石川啄木(いしかわたくぼく)は 岩手県(いわてけん)で うまれました。
石川啄木は 1907年(ねん)9月(がつ)に 小樽(おたる)へ きました。
石川啄木は 新聞(しんぶん)を かいて いました。
石川啄木は 詩(し)〈poem〉を つくって いました。
その詩は 小樽の ことを かいて いました。
しかし、 1907年12月には 石川啄木は 新聞の 会社(かいしゃ)を やめました。
1908年1月に 石川啄木は 釧路(くしろ)に いきました。
『一握(いちあく)の砂(すな)』は 石川啄木の 有名(ゆうめい)な 詩<poem>です。
かいたひと:たなか たろう
短歌(たんか)は、和歌(わか)の 一つの 形式(けいしき)<style>です。
和歌(わか)は 日本(にほん)で いちばん 古(ふる)い 詩歌(しいか)<poetry>です。
短歌(たんか)は 「5・7・5・7・7」の 音(おと)で 作(つく)った 歌(うた)です。
例えば、石川啄木(いしかわたくぼく)の 有名(ゆうめい)な 短歌を みてみましょう。
「はたらけど(5)・はたらけどなほ(7)・わがくらし(5) ・らくにならざり(7) ・ぢっとてをみる(7)」
かいたひと:リンコウヨウ
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
聲の荒さよ
かなしきは おたるの まちよ
うたうこと なき ひとびとの
こえの あらさよ
<この 短歌(たんか)は どんな 短歌(たんか)ですか?>
わたしは 短歌(たんか)〈poem〉がすきです。
小樽(おたる)には 短歌(たんか)〈poem〉を うたう人(ひと)が いません。
人は さわぎます。
その声(こえ)だけが きこえます。
小樽(おたる)は かなしい町(まち)です。
かいたひと:じょうほ さとり
この歌碑 <monument> は、水天宮(すいてんぐう)の なかに あります。
水天宮(すいてんぐう)は みずの 神社(じんじゃ)です。
ここから きれいな 海(うみ)を みることが できます。
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
聲の荒さよ
かなしきは おたるの まちよ
うたうこと なき ひとびとの
こえの あらさよ
この歌碑 <monument> は、小樽公園(おたる こうえん)の なかに あります。
とても きれいな 公園(こうえん)です。
子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
こを おいて
ゆきの ふりいる ていしゃばに
われ みおくりし つまの まゆかな
<この 短歌(たんか)は どんな 短歌(たんか)ですか?>
いまは ふゆです。 ゆきが ふっています。
ここは えきの なかです。
かぜが つよいです。 だから、ここまで ゆきが はいります。
電車(でんしゃ)が きました。 わたしは 電車(でんしゃ)に のります。
電車(でんしゃ)の そとに、 わたしの おくさんが います。
おくさんの 背中(せなか)の うえに、 わたしの こどもが います。
わたしは いまから、 この 電車(でんしゃ)で、 とおい ところに いきます。
ひとりで いきます。
おくさんと こどもは いきません。
おくさんは わたしを みています。
わたしは、おくさんの 眉(まゆ)<eyebrow>を、 みています。
かいたひと:まるしま あゆみ
この歌碑 <monument> は、小樽駅(おたるえき)の ちかくに あります。
アカシアの街樾(なみき)にポプラに秋の風
吹くがかなしと日記(にき)に残れり
アカシアの なみきに ポプラに あきのかぜ
ふくが かなしと にきに のこれり
<この 短歌(たんか)は どんな 短歌(たんか)ですか?>
「アカシア<acacia>の 木(き)や ポプラ<poplar>の 木(き)が みちに ならんでいます。
あきの かぜが かなしいです。」
わたしの 日記(にっき)に、このように 書(か)いてありました。
かいたひと:まるしま あゆみ
この歌碑 <monument> は、札幌(さっぽろ)に あります。小樽(おたる)では ありません。
公園(こうえん)の なかに あります。ちいさい 公園(こうえん)です。
この 公園(こうえん)に、ふるい たてものが あります。とても すてきな たてものです。
しんとして幅廣き街の秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
しんとして はばひろき まちの あきの よの
とうもろこしの やくる にほひよ
この歌碑 <monument> は、札幌(さっぽろ)に あります。小樽(おたる)では ありません。
公園(こうえん)の なかに あります。おおきい 公園(こうえん)です。
この塔 <tower> の 名前は、「さっぽろテレビ塔(とう)」です。とても ゆうめいです。
ここは、むかし、新聞(しんぶん)の 会社(かいしゃ)でした。
いまは ちいさい 病院(びょういん)です。
小樽日報社(おたるにっぽうしゃ)は 1907ねんに たちました。
石川 啄木(いしかわ たくぼく)は ここで 新聞(しんぶん)を つくりました。
友達(ともだち)のしょうかいで 札幌(さっぽろ)から 小樽(おたる)に きました。
友達(ともだち)は 上司(じょうし)〈boss〉と けんかを しました。
友達(ともだち)は 会社(かいしゃ)を やめました。
そのあと 石川 啄木(いしかわ たくぼく)も 会社(かいしゃ)を やめました。
そして、小樽(おたる)を でていきました。
かいたひと:じょうほ さとり