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I have crossed the Great Seto Bridge many times, and not a day goes by without being moved by the breathtaking beauty of the scenery. I take the JR Marine Liner, or the Takamatsu-Hiroshima express bus, both of which are mainly for commuting, school, or business, but no one take a camera/smartphone to take the picture of the view, mostly. Am I too sensitive to this kind of thing? Or do they get used to seeing the scenery after traveling hundreds of times? But do anyone ever get tired of seeing beautiful scenery?
The scenery created by the islands floating in the calm, mirror-like sea changes from moment to moment, depending on the size and shape of the islands and their relative positions. Every time I see this, I realize that the Seto Inland Sea connects Hiroshima and Kagawa.
On the other hand, if you are interested in the topography, you will also notice that the way it is formed is different in Kagawa and Hiroshima. Hiroshima has a stepped topography with a large distribution of granite, and mysterious rock formations like the summit of Miyajima's Mount Misen can be seen here and there, whereas in Kagawa, lava (magma) made of andesite has formed mesas like Yashima and small rice ball mountains on a granite base, creating a sort of idyllic fairy tale-like landscape. However, both Hiroshima and Takamatsu are alluvial fans, and they share the commonality of being formed by soil and sand carried down from rivers over a long period of time.
We usually take it literally to mean that the islands "float" in the Seto Inland Sea, but in reality, they are connected under the seabed, a fact that is often forgotten in the scenery before our eyes. Although there are differences in topography, there should be a single continuous layer of rock lying there. When I realized this, the image of the Seto Inland Sea as a single plate came to mind. Both Hiroshima and Kagawa are on the edge of a single plate. Although it is distinguished by the names of Honshu and Shikoku, Hiroshima and Kagawa, it is a plate-like topography that has been formed since ancient times, with abundant, quietly rippling water.
Water is also distinguished by the names of rivers and seas, but it also exists as a single substance, as the water that flows out of the rivers pours into the sea, evaporates, turns into clouds, becomes rain, returns to the mountains, seeps into the strata, is purified as groundwater, becomes spring water again, and flows back into the rivers, circulating.
What I feel when visiting Hiroshima and Kagawa is that I have a greater understanding of the unchanging qualities that existed even before they were given names. And I have a real sense of the fact that we shared the same land before we were connected by the Seto Inland Sea.
When traveling from Hiroshima to Kagawa, or from Kagawa to Hiroshima, I recommend a seat by the window on the left hand side as you face the direction of travel. You can aim your camera without worrying about anyone and enjoy the scenery.
瀬戸大橋を何度も行き来しながら,いまだにその風景の息を飲む美しさに感動しない日はない.JRであればマリンライナー,バスであれば高松広島間の高速バスでどちらも主に通勤・通学またはビジネス移動向けの車両だからか,僕の他には嬉し気にカメラを構えてしまう(構えたくなってしまう)人が殆どいないことを訝しげに思いつつも,その風景に見とれてしまう.僕のこの手の感受性が強すぎるのだろうか?それとも何百回も行き来するとさすがに見慣れた風景になってしまうのだろうか?しかし果たして,美しい風景を見飽きるということはあるのだろうか?
鏡面のような穏やかな海に浮かぶ島々が作り出す景色は,その島々の大小さまざまの姿と位置関係と相まって刻一刻と変化する.これを見るたびに,瀬戸内海が広島と香川を繋いでくれているのだと実感する.
一方で地形の方に関心を寄せると,香川と広島とではそのつくられ方が違っていることにも気づく.広島は階段状地形と呼ばれる構成で花崗岩の分布が多くところどころに宮島の弥山山頂のような神秘的な岩倉が見られるのに対し,香川では花崗岩を土台にしながら安山岩からできた溶岩(マグマ)が屋島のようなメサや小さなおむすび山をつくってある種のどかな昔話風の景色をつくっている.ただ,広島市も高松市もどちらも扇状地であり,長い時間の中で川から運ばれてきた土砂で形成された土地であるという共通点がある.
島々は瀬戸内海に「浮かんでいる」と私たちも普段文字通り受け止めて理解してしまうけれど,実際のところは海底で繋がっていることは眼前の景色のうちに忘れ去られがちな事実である.地形の違いはあるものの,そこは地続きのひとつの地層が横たわっているはずなのだ.そのことに気付く時,僕の頭の中に浮かんだのは,ひとつのお皿としての瀬戸内のすがた.広島も香川も,一つのお皿の際にあるのだと.本州と四国,広島と香川という名前で区別されているのだけど,遠い古代から生成されたきた一つのお皿のような地形と,そこに豊かに静かに揺蕩う水.
