わたしたちの学校の自慢は大食堂だ。ここの日替わり野菜のポタージュは絶品で、これをめあてに毎日の訓練を頑張っている子も多い。
今日のポタージュはニンジンとセロリ。ポタージュを添えたAランチのトレイとともに、わたしはうきうきと席に着いた。
「はーあ! つっかれたー!」
いただきます、の寸前に、そんな声と盛大なため息が降ってくる。向かいのイスに座った寮長が、ベジタリアンランチのトレイ越しに身を乗り出してくる。
「聞いてよ、副寮長!」
寮長は入学当時から寮で同室の、うちの学年の首席だ。際限のない回復術を使うことができる、学校でもトップクラスの優等生。たまたま同室だったことから仲良くなり、大した素質もないわたしをご指名で副寮長にまでしてくれた。
あけっぴろげで相手によって態度を変えない寮長が、唯一愚痴を言うのは、決まってあの子のことだ。
「今日もシフォナードさんと訓練だったの?」
「そう、鳥退治。ていうかあれ、もう訓練じゃなくて普通に駆除業務だから」
「だよねえ」
「給料もらったっていいと思わない? これで学費払わされてるんだから、世の中間違ってるわよ」
「わかる。わたしたちほぼ働いてるよね」
「でしょ。それでさあ」
お決まりの文句を連ねたあと、本日の報告が始まる。と言っても、これもそこそこ聞き慣れた内容だ。鳥退治という時点でわたしには先が読めていた。
「相音さん、鳥得意じゃん? 今日もやっぱ主戦力だったんだけど、やってることはあれ、いつものやつよ。腕グチャグチャにしてきて鳥に食わせて群れの真ん中まで来たらバチーンてやつ。見てて汚いんだわ。で、落ちてきて、あたしが復活させて。それが今日、最後に落ちた場所が悪くってさあ」
そこで、寮長はふいに声をひそめた。
「首、なくなってた」
言いながら、親指が肩の後ろを指している。そこにはランチトレイを手にしたシフォナードさんがいて、わたしたちには目もくれずに、グループとグループの間に一席だけ空いたところへ座った。左右のグループに緊張が走る。食べ終わっている子からそそくさとテーブルを離れていく。
シフォナードさんは周囲の喧騒が聞こえない世界にいるかのように、まずサラダを飲んだ。
何度見ても見事だ。校則に従ってひとつ結びにした黒髪が顔を上げる動きにつられて揺れ、喉がごくりと大きく上下すると、顎を引くのにあわせて髪の束はすぐに背中の定位置に落ちる。咀嚼した様子はまったくなく、飲んだ、としか言いようがない。そしてとっておきのポタージュも水のようにぐいっと飲み干し、パンはポケットに入れ、
「うえっ、始まった」
見てもないのに察知した寮長に嫌がられながら、カバンから防水袋を取り出し、二重になっているそれを開き、メインディッシュの豚のトマト煮込みを皿をひっくり返して袋へ注ぎ込んだ。袋を閉じる動作に伴って、強烈な腐敗臭がこちらまで薄く漂ってくる。
こうなると隣のグループは食事途中の子さえ逃げ出してしまう。
「なんかあれ、鳥の好きなニオイの草とか入れてるらしいわよ」
寮長は嫌そうに言って野菜サンドにかぶりつく。わたしは自分の分のトマト煮込みを見た。ナイフを入れるとすんなり切れて、湯気とともにトマトの甘酸っぱい香りが立ちのぼる。これをどれだけ腐らせれば、あんな悪臭になってしまうんだろう。
シフォナードさんはあの防水袋のせいで寮で相部屋の子を泣かせ、泣きつかれた寮長の手配により納戸を改造した部屋に住んでいる。
「あの食べ方もどうかと思うわ。鳥殺しすぎて鳥みたいになっちゃってるのかしら」
わたしは裏方仕事しかできないから、シフォナードさんの戦闘訓練をこの目で見たことはない。寮長の話によると、彼女の得意とする課題は隣国で最も汎用されている改造生物兵器、通称「鳥」の駆除で、その奇怪な戦法は維持科に知らない者はないほど有名なのだそうだ。
鳥は改造生物兵器の中でも生物としての癖を強く残しているため、エサに反応しやすい。それを座学で聞いたその日から、シフォナードさんは鳥退治の前に腐らせた食べ物を四肢に塗りたくり、自ら食われることで鳥たちに上空の群れまで運ばせ、嵐のような雷撃で鳥部隊を一掃してしまう、という戦法を取っている。
同時に、寮長には腕や足をなくしたり、命すら落とした状態で落下してくるシフォナードさんを回収し蘇生する役割が与えられてしまった。
