バイオナノマシンはどのようにエネルギーを運動に変換するのか
私たちの体を構成する細胞の内部では、約10ナノメートルほどのタンパク質分子が「バイオナノマシン」として働いています。代表例が、微小管上に沿った細胞内物質輸送や染色体分配などを担うモータータンパク質、キネシン や ダイニン です。
これらの分子の働きは、しばしばコンピュータグラフィックスによって可視化され、整然とした機械のような動きとして描かれます。そのため、一見すると人間が作る精密機械のような運動をしているように感じられます。しかし実際の分子の世界は、そのような単純で滑らかな運動とは大きく異なります。分子は水分子に囲まれた環境の中で、絶えず不規則な熱ゆらぎにさらされながら運動しています。
私たちが暮らす世界の機械では、不規則な熱ゆらぎは正確な動作を妨げるノイズになります。一方、分子スケールの世界ではこの熱ゆらぎは避けられない環境であり、むしろそれを利用して運動が生み出されているようにおもえてなりません。すなわち、バイオナノマシンの動作原理は人間が作る人工機械とは本質的に異なります。
柔らかいタンパク質からなるバイオナノマシンは、このランダムな熱ゆらぎを一方向の運動へと利用する整流機構をそなえ、微小管上を移動しているようです。このとき重要な役割を果たしているのが、ラチェットのような一方向性を実現する機構と考えられます。ある方向に生じたゆらぎは運動として利用されますが、逆方向への動きは抑えられるため、結果として分子は一方向に進みます。
キネシン運動モデルの再検証と外力依存型ラチェットタイプモデルの提案
キネシンの運動機構については、これまで ネックリンカードッキングモデル が広く受け入れられてきました。このモデルでは、モータードメインの末端にあるネックリンカーと呼ばれる短い領域が大きく構造変化することで一方向への力が発生すると考えられています。これは、人間が足首を曲げることで前に進む動きにも少し似ており、直感的に理解しやすいモデルです。
しかし私たちは、この説明だけでキネシンの運動を本当に理解したと言えるのだろうか、という疑問を持ちました。 この仮説を厳密に検証するためには、ネックリンカーの運動への寄与を独立に調べる実験系が必要でした。また、キネシン研究の多くは双頭型(ダイマー)モーターを対象としており、運動する最小構成単位である単頭型(モノマー)モーターがどのように動くのかは十分に理解されていません。バイオナノマシンの運動原理を本質的に理解するためには、この最小単位の振る舞いを直接調べる必要があると私たちは考えました。
そこで私たちは、キネシンの単一モータードメイン(モノマー)の運動を解析する新しい実験手法を開発しました。モータードメインの任意の部位に短いDNA分子やPEG分子を結合させ、それらを基板に固定することで、分子の運動支点を自在に設定する技術です。この手法により、従来の実験では困難だった条件でもキネシンの運動を計測できるようになり、キネシンモノマーがどのように力を生み出すのかをより直接的に検証できるようになりました。
この研究を進める中で、キネシンモノマーの運動は、(おそらく)熱ゆらぎを利用した確率的な過程によって実現されている可能性が見えてきました。また、運動”方向”の決定機構について、従来のネックリンカードッキングモデルだけでは説明できない現象が存在することがわかりつつあります。 こうした事実は、バイオナノマシンの運動の基本原理について、まだ多くの未知(例えば、ATP加水分解の意義や運動方向の決定機構といったことすら)が残されていることを示しています。現在私たちは、運動方向がどのように決まるのかという根本的な問題に迫るため、新しい実験手法の開発と定量解析を進めています。
ナノスケールの「3次元」運動からバイオナノマシンの仕組みを探る
バイオナノマシンの運動原理を理解するためには、ナノメートルスケールの分子の運動を三次元空間で直接観測することが重要です。しかし実際には、多くの研究が三次元でおきている分子運動を二次元平面への投影として解析せざるを得ず、特にモータータンパク質の高速な三次元運動を直接捉えることは容易ではありません。
そこで私たちは、キネシン分子に金ナノロッドを結合させ、偏光測定により分子の微細な回転運動を高感度に検出する手法を用いました。さらに、シリンドリカルレンズを用いた三次元位置検出光学系を組み合わせることで、ナノメートル精度で分子の位置変化を定量化しています。これにより、分子の回転情報(偏光)と三次元位置情報を同時に取得することが可能になりました。この解析から、キネシンチームが微小管上を移動する際、単純な前進運動だけでなく、微小管の長軸に対して横方向成分を伴う三次元的な運動(螺旋運動や自転運動)を行うことが明らかになりました。特に、自転運動の検出は私たちにとっても予想外の発見であり、従来の合理的な運動モデルでは十分に説明できない挙動です。重力や慣性がほとんど働かない微小スケールの世界では、私たちが直感的に想像する以上に、バイオナノマシンが多くの自由度をもって運動しているのかもしれません。こうした三次元運動の解析は、バイオナノマシンの基本原理や運動方向がどのように決定されるのかという問題に、新しい視点を与えると私たちは考えています。
バイオナノマシンの運動を観察するだけでは、それらが実際にどの程度の力を発生しているのかを直接知ることはできません。
そこで私たちは、光ピンセット(optical tweezers)を用いた1分子力学計測を行っています。 光ピンセットは、レーザー光の圧力を利用して微小粒子を捕捉する技術で、ピコニュートン(10⁻¹² N) という非常に小さな力を定量することができます。この方法により、キネシン1分子が発生する力や、外部から負荷が加わったときの運動特性を解析することが可能になります。さらに私たちは、複数の分子モーターが同時に働く実験系を構築し、分子集団がどのように協調して力を生み出すのかという問題にも取り組んでいます。細胞内物質輸送では多くの分子モーターが同時に働くと考えられており、その協調的な力発生メカニズムを理解することは、分子レベルの力がどのように細胞機能へとつながるのかを理解する上で重要と考えているからです。
分子の運動から生命の秩序を理解する。
私たちは、次のような基本的な問いに取り組んでいます。
単一分子の運動計測から、分子集団の力学的協調までを統合的に解析することで、生命システムに特有の設計原理を分子レベルから理解することを目指しています。