水も,川と海,という名前で区別されてしまっているけれど,川から流れ出た水が海に注ぎ,蒸発して雲になり雨になり山に還り,地層に沁みこみ地下水として浄化されまた湧水となり川に流れていく循環を考えると,これもまたひとつの物質(substance)としてそこにある.
広島と香川を行き来して感じるのは,名前のつけられる前からある変わらない性質のようなものへの解像度が増してきたこと.そして実は瀬戸内海で繋がる前に同じ大地を共有しているということの「実感」のようなもの.これを今後の活動の拠り所にできる充実感.
最後に.広島から香川,あるいは,香川から広島に移動するときは進行方向に向かって左の窓側の席をお勧めしたい.誰に気兼ねなくカメラを構えることができるから.(
OMORI 展
ビジュアルのデザインは 田部井美奈 さん. https://minatabei.com/
香川を代表する産業のひとつに「花崗岩のダイヤモンド」と呼ばれる質の高い「庵治石」の採掘,加工,流通がある.石材として平安時代から用いられたという記録もあり,主には江戸時代以降,日本全国と取引されてきた.歴史的には,もともとこの地域で暮らしていた人が石工(職人)になったのは僅かで,当時の和泉(大阪府の南部)から呼び寄せられた石工たちが住み着いて現在の産業の礎をつくったと言われている.以来,様々な日常品の加工がなされてきたものの,皮肉なことに石の産業も恩恵をあずかってきた近代化・機械化の発展が,他の安価で加工しやすい素材による競合製品を生み出し,いまでは庵治石の主な用途としては墓石や記念碑というところに落ち着いている.かつて多くあった職人(産業の発展と共に職種が細分化され,それぞれが専門的な技術を持つ)の数も減ってきている.危機感を持つ人がいる一方で,高級石材としての誇りやそれゆえのあるレベルでの "status quo" (現状で満足した状態)と感じるような空気感も漂う.そんな中,商工会の支援を得ながら東京のディレクターなどを迎えて「AJI PROJECT」と銘打った新しい切り口での産業振興の打ち手が始まったのはもう10年ほど前のことらしい.そこで幾つかの試みがあったものの,支援は永久に続くものではない.そこで,その萌芽を引き取り,より先鋭化させて現在運営・ディレクションしているのが,二宮力さん率いる「蒼島」と東京に拠点を置く「KID」デザイナー/クリエイティブ・ディレクターのイトウケンジさんのタッグである.
AJI PROJECT として,世界のデザイナー/クリエイターと協働して作り上げた企画製品「OMORI」展が,産地である庵治・牟礼の対岸にある屋島山頂の交流拠点施設「やしまーる」にて開催されている.同会場の館長である中條亜希子さんに紹介していただき,二宮力さん(蒼島)とイトウケンジさん(KID)に少しの間話を伺った.会場での会話から断片的に語られたトピックを写真と共に再構成してお伝えする.
-今回の展示について.
「OMORI展は,もともとは昨年東京で展示をしたものを,今回こちらの会場用に再構成して展示をしています.庵治石をより世界の人にも注目してもらう狙いもあり,企画のキュレーターとして日本との繋がりも深い David Glaettli を介して国内外の10名ほどのアーティスト/デザイナーと職人たちとの間で協働されたプロダクトとして展開しています(イトウ)」
-イトウさんはご自身がデザイナーでありながら,ここではディレクターとして振る舞われています.AJI PROJECTを通してどんな経験を得られているのでしょうか.
「自分でもデザインすることはもちろんあるんですが,こんな風にディレクターとして,いろんなデザイナーやアーティストの考えに触れながら意見を調整してモノづくりをするということが楽しいというか.海外のデザイナーさんと仕事をしてみて,むしろ日本人よりも丁寧というか,気遣いがあるような気もします.主張も強いけど,ちゃんと相手やつくり手に敬意を払いながら進めてくれるという印象をもっています(イトウ)」
-AJI PROJECTは二宮さんとイトウさんのそれぞれの異なる個性がフィットして独特な質を持っている印象があります.
