「あ゛ー」
「疲れたー」
俺ともっちーは椅子にもたれてグッタリする。
「もう帰らなきゃね」
そんな中、五十嵐だけが疲れた素振りを見せずに荷物を片付けている。
そりゃそうだ、俺たちが疲れているのは、五十嵐に一から数学を教えていたからだ! そのおかげでやる気と元気が削がれた。誰だよ『やる気元気無敵だって金曜日だもん!』とか言ってる奴。全然違うじゃねーか……。
既に外は真っ暗。完全下校時刻も間近だ。俺ともっちーもゆっくりと教科書を鞄の中に放り込む。
それからすぐに図書室を後にして、濃紺の空の下、俺たちは校門を抜け、駅前まで移動した。
もっちーはバス通学なので、俺たち二人とは改札口で別れることになる。
「今日は本当にありがとう、望月君」
「おう。五十嵐さんは慧と同じ方向か?」
「あー、えーっと……」
もっちーは俺たち二人が許嫁だと知っているが、同居していることまでは知らないはずだ。五十嵐はどう答えるべきか迷っているのだろう。
だが、そんな五十嵐の態度で裏を察したのか、もっちーは突然ニヤニヤしだす。
「そうが、許嫁だもんな~。慧、間違いを犯すなよ」
「するか!」
「んじゃ、また明日」
「じゃあな」
「またね~」
もっちーの背中を見送った後、俺たちも家路につく。
周りには、夜も更けてきたからなのか同じ学校の人はいない。だからコソコソする必要はなく、俺たちは普通に並んで改札を抜け、電車に乗る。
「なあ五十嵐」
「ん?」
「お前、他の教科もあんな感じなのか?」
「……違うよ」
「なんだその意味深な空白は」
「違うって。数学みたいな教科は本当に他にないよ」
怪しい……。疑念の眼差しを向けると五十嵐はちょっと涙目になりながら説明し始める。
「わたしはこの世界に来る時に、最低限必要なことを神によってインプットされたの。ほら、学校に通うのは初めてだけど、数学以外はちゃんとついていけてるじゃない」
「……んまあ、そうなのか?」
よく考えれてみれば変な話だ。学校に通っていなかった天使が、何故高校に編入されてもついていけているのか。
「……紀元前二百八十七年古代ローマ」
「はいはいはい、ホルテンシウス法!」
「白金よりイオン化傾向が小さいのは?」
「んーと、金!」
この一週間で習った、数学以外の教科から問題を出してみる。五十嵐は即答。正解だ。
「じゃあなんで数学はできないんだ?」
「それは……四則演算の方法くらいしかインプットされなかったからで」
「だったら何故普段使わないような高校の知識は他の教科ではインプットされてるんだ?」
「うぐ……」
「おかしな話だよなあ。数学だけ四則演算までとか絶対変だろ」
「うぅ~」
俺がキッパリと矛盾点を突いてやると、痛いところを突かれた、という顔をする。こればっかりは神のミスだな。数学に限らず他にも若干知識というか、一般常識が抜けているところがあるが。
「天使の力でなんとかできないのか?」
「ムリ。そんなに万能じゃないし、そもそもわたしは使い切っちゃったもん」
「そうか、なら地道にやるしかないな」
「うん。頑張る!」
これで赤点→落単→留年にならなきゃいいが……。五十嵐の今の学力ではものすごく不安なのだが。
そんなことを自覚するはずもなく、五十嵐はやる気を瞳に漲らせていた。
コイツ本