伊藤整

いとう せい

伊藤整(いとう せい)

伊藤整(いとうせい)は 塩谷村(しおやむら)で そだちました。

塩谷村(しおやむら)は小樽(おたる)に ちかいです。 


整(せい)は 小樽(おたる)の 学校(がっこう)に いきました。


整(せい)は 英語(えいご)が 得意(とくい)でした。

詩(し)<poem>が すきでした。


整(せい)は 詩(し)の本(ほん)を かきました。

とても いい本(ほん) でした。


整(せい)は「東京(とうきょう)で 詩(し)を かこう」と おもいました。


しかし、東京(とうきょう)で 人気(にんき)の詩(し)は 整(せい)の詩(し)と ちがいました。

整(せい)は 詩人(しじん)<poet>を やめました。


整(せい)は 外国(がいこく)の 本(ほん)を 翻訳(ほんやく)<translation>しました。

ジョイス<J.Joyce>の 『ユリシーズ<Ulysses>』を 翻訳(ほんやく)したとき、整(せい)は「わたしも 小説しょうせつ<novel>を かきたい」と おもいました。


整(せい)は 小説(しょうせつ)や、本(ほん)の 翻訳(ほんやく)や、文学(ぶんがく)の 研究(けんきゅう)<research>で とても 有名(ゆうめい)です。


かいたひと:のだ たかみ

文学碑 <monument>

「海の捨児」

私は浪の音を守唄にして眠る

騒がしく絶間なく

繰り返して語る灰色の年老いた浪

私は涙も涸れた凄愴なその物語りを

つぎつぎに聞かされていて眠ってしまふ

私は白く崩れる浪の穂を越えて

漂っている捨児だ

私の眺める空には

赤い夕映雲が流れてゆき

そのあとへ星くづが一面に撒きちらされる

ああこの美しい空の下で

海は私を揺り上げ揺り下げて

休むときもない



「うみの すてご」

わたしは なみの おとを もりうたに して ねむる

さわがしく たえまなく

くりかえして かたる はいいろの としおいた なみ

わたしは なみだも かれた せいそうな その ものがたりを

つぎつぎに きかされて いて ねむって しまう

わたしは しろく くずれる なみの ほを こえて

ただよって いる すてごだ

わたしの ながめる そらには

あかい ゆうばえぐもが ながれて ゆき

そのあとへ ほしくずが いちめんに まきちらされる

ああ この うつくしい そらの したで

うみは わたしを ゆりあげ ゆりさげて

やすむ ときも ない

この 文学碑(ぶんがくひ)<monument>は 山(やま)の うえに あります。

ちいさい 山です。

ちかくに 海(うみ)が あります。

海の 詩(し)<poem>が かいて あります。

旧小樽高等商業学校

(きゅう おたる こうとう しょうぎょう がっこう)

 伊藤整(いとう せい)は、この学校(がっこう)の 学生(がくせい)でした。

 いまの なまえは、「小樽商科大学(おたる しょうか だいがく)」です。