「AJI PROJECTのわりと当初から,関わっていくメンバーの一人として加わっていたんです.ただ,そのころは全体的に俯瞰してみると色んな人が関わって方向性も合せにくかったようでした.当時は二宮さんのことも,あまりよく知らなかったですし,ちょっと強面というか,積極的かどうかも分からなかったんです.でも,結局 AJI PROJECT が商工会の支援も期限が切れてどうする?ってなった時に,引き取ったのが二宮さんで.それにも驚いたのですが,その後で一緒にやろうと誘ってくださったのも実はサプライズでした.もちろん,庵治石とその振興に関わる仕事に興味は強かったので,二つ返事で引き受けた,というのが新生 AJI PROJECT のはじまりですね(イトウ)」
撮影するイトウさん(中央) と KIDスタッフ立岩さん(右端)と談笑している白いシャツが二宮さん.
「いまの AJI PROJECT は,三つのラインから商品群が構成されています.ひとつは常に生産する”STANDARD”というシリーズ.そして,今回のようなテーマ性のある企画製品.それと,”READY MADE” (既製品の意)と名付けた,各石の生産工房から出る派材を元に,刻印を入れることでひとつの彫刻,あるいは使われ方を相手に委ねるプロダクトとしての石のシリーズです(イトウ)」
「”READY MADE”なんていうのは,職人では絶対発想できないですね.だって,工場にごろごろ生まれてしまう端材なんですから.放っておくと買い取って引き取ってもらって粉砕され,砂利や埋め立て用の資材になってしまうものなんです.それをほぼ端材のまま売ろうというんですから.半信半疑でしたよ.でも東京でオークションをすると,ビックリするほど引き合いがあったんです.今回やしまーるではオークションにせずに価格を決めて販売しています.(二宮)」
-庵治石産業全体にとってこのOMORI展はどういう試みなのでしょうか.
「日本ではまあまあ知られていても,海外の人にとっては庵治石は未知の存在.でも,今回このような形でプロダクトを発表することによって,それらのデザイナーのコミュニティからいろんな新しい繋がりを生み出している.例えば,ある作品は Vitra (design mmuseum:スイス) にディスプレイされるアイテムとしてピックアップされたり.あるいは,建材として使いたいというリクエストでビックリするくらいの量を取引するような打診も受けたりしています(二宮)」
「それでもまだまだ,庵治石の産業全体に与えられる影響としては限定的だということは自覚しています.でも,こういう面白いことに挑戦しないと未来はないでしょうからね.そこはイトウさんたちと一緒に楽しんでやろうという覚悟でいます(二宮)」
イサム・ノグチや流政之といった彫刻家を魅了した庵治石.墓石や石碑としての用途以外に,職人たちの持つ高い技術レベルを活用したこのような製品づくりが少しづつ世界に届きつつある.地球そのものである「石」という天然の資源がもつ古代からのオーセンティシティも,何でもありの素材利用が行き過ぎてしまった感のあるこの時代へのメッセージとして力を持つ.石産業だけでなく,他に豊富にある地域の手工芸的産業のひとつの先行事例として AJI PROJECT のモノづくりの姿勢は世界から注目されている.
開催日時 2025/4/25~5/6 9:00-17:00
場所 高松市屋島東町1784番地6
高松市屋島山上交流拠点施設 やしまーる ホール
お問い合わせ 株式会社 蒼島
TEL 087-814-3890
ある小さな建築の10歳を祝う
広島県三次市のさらに北に位置する県道39線沿いにある道の駅「ふぉレスト君田」をご存じだろうか。道の駅の名前より、むしろ温泉施設「君田温泉 森の泉」と言ったほうがピンとくる人も多いかもしれない。中国自動車道と接続する松江自動車道の口和ICから近いこともあり、寂しげな山間の谷に突然現れる賑やかなスポットである。他に数多ある道の駅と同様駐車場は広く、敷地内には公衆トイレの建屋がある。ガラスの屋根が目を惹く佇まいを持つこのちいさなの建築の正式な名称は「君田そわのにわ-OGINAU」という。しかし当然と言えば当然であるが、殆どの人にはその名前は知られていない。むしろ最近はソーシャルネットワークの影響もあり巷では「ラビリンストイレ」という愛称がついているらしい。
ラビリンストイレ、という愛称はしかし、ある意味このトイレの謂れをよく言い当てている(その理由は後で簡単に説明したいと思う)が、実はこのトイレは穴吹デザイン専門学校の学生グループの設計がコンペの最優秀に選ばれ、その後の実施設計と設計監理を地元の設計事務所と協働し、施工する工務店など多くの大人たちに支えられて2015年3月に竣工したものだ。それがちょうど今年で10周年を迎える。そこで、自分たちの生み出したこの建築の10歳を記念して現地に行ってみよう、ということになった。彼らはいま広島市内だけでなく、島根、福山、そして東京で、それぞれの人生を歩んでいる。広島駅で集合し、一台のワゴンに乗り合って現地に向かった。卒業生同士、久々に顔を合わすメンバーもあり、車内は懐かしい昔話に花が咲いた。道中、山間部に入るにしたがって雪がちらつき始め、現場に着いたときには、10歳を迎えるトイレは一部は鎌倉のように雪に包まれていた。
外観を特徴づけている木製ルーバーに落ちる雪,つもる雪.沁み込んでいく.
