませんでした。その一方で同じ研究室の先輩方は核磁気共鳴に基づくパルス列を自由に使いこなし量子ゲートを構成してゆきます。私もパルス列の設計に取り組みますが、その組み合わせは無限大であり、これはコンピュータに任せようと考えました。まともに計算してはらちがあかないので、実際の実験において良い近似となる平均ハミルトニアン理論を採用し、パルス波形を自動構成する手法を構築しました。

構成法としては成果となったのですが、実際に試してみる実験装置の不完全性による波形乱れによりうまく動きませんでした。この試みは失敗し、技術としては未完成のままですが、このゲートの構成法や平均ハミルトニアン理論は、超伝導量子ビットのゲートを実装する上で私の強力な道具となっています。

量子ゲート実装する波形の歪みの解消

現在、(電子/核/量ドットの)スピン、イオン・原子、超伝導量子ビットにわたり量子コンピュータの量子ゲートを構成する手法は主に磁気共鳴の原理を用いています。磁気共鳴とは、とある二つのエネルギー準位に対して、そのエネルギー間に相当する周波数のラジオ波・マイクロ波・光を照射することで、そのエネルギー準位にある状態を制御する手法です。その制御波形の良し悪しが量子ゲートの良し悪しを決めるのですが、実際の装置では完全に理想的とはなりません。2007年在学中に、たまたま読んでいた日経エレクトロニクスのプリディストータ(事前に波形を歪ませておく)の記事を読んで、これを核スピン量子ビットに用いてみようと思いました。実験は上手くゆき、科学的には成果となったのですが、本当のところはまだまだ非線形素子の歪みがとりきれていなかったり複雑な級数展開または適応モデル推定をしなければならないことが分かり、技術的には未完成です。マイクロ波通信の分野では非線形性の強い進行波管増幅器のアダプティブプリディストータ等、技術はどんどん進歩しているようですね。