「……俺?」
「そう。あんたよ、雨宮慧」
しばしの沈黙。二月の冷たい空気が、ひんやりと音を立てているのが聞こえてきそうなくらい静かだ。
……俺? いまいち状況が掴めないんだが。
「本当に俺?」
「だからそう言ってるじゃない! ……話を進めるわよ?」
「あ、ああ」
正直まだ完全に呑み込めていないが、これ以上待たせるとアリスがキレそうだし、先に進むしかない。
「あたしがアンタに会いに来た目的は一つ……アンタへの伝言を託されたのよ」
「伝言?」
天使が俺に何の用かと思ったら、伝言だけ?
「そうよ」
「そんなことのために、ここに降りてきたのか?」
「……そんなことって何よ。『神様からの伝言』と言っても、まだそんなことが言えるわけ?」
「なんだと?」
これは聞き捨てならない話だ。神から直接俺に向かって伝言だと? 五十嵐に持たせた携帯電話を通じてじゃなくて、わざわざアリス――ミカエルという天使を寄こして? そんなに重要なことなのか?
「じゃあ、言うわよ。一度しか言わないから、その耳をよーくかっぽじって聞いておきなさいよ」
「お、おう」
そこで、アリスは一息つくと、ゆっくりと朗読するように言葉を紡ぐ。
「『近く、天使セラフィリに崩壊の危機が訪れる。それを防げるのは、かつての光のみだ』」
数秒間、俺たちの間に無言の空気が流れる。
「……これだけ?」
「これだけよ」
「なんじゃそりゃ」
聞く限り、何かの詩のようにも聞こえる。
だが、ここから意味を理解するのはかなり難しそうだ。重要なことは暗示を使って述べられているみたいだし、意味深長で直接的な言及はなされていない。だが、この先に悪い未来が待ち受けている、というニュアンスは何となく理解できた。まるで予言のようだ。
『セラフィリの崩壊』……。ものすごく怖いワードだ。まるで彼女の存在そのものに関わるような、そんな不安なワードだ。だが、伝言の後半には救済策らしきものも述べられている。『かつての光のみ』。これが何を意味するのか、俺にはこの場ですぐに理解することができない。時間をかけてじっくり考える必要がある。
「それにしても、お前、たったこれだけのことを伝えるために、何カ月かかってんの? お前が地上に降りてきてから一カ月半も過ぎているが」
「……それは……セラフィリと一緒に過ごしていたから、思わず夢中になっていただけだし……」
「ダメじゃん!」
本来の目的を忘れて一カ月半も道草食っているなんて、どんな仕事できない天使だよ。
「うるさい! 別にいいでしょ⁉」
「よくねえよ!」
アリスは逆ギレした。売り言葉に買い言葉、いや、この場合はボケとツッコミか? ともかく、言葉の応酬が激化しようとしたその時、キーンコーンカーンコーンと、呑気なチャイムの音が聞こえてきた。
俺たちは、すぐに無言で廊下を猛ダッシュした。