勢いでコンペに出す
2013年、広島県がはじめた(おそらく日本初の)学生のための実施コンペ「ひろしま建築学生チャレンジコンペ」通常よくあるアイデアコンペでは、学生は絵に描いた餅はつくれたとしても、実施設計と監理に携わることはない。これに参加して最優秀賞を獲れば、単に学校で授業を受けている以上の経験になることは明らかだった。週ごとに開催していた「空カンゼミ」でこのコンペを紹介すると、1年生だった6名がグループでやると申し出てきた。当時、このコンペに応募できるのは広島にある建築の学校に限定されていた(いまでは全国から応募できるように「なってしまった」)。そして審査員は広島を拠点に活躍する建築家3人と行政担当者が3人。その中で審査員長は地球と建築の関係を問い続ける作品で世界的に有名な建築家の三分一博志氏。審査員の考えを理解して設計をしてくれたら、この規模のコンペであればいい線は行くだろうな、という直観はあった。ただ、それがまさか半年後に本当に最優秀に選ばれ、彼らの設計した建築が出来てしまうとは。シナリオが上手く行き過ぎた気もするが、それは全て彼らのチャレンジが呼び寄せた結果だった。
コンペ応募から設計まで
そんなわけで「空カンゼミ」でコンペ室が立ち上がった。夏休みに、現地の視察や何回かのミーティングを開きつつ、この場所にどのようなトイレが求められているかをリサーチし話し合いが持たれた。コンペでは、今後見込まれる観光客の増加に対応するために、トイレのキャパシティを倍増するため敷地内にこれと同規模の新しいトイレ棟を計画せよ、というオーダーだった。彼らの提案には独特の視点があった。他の提案者がすべて要望通り素直にトイレを「新築」する提案だったのに対し、彼らは戦略的に「増築」という選択肢で勝負することにした。この「逆手を取った」コンセプトは、景観を尊重することにも、工期の見通しやすさにも、経済的かつ機能的(何を機能と考えるかは別の問題ではあるが)にも利点が多かった。何より、新築のために駐車場を削る必要がほぼないことは運営面を考えれば有利なことは明らかだった。あとは、その場所の気候や気象条件を魅力に変えるように、既存棟の外壁に新しく必要な便器を設置し、屋根を延長し、新しい壁を半外部となるルーバー(ブラインド状の羽板を並べたもの)で囲った。新しく延長された屋根はガラスで葺くことにし、新しいトイレのエリアを明るくすると共に、刻々と変わる空の様子がそこに映し出されるようにした。
1年生だった彼らはみんなで手分けをして手描きで図面を描いた。模型もつくりかたを指導しながら仕上げていった。CGの使い方をクラスメイトなどと見よう見まねで作業をした。工業高校で建築を学んできた学生が技術的な部分でリードし、コンセプトを理解し説明に長けた者もいたし、ムードメーカーがいれば、話し合いのファシリテーターとして存在感を見せる者も、ササッと可愛らしいスケッチが得意なのもいて、それぞれが役割を果たしつつ進んでいった。提出したボードは、他の提案者のようにきれいに大判プリントされたものではなく、厚紙にそれぞれの描いた図面やパースを貼り付けた当時にしても極めてアナログなしろものだった(よって完全版のデジタルファイルは存在しないのである)しかし、それでも彼らの提案は狙い通り1次審査を通過し、ファイナリストに残った。2次審査のプレゼンテーションに向けて、考えられる質疑応答対策もしっかり準備した。彼らは普段の授業を担当してくれる多くの講師に自分たちの案を見せ、想定される突っ込みどころを潰していった。そうして、プレゼン当日は6人で役割分担し、模型とスライドを使って説明した。1年生だった彼らはその時まだ審査員の建築家たちのこともそれほど理解していたとはいえず、ある意味彼らの前でプレゼンすることに対し「畏れ多い」という感覚が(おそらく)無かったのも幸いしたのかもしれない。同じファイナリストで建築家を良く知っている大学4年生や大学院生などと比べても堂々としたものだった。プレゼンは公開審査だったのでクラス全員で応援を兼ねて傍聴しに行った。だから、その日の夕方に彼らが最優秀賞として選ばれた瞬間は、クラスメイトにとっても思い出深い一日となった。ちなみに、タイトルにある「OGINAU」はご想像の通り「補う」という日本語から来ている。既存のトイレの不足を補うために最小限の手続きでデザインすることや、6人の個性あるメンバーがそれぞれの得意を活かし不得意を補いあう、という意味も忍ばせて誰からともなく生まれた合言葉になったのだった。
実施設計と施工と予算のプレッシャーを潜り抜けて
秋に協働する設計事務所が決まり、冬に施工会社が決まった。打合せは月イチくらいのペースで行われ、学生たちも交えてぼんやりした「絵」や「模型」でしかなかった想像上の建築が、詳細な数値や収まり、ディテールを伴って図面やモックアップ(実寸などの部分模型)として目の前に現れ、判断し、指示を出していく日々が始まった。現場にも何度か重要なポイントで立ち会わせてもらった。多くの職人さんたちが自分たちの描いた建築を築いていくことに彼らは何を感じていたのだろう。
もちろん予算とも格闘しなければならなかった。実施設計を担当する設計事務所が描いたコストを抑えるための代案の中には、自分たちの設計とは程遠い仕上げになる可能性も含まれていたが、根気強く対案を示し、粘り強く、なるべく原案の良さを失わないように努めた。結果として、妥協した部分はいろいろあるものの、何とかいい建築と呼べるクオリティにはなったのではないかと思う。日本の権威ある業界誌「新建築」(2015年5月号)に掲載が許されたことがそれを客観的に説明してくれることとなった。学生や私を含めた関係者にとっても、これは存外の喜びであった。
そして10年が経った
ラビリンストイレ、つまり迷路のようなトイレ、ということだろう。既存トイレの外側に新しいトイレを増設してひとつの屋根で覆ってしまったために、男子トイレと女子トイレ、障碍者等対応トイレがそれぞれ二つずつ異なる配置と入口を持つかたちで共存しているため迷路のような通路が生まれていることから名づけられたのだと思う。さすがに大きな案内図やサインが至る所に後から設置され、設計側としては少々景観を損ねてしまって残念に思う部分はあるが、そこは利用者目線で考えればにこやかに受け流すしかないだろう。それでも、竣工当時と変わらず、ガラス屋根は浅い勾配で道行く人に空を映し出し、特徴的な外周の木製ルーバーは痛んだ部分は取り替えられ適切にメンテナンスも行われており安心した。またここは豪雪地帯であるため、訪問時は雪に包まれてかまくらのようになっていた。ルーバーの上に苔やキノコをはやしている部分もあった。自然の一部になっていると言い換えればいい風化のしかたではないかと思う。
集客のメインである温泉施設は、コロナ明けに一時営業を中止したが、新しい運営会社が決まり再開してくれたのでますます人出も増えるだろう。ラビリンストイレと呼ばれ笑われても結構。それはこのトイレがここまで語ってきたような独特な履歴を持っていることの証でもある。話題になってくれるくらいでちょうどいい。Instgramでよく再生されているこのラビリンストイレの動画を見たらぜひ、『本名は「君田そらのにわ-OGINAU」ですよ』とコメントしてほしい、とは思うのだけれど。
当時からある説明パネルも色褪せて.「とりかえないと!」
--以下は、今回の同窓会後に卒業生から届いたメッセージを紹介します
清水均さん
現在 SPEAC(東京)勤務
担当に 兜町第7平和ビル、SUPERNOVA KAWASAKI
(当時を振り返って)いつまでに何を決めるのか。設計者と施工者、事業者、多くの人が関わり、検討しながらようやく一つの建築ができあがることを感じれたことです。専門的なことを学べたこと以上に、プロフェッショナルな姿勢を社会に出る前に肌で感じられたことが貴重でした。私たち学生にも皆さん真摯に向き合って意見を聞いてくれましたし、おかげでカッコいい大人に近づきたいなー。という気持ちを社会に出た後ももてたように思います。また、空カンゼミから始まったものが、県の人や地域の人などいろんな人の共通の記憶になったことが、いま思えば感慨深いです。1人で完結できないところが、建築の一つの面白さや醍醐味なのかもしれないとも感じます。
(この経験が成長させてくれたこと)現場を見たり、施工者と話すなかでわかったことも増えたのですが、同時に分からないことも増えていきました。そのまま竣工を迎えたわけですが、この経験に見合う自分にはなれてないなと感じていました。これはこの経験だけでなく、2年間の学生生活を通じて感じていたことでもあります。今日まで続く、このわからない。の消化不良状態が建築の世界への好奇心を維持してくれたのかもな。と思います。この感覚が、東京での暮らしや、共に仕事をする多くの人々からも学びたい、色んな建築の見方ができる場で働きたいと背中を押すきっかけの一つだったんだろうと思っています。
