「あ、三十度まで下がった! 続きを言って! 早く!」
「あ、ああ……ごめん。えっと、次はチョコレートの重量の三パーセントのココアパウダーを混ぜるんだと」
「さ、三パーセント……どうしよう、チョコの重さなんて覚えていないよそんなの」
「まあ焦るな。板チョコのパッケージに重さが書いてあるだろ? それを枚数分かければいい」
「おおーなるほど!」
というわけで、必要なココアパウダーの量を計算して、それをチョコレートの中に加える。
「んで、ココアの粉気が無くなるまでかき回して、その後にボウルの底のチョコを剥がすように、時計回りに二十回、反対方向に二十回回すんだとさ」
「おっけー!」
五十嵐が数分間ゴムベラでかき回す。
「できたー!」
「よし、これで『下準備』は終わりだ」
それにしても下準備長すぎじゃね? ちゃんと今日中に作り終わるんだろうな?
というか繰り返すようだがそれ以前に、俺がここにいてもいいものなのだろうか?
確かに料理において不安だから五十嵐が俺を頼るのは分かる。が、果たして女子のバレンタインチョコの制作現場に居合わせていいのだろうか? 事前にネタが分かってしまうと、当日受け取る楽しみが減る。しかし、スマホがあるとはいえ、俺が五十嵐の近くにいることで、彼女の心理的負担を減らすことができる。
二つに一つ。どっちを取るか。
途中で抜けるなら、キリのいい今が最後のチャンスだろう。
俺が短く悩んでいる間に、五十嵐は続きを始めようと宣言する。
「それじゃあ、続きをしようか!」
「ちょ、ちょっと待て」
「なに?」
「あのさ……俺、戦線離脱するわ」
結局、俺は離脱することを選んだ。
「ええっ⁉ なんでー? わたし、慧がいないと料理できないよ~」
「そんなことは無いって。ここにスマホも置いていくし、いざとなれば呼んでくれればいい」
「うん、まぁ、そうだけど……」
「それに」
俺は一旦言葉を切ると、少し恥ずかしさを意識しながらも言った。
「五十嵐がどんなチョコをくれるのか楽しみにしておきたいから、な」
五十嵐はハッ、とした表情をする。そして、じわじわとその頬を赤くしていった。
「そ、そういうことなら……分かったよ」
「そうか。じゃあ、俺はリビングにいるから」
もちろん、リビングにいながら台所を覗く卑怯な真似はしない。
俺はチョコレートの匂いに後ろ髪を引かれつつも、台所を後にしようとして――
「楽しみにしておいてね、慧! 最高のものを作るから!」
と背中に声がかけられた。
振り向くと、やる気に溢れた五十嵐の顔。
重要なのは『上手い』ではない。その人が『作った』ということだ。そこに他者の介在があっては、その独立性が失われてしまう。読んでいた小説の主人公がそんなことを語っていたが、まさにその通りだと、俺は思う。
……この調子なら、きっと上手くいくだろう。期待しよう。
俺はそんな気持ちを込めて、
「おう」
と彼女に返事をするのだった。