カカオ九十九パーセント事件(俺命名)から一夜が明けた。
その学校も、早いものでもう昼休みだ。
事件からもう半日以上も経っているのに、まだ口の中が苦い……。やはりカカオ九十九パーセントは伊達ではない。もう一生カカオ九十九パーセントは食べないことにしよう、と俺は心にそう誓った。
口の中のほろ苦さを意識しながら、俺は早速弁当を広げるためにもっちーと机をくっつけようとして――
「……レーゲンパラストよ」
「どうした?」
隣を見ると、今日も中二病が絶好調の水無瀬。だが、今はなんだか様子が変だ。妙にもじもじしている。
トイレに行きたいんだったら、俺と話している場合じゃないだろうに。
「その……あの……」
「どうした? トイレだったら早く行けよ」
「違う! 全く、どうして貴様はそんなにデリカシーが無いのだ……!」
俺のその一言に、水無瀬は顔を赤くして怒る。
「す、すまん……。じゃあ、トイレじゃないなら何故さっきからもじもじしているんだ?」
「あ、あう……それは、だな……」
言葉を一旦切ると、さっきとはまた別の種類の赤で顔を染めながら、水無瀬はバッグの中からデカい箱を取り出す。
ま、まさかカカオ九十九パーセントの悪夢の再来か⁉ そんな俺に、容赦なく水無瀬はツッコミを入れる。
「これを……貴様はなぜそんなに身構える?」
「い、いや、昨日色々とあってだな……。それよりこれは、チョコレート、か?」
「う、うむ。そ、その通りだ。も、もしよかったら、う、受け取って欲しい」
彼女は文節の最初の文字を繰り返しながら、その箱を俺の方に押し付けてきた。
「開けてもいいのか?」
「う、うむ……何ならここで食べても良い」
「そうか。じゃ、遠慮なく」
水無瀬の許可が出たので、封を切って箱を開ける。
「おぉ……」
「スゲーなコレ」
隣からもっちーも覗いてきて、二人して驚嘆の声をあげる。
中は仕切りで細かい部屋に分かれていて、その部屋一つ一つに小さいチョコレートが入っていた。形こそ四角形と同じだが、その色は白、茶、黒などと様々だ。明らかに高級チョコレートだと分かる。昨日、姉ちゃんがくれたのと非常によく似ているが、果たして味の方は……。思わず喉がゴクリと鳴る。
「そ、それじゃあいただきます……」
「…………」
目の前で、水無瀬が俺の反応を窺っている。えーい、ここは覚悟を決めて一気に食べるっきゃない!
俺は苦くないことを祈りながら、一番端にあった白いチョコレートをつまむと、一思いに口の中に放り込んだ。
そのまま数秒が経過する。
俺は顎を動かしてひたすら咀嚼する。
もっちーは隣で、俺たちの反応を見ている。
張り詰めた空気が、教室の一角を支配する。
やがて、その圧力に耐えかねたように、水無瀬がフッとため息をついて、残念そうに呟く。
「……そ、その、美味しくなかったか? やはり、我が選択は間違っていた――」
「美味い」
俺は水無瀬が言いかけたその言葉を即座に否定する。
へ? とあっけにとられた顔で、水無瀬は俺の顔をマジマジと見つめる。
そんな彼女の目を見て、俺はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「美味い」
このチョコレートは……涙が出るほど美味かった。
口に入れてすぐに広がるのは、ミルクチョコレートの甘い香り。だが、その中にもしっかりとチョコレート本来の香りも混じっている。
そして、舌に触れた途端に、その一部が溶け出して、口の中全体をミルクチョコレートが支配する。甘さと苦みの絶妙なバランスが何とも言えない高級感を生んでいる。
チョコレートに歯が触れると、そこから滑らかに割れていく。バリッでもカリッでもない。一番近いのは、パリッだが、俺の知っている擬音語では、この歯ごたえを表そうとしても表しきれない。
全てが完璧で、王者にふさわしい。まさに、『人生で食べた中で一番美味しいチョコレート』だった。
「めちゃめちゃ美味しい。ありがとう、水無瀬」
「う、うん……。喜んでくれて嬉しい」
水無瀬はどこか照れくさそうに、しかし嬉しそうに笑う。
「それにしても、こんな美味しいチョコレート、さぞかし高かったんじゃないか?」
「ま、まあ、そこそこのお値段は……」
「いくらくらい?」
「五千円ほど……」
「「ごせんえん⁉」」
マジか……本物の高級チョコレートじゃねぇか……。
「とにかく、ありがとな。大切に食べることにする」
「フッ……当然だ」
そう言ってのけた中二病だが、どこかその声は上ずっているように思えた。