改めてありがとうございます。いろんな問いを投げかけて頂いたことが今日につながっています。
錦織沙希さん
現在 IMU建築設計事務所 勤務
担当に 海士東の長屋 ほか
当時、建築のことはなにひとつわかっておらず、コンセプトのみ理解していたのだなと今となっては思います。メンバーは6人でしたがコンペに向かう本気度も全員違い、(気分的なことも含めて)自分ができることをする、みたいな感じで、みんなそれぞれの個性を発揮してマイペースに取り組んでいたように思います。
今となって思うことは、雪が降ったときにかまくらになることを想定して設計し、雪の日に実際に想定していた姿が現れることが、すごいなと思いました。実務をしていて、自然を相手に風や光、雨、雪を読んで設計し、その通りになってくれることは本当に難しいと実感しているからです。チームだからできた深い考察に今更ながら感動しています。
当時の自分には、根本的には何も変わっていないけど何年経っても楽しく建築をやっていること、毎日一緒に学んでいるクラスのメンバーはけっこう素敵なメンバーだから毎日を大切にして、と伝えたいです!
Yuhei Hashiさん
現在 米軍基地勤務
当時を振り返っても今もですけど、その時に、目の前にあるものに何となく自分の答えを探してるんだろーなーって思いました!右田くんはいつも面白いです。今は米軍基地でアドミンという職業で働いていて英語漬けの毎日です!
学生の頃に自分なりの答えで人生進んで良いんだと気づけたのはみんなのおかげです!
very respectfull ,
森下友也さん
現在 エコデザイン工房(広島市)勤務
新築、リノベーションなど多くのプロジェクトに携わる
提案から実際に建物になる初めての経験をさせてもらったのがOGINAUでした。最初は、身近なところ(実家が三次の君田町)にトイレができる!!という簡単な動機からかかわらせてもらうことになりましたが、本当に実物ができるまで行くとはその時は思ってませんでした。
当時の僕に、今の僕が声をかけるとすると一生に一度のことが起きるから もっとコミットしろ!! と声をかけると思います。(笑)実際のところ、メンバーにおんぶにだっこで、あっという間にコンペ提案当日になってあっという間に竣工式、、、
でも、その中でも勉強することは多くて 一番感じたのは一つの建物に対して、関わっている(関わってくれる)人がとても多いということです。見えていないところでも動いてもらっていた人はたくさんおられると思います。
そしてその一人一人が、どこかにプライドやこだわりを持って仕事をされていることということです。ある人は、早く作業を終わらせるということにこだわりを持ったり、ある人は、小さなおさまりにプライドを持っている大工さんだったり、、、、そして、その一つ一つのこだわりが、一つのものを作っているんだなと感じました。
そして設計士という立場は、そのこだわりをうまくコントロールして出来上がるものがより良いものにしていくことが一番の役割なんだな、今感じてます。実務をするようになった今だからこそ、OGINAUは貴重な経験でした。
OGANAUメンバーに入れてもらえたことに感謝感謝です。
右田拳斗さん
現在 株式会社右田工業 勤務
当時の事で印象に残っているのは予算が無く屋根が全面ガラスから一部ガルバリウム鋼板になった事を覚えています。そこで違う材料を模索せずガルバリウム鋼板にしたことを後悔した事を覚えているし今も思います。当時に戻ったら考え直したいのはそこです。今の僕は設計士として建築には関わってはいませんが鉄骨鳶躯体工事で建築と関わっています。躯体の鉄骨はダイナミックであって伸びやかで躯体の持つ素直な美しさがあると思っています。
仕上げで隠れてしまう事がもったいないなと思う事があります。
それと、設計士として頑張っているみんなが誇らしいです。また会いましょう。
増井和哉さん
現在 MORK建築設計事務所 共同主催
当時の経験の中で印象に残っているのは、工事を進める過程でルーバーの実物大モックアップを製作してもらい、それを確認したときのことです。当時は図面上でしか考えられなかったことが、実物を目にすることで細かな角度や材質などを直接確認でき、考えていたことが形になっていく実感が湧いたのを覚えています。
この経験を通じて、図面だけでは見えない細部の重要性を実感し、より具体的にイメージしながら考える力が身につきました。実物を確認することで、設計と現場の違いを理解し、調整や改善の視点を持つことができるようになったと思います。考えていたことが形になっていく過程を体感したことで、ものづくりに対する責任感と達成感も深まりました。
(当時の自分に伝えたいこと)頭で考えていることが、実物を見ると一気にリアルになる。適当にやってても、いざ形になると考えが変わる。その瞬間が結構大事だと思うから頑張って。
國重奈乃加さん
現在 MORK建築設計事務所 共同主催
当時のメンバーを見ていて感じていたことは、専門学校一年生で建築についてもよくわからず、コンペの意味すら理解していなかった私には、コンペで賞を取るというのは、手の届かない話だと思っていました。メンバーの皆が自分たちの可能性を信じてイキイキとしている姿を見て、単純に羨ましく感じていたと思います。そんな皆が最優秀賞に選ばれたことで、自分にもできるかもしれないと可能性を広げてくれたと思います。
今のみんなを見ていて思うことは、学生時代から見えていたそれぞれの核?芯?(ものづくりに対するアプローチや関わり方、そして人柄など)が、いい意味でそのままでいてくれることに安心します。個性豊かなメンバーだけど、その人らしさを受け入れるおおらかさがみんなにあって、そのおおらかさが君田のトイレにもとても現れているなと改めて感じました。私の建築・デザインの基盤を作ってくれた人たち。そんなみんなが離れた地ではありますが、
各々に自分らしく存在してくれるだけで心強いです!これからもみんなの活躍を感じながら、私もみんなのように自分らしく、進んでいけたらいいなぁ!
温室が好きだ.青々としたいろんな形をした葉っぱに取り囲まれると,そこが実際のところどこであれ,まだ行ったこともない南国のリゾート,あるいはジャングルに瞬間移動した気分になる.そこはマイナスイオンと少しの湿り気のある空気に包まれて,日常から切り離されたオアシスである.
けれども,ここまで都会の中にひっそりと佇む豊かな温室があるとはその存在を知るまでまったく知らなかった(温室が好きとは言ってもつぶさに調べた経験があるほどマニアではないのだので当然と言えば当然なんだけど).きっかけは,谷尻誠さんと吉田愛さんが率いるサポーズ・デザイン・オフィス(広島/東京)がそのリノベーションを担当したことによる.雑誌やインスタグラム等で見る限りカフェスペースやライブラリーも併設してある.植物園の温室ではなかなかこうはいかない.すでに完成して1年半が過ぎているが,当時の写真と比較するとその分植物がグングン育っていたので,ちょうどいいタイミングだったかもしれない.
実際,ここはかなり穴場だと思う.入場料は100円(!)と安く,空間は緑に満たされ,2階のカフェではフレンドリーなスタッフとおしゃべりを楽しむカップルやオフィスワーカーらしき人たち,そして小さな子供連れのお母さんや,高校生まで.ゆったりとした時間が流れる.平日の午後で,カフェの席は半分程度の空きがある.しかし,ウェイティング用のスツールも廊下に並べてあるからひょっとすると休日は混雑するのかもしれない.
その居心地の良さを生んでいるのは,植物だけではない.調和のとれた空間デザインやサイン,ディスプレイなどが上質な佇まいに大きく寄与している.ひとつひとつ,じっくりと吟味されたデザインが押しつけがましくなくそこに調和し,そこで働く人たちの意識や振る舞いを整え,それを通じて空気がある種の豊かさを持つのだ.ここでは,特別な高級さやラグジュアリーさは無いけど,チープで破綻した掲示物や後から持ち込まれた興ざめなグッズも見当たらない.いたるところにマインドが行き渡り運営されている印象がある.小さい規模だからこそ出来ることかもしれないけど,それが居心地の良さの本質のような気がする.
土のトーンのテクスチャのある壁そして看板のグラフィック.スワッグもオシャレ.ひとつひとつがディスプレイとして調和する.
テーブルからデッキとなっている大きな造作までコルク材で仕上げてある.モチーフはキノコ.
エントランスを兼ねたテイクアウトも可能なスタンド.植物園の中には2階に別のカフェがある.