骨折程度ならほかの生徒にも治せる者がいるけれど、命まで戻せるのは寮長だけだ。寮長がいないと成立しない戦法ではあるが、学園側は戦果の高さを気に入ってシフォナードさんと寮長の履修登録を必ず合わせてくるし、寮長には最強の盾が三人組で付き従っているし、現時点では確実なやり方ではある。
だからこそ、みんなと仲良しな寮長は彼女を苦手がっている。
「相音さんのさ、髪が光るのよ」
後輩たちと同級生、ふたつのグループが去り、シフォナードさんも去った大食堂で、ちびちびとポタージュを舐めながら寮長は言う。
「雷を撃つとき、こう、ぴかっ、とさ。もうね、あれ見るとあたし、思うの。あ、死んだって。イヤよね、クラスメイトの死に顔を見慣れてるなんて。それがいつもなんにも感じないような無表情なのも。でも死に顔すらないのは、もっときつかったわ」
「そうねえ」
寮長は優しい子なのだ。わたしも含め、みんなよそよそしくシフォナードさんと呼ぶところを、相音さんと呼ぶのは寮長くらいのものだ。寮にいられなくなりそうなのを見過ごせず、納屋の窓まではめ直してベッドを運んだのも寮長だ。
学園の記録上、寮長ほどの蘇生能力者は一人としていない。シフォナードさんの将来立つ戦場にも、きっといない。卒業後、おそらく同じ道はゆけない同窓生を、何度生き返らせたとしてもいつかは自分がいないために死ぬ、友達もいない女の子を、寮長は心から思って、そうして愚痴を吐いている。
「寮長は頑張ってるよ。シフォナードさんにもきっと伝わってる」
「そうかしら。でもそれって、相音さんにとってはいいこと?」
「いいことよ。きっと」
寮長の、冷めたのにまだ残っているポタージュカップに手をかざす。もうすこし力を発揮してね、と思いを込める。
訓練で見た敵兵が人間みたいだったとか、午後の座学は眠くてかなわないとか、いつものようにどうでもいい話をしながらポタージュを飲み干したころには、寮長はすっかり明るさを取り戻していた。
「さ、午後もがんばらなくちゃ! 放課後、図書館に行かない? 課題の資料探すの手伝ってよ」
「いいよ。わたし、今日は実習の反省会で終わりだから、先に図書館で待ってるね」
「わかったわ」
食器を返却口に返し、足取りの軽い寮長と別れて実習室へ向かう。ニンジンとセロリと、わたしの血液のポタージュは、今日もばっちりみんなを励ましたみたいだ。
質のいい野菜を使って栄養価に配慮するのはもちろん、体液を与えて他者の精神の健常を保つわたしの能力を活かすためには、血液の量と味付けのバランスの調整が肝心だ。国の研究では、対象者に気づかれないほうが効果がよく出るらしいのだ。
実習室に入り、輸液のパックを腕のポートに繋いでシートに座る。生活管理の担当教員がやってくるまではひとりの時間。
寮長にも言えない秘密の時間。シフォナードさんにもそんな時間があるのだろうか。寮長にもそんな秘密があるのだろうか。
卒業して、わたしと別の進路に進めば、もしかしたらすぐにくるってしまうかもしれない学友たち。彼女たちを思っても、わたしはシフォナードさんを心配する寮長みたいな優しい気持ちは抱けない。この秘密はいつか明かす。明かして、寮長にはわたしと同じ人生を歩んでもらう。寮長の幸せに不可欠な存在になる。
「シフォナードさんに、寮長はあげないよ」
くちに出すと決意がより強固になる気がした。この学園の大いなる秘密の内側で、わたしは今日も、小さな秘密のたまごを温めるのだ。
◆学校
『フィオーレ聖命学院』表向きは全寮制のお嬢様学校。才能ある子女を集め教養を磨く。
実際は先天的な異能力者、及び素質がある子供を集め訓練する施設。素質がある子供は投薬や特殊な処置により無理やり"開かせ"、後天的に異能を獲得させる。
他にもそのような学校があるらしいが、少女たちは知らない。
◆少女
『相音(そおん)・花・シフォナード』
(個人名・格・家名)
入学後後天的に異能を獲得した少女。雷撃を操る。
情動が薄く、物静かだが、後天性異能者はその処置の途中で感情を排されることがある。少女が元からそうだったのか、それとも"開かされた"際の副作用なのか知る者はいない。
電流を外に向けて放つ他、自身に流して無理やり身体を動かし爆発的な瞬発力を得ることもする。自身も含めたリソースの使い方が上手い。能力使用中は髪が青白く帯電する。
このまま卒業し、どこぞの工作員になるか、戦争にでも投入されるのだろう。死が身近にあることが、いいことか悪いことなのか、彼女にはもうわからない。
今日も彼女は戦い、傷付き、いずれ来る死へ向けて、歩き続ける。