昼食そっちのけで、水無瀬とアリスは教室の後ろで取っ組み合いを始めた。
気迫では水無瀬の方が圧倒的に上だったが、取っ組み合いをするときに主に関わってくるのは身体能力だ。一時間目の持久走からも分かる通り、二人は体力的にほぼ互角だ。特別身体能力が優れているわけでもない。だから、膠着状態のまま取っ組み合いは延々と続いていた。
「誰がまな板だぁー!」
「アンタのことよっ!」
うわぁ……。女子って怖ええええぇぇぇぇええええ!
水無瀬は涙目になりつつ、アリスは元の勢いを取り戻しつつ、修羅場を展開していた。騒ぎを聞き付けた他クラスの輩も、教室の後ろのドアからこちらを見ている。
「というか、早くやめさせないとマズいよな……」
でも、俺が間に入るのはあまりよくない気がする。男子だから。事故が起こりそうな気がする。
と、もっちーがスマホを取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。
「……あ、もしもし、先輩っすか? ちょっと手伝って欲しいことがあるんで、今すぐに一年C組の教室まで来てもらっていいっすか? ……あ、はい。じゃ、お願いします」
いったい誰に電話をかけたんだ? 電話口から相手の声が漏れてこなかったから分からなかった。だが、もっちーの電話で呼び出す時のこの口上、なんか聞いたことがあるな……。
数秒後、廊下の方からバタバタと誰かが猛スピードで駆けている音が聞こえてきた。どんどんこちらに近づいているようで、音がデカくなっていく。
そして、野次馬を押しのけて教室に入って来たのは……。
「二人とも、何をやっているのよ⁉」
姉ちゃんだった。
確かに姉ちゃんは力が強いし女子だし、この喧嘩を仲裁するにはうってつけだ。
しかし、そんな姉ちゃんの登場に、取っ組み合い真っ最中の二人は全く気づかない。互いに罵詈雑言を浴びせ続けている。
そんな二人の様子を見て、姉ちゃんは五十嵐の方を向くと。
「五十嵐さん、少し手伝ってもらってもいいかしら?」
「あ、はい」
姉ちゃんの呼びかけに応えて、五十嵐は立ち上がる。いったい何をするんだ?
姉ちゃんはそっと喧嘩中の水無瀬の後ろに近づくと、動き回る彼女の襟首をひょいと掴んだ。
「⁉ なにをす……」
「はいはいそこまでよ~」
ビックリして振り返る水無瀬。そして姉ちゃんの顔を見た瞬間、一瞬で押し黙った。
どんな顔をしているのかは、こちらからは見えないが、きっと冷や汗がだらだら出ているだろうと、容易に想像がつく。
姉ちゃんはその一瞬の隙を突いて、水無瀬を羽交い絞めにした。もちろん、水無瀬はじたばたとなおもしつこく暴れるが、姉ちゃんの腕力には勝てない。ズルズルと引きずられて、アリスから無理やり離される。
一方、その間に、五十嵐はアリスを羽交い絞めにしていた。
「なっ……! ひかり!」
「ごめんアリス、でも悪く思わないで……」
こっちはわりとあっさり捕まっている。抵抗らしい抵抗はしていない。最初に手を出された方だからだろうか。
と、暴れる水無瀬を立たせつつ、姉ちゃんが五十嵐に声をかける。
「五十嵐さん」
「こっちは大丈夫です」
「それじゃあ、行くわよ……生徒会室へ」
「放せー! 金髪牛女めー!」
「誰が牛女だっ!」
二人とも、最後まで罵りながら、割れた野次馬の間を通って教室の外へ連行されていった。
生徒会室に連れて行かれて、多分生活指導の先生に怒られるのだろう。まあ、あれだけの騒ぎを起こしていれば相当かもしれない。
とにかく、ひとまず教室には平和が戻ったのだった……。