メインアプローチの反対側に,南に面してカーブする特徴的な温室のガラス空間.街並みに隠れてひっそりと佇んでいる.
同センターによると「日本で一番小さい植物園」と謳っている.近くにある渋谷清掃工場の排熱を利用した施設らしい.なるほど,この場所に温室があるのはそのためか,と合点がいく.よく温水プールなどが併設されたりするが,植物園も調べてみると全国に幾つか事例がある.温水プールに比べて,運営のためには専門的な人材が必要に思えるが,こんな温室が日本中に多くできると街にとって楽しめる場所の選択肢がひとつ増えて豊かになる気がする.
昨年(2024年)の暮れあたりから,Instagramでバイラルになって流れてくる動画があった.細長い倉庫のようなソリッドな空間に足場材で組まれたインフィルとしての棚やフロア.天井の高さが何とも日本離れしている.そして壁面のネオンには「THE MUSEUM IS NOT ENOUGH」と挑発的に書かれている.直観的に「行かねば」と感じさせるその空間についてキーボードをたたくと,東京の亀有に新しくできたアートセンターだという.亀有?当然リノベーション対象の空間がそこにあったという理由だろうが,その意外性も面白い.そんなわけで,東京出張の際に立ち寄った.
足場材で組まれたインフィル
木製パレットがカフェのシートとして使われている
TOKYO TOILET プロジェクトへのオマージュかクリティシズムか.洒落が効いている.
THE MUSEUM IS NOT ENOUGH どの美術館のことを指しているのだろうか.
インダストリアルでソリッドな空間は好みが分れるかもしれない.しかし,そこに在るもの,使いまわしがきくもの,オルタナティブな用途を発見的に用いることは,オーセンティックな空間とはまた別のクリティカルなメッセージを宿す.
エリア・リノベーションという言葉をよく聞くようになった.デザインや計画がもたらすものの結果は人の流れだったりする.ここで扱われている,カルチャーとしてのアート,音楽,そしてカフェは,たしかに尖がっているかもしれないが,それだけに求心力があり,関心ある人たちを強く惹き付けるにちがいない.そして近隣にコミュニティが生まれてくる.いろんな記事を読むと,亀有の人たちとのコミュニティづくりも意識しているのが分かる.確かに 空間的には素っ気ないが,スタッフはいたって丁寧でフレンドリーでさえある.「こち亀」の世界観の中に生まれたカルチャーの拠点.東京を訪れるたびに寄ってみたい場所のひとつである.
SKWAT (Instagram)
余談:レコードショップも入っているのだけど,写真が無いのはレコードを探すのに気を取られたから.セレクトも色や時間帯をタグに分けられていたりして独特.そして海外とのネットワークでの仕入れが影響しているのか,売れ筋だからといって高値を付けていないあたりも他のお店に比べて価格も独特.
ここでは,日常の中で見つけることが出来るデザインのエッセンスや,モノやコトへの視点がそれぞれの感性によって語られます.また,UNDESIGNEDを読みながら楽しんでもらうための素敵な音楽のセレクションも一緒に.毎回,UNDESIGNEDのメンバーやゲストの寄稿でアトランダムに構成します.
Here, the essence of design that can be found in everyday life and the perspective on things are talked about by each sensibility. Plus, with a good music playlist for you. Each time, it is randomly provided by UNDESIGNED members and guest writers.
毎回,音楽好きの仲間に「今」聴きたい曲やアルバムをセレクトしてお勧めしてもらいます.
We also recommends nice music which is selected by DJs or people who are loving music so much.
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Team UNDESIGNED of this issue are...
Producer / Editor / Video Editor
Takashi Sasaki
大阪生まれ香川育ち.野球ばかりでデザインとは縁がなかったが,デザイン関連の取材を通して,その考え方やプロセスに惹かれたひとり.
Editor in chief /
Michiaki Nishio
広島生まれ.建築およびデザインと人間の接点から社会や未来を夢想するのが癖.普段は建築を軸にデザインの実践と教育に携わる.
Regular editor / Editorial designer
Maiko Teramoto
広島生まれ.素敵なものが,なぜ素敵なのかを考えがち.もちろんデザインでも.古今東西全ての本と映画を見漁るのが叶わぬ夢.
Correspondents /
Madoka Kikkawa
北海道生まれ広島育ち.デザインとアートの違いや通ずるものに興味を惹かれる.普段は人と関わりながら手を動かして写真を撮ったり商品を創っている.
Akane Mameda
Special thanks for this issue:
Supported by Anabuki Design College Hiroshima