学校の概要
本校は宮之浦から安房を経て,県道77号を南西へ下った32kmの地点に位置する。校区は屋久島の南東部にあたり,本富岳(モッチョム岳:標高940m)の麓に海岸に沿う形で細長く続いている。
北側は山地で,南側は海岸へ向けてなだらかな丘陵が広がり,暖かく住みやすい所である。そのため,校区内にはホテルや民宿なども多い。また,島外からの移住者も多く児童数は80人程度であるが,昨今緩やか減少傾向にある。
校区民は,約1700人,900世帯で4つの集落(尾之間,原,麦生,高平)からなる。
主な産物は,ポンカン,タンカン,ジャガイモ,エンドウなどで,ポンカンやタンカンは名産地として名高い。
校区民は,人情に厚く勤勉で,教育に対する関心も高く,協力的である。
職 員
県費職員14人(校長1人,教頭1人,教諭10人,養護教諭1人,事務職員1人)
町費職員 5人(用務員1人,図書館司書補1人,特別支援教育支援員3人)
来校職員 3人(小学校英語指導教師1人,小学校図画工作指導教師1人,ALT1人)
所在地
〒891-4403
鹿児島県熊毛郡屋久島町原3-1
TEL 0997-47-2201
FAX 0997-47-2915
校章について
昭和32年3月8日の学校火災により全てが焼失したため,昭和43年9月23日にPTAより校章旗が寄贈された。
その際に,それまでの校章(稲穂や鎌が描かれているもの)から新校章に変更された。
新校章の図案の考案者や意味などの記載は残っていない。
小の字の背景の△は,「モッチョム岳(本富岳)」を表し,両側の形は「波」を表すものと考えられる。
「シカの角」という捉え方もある。
校歌について
校歌は,第二次世界大戦(太平洋戦争)前までは4番まであったと言われている。戦後,何かの理由で3番がカットされ,
4番が3番となり,現在の校歌になったと言われている。
神山小学校 校歌
作詞 日髙 善一
作曲 岩坪 巌
一 黒潮寄せる 南の 果てなき空に そそり立つ
本富岳の 神さびて 仰ぐ姿の 尊しや
ああ 神山校 わが母校
二 鎮めの森を 背に負いし わが学びやの うるわしさ
不屈の 健児剛健の 意気にもえたつ 若みどり
ああ たのもしき 神山校
三 緑陰ひろき ガジュマルの 夕べに結ぶ 夢しずか
英俊あまた 世にいでし 輝く歴史を 我つがん
ああ 栄えあれ 神山校
(旧三番 不明) ※ 聞き取り等により以下までは分かっている。
三 いで湯の里や とよさかの 恵みに生きる 我らこそ
( )
ああ ( ) 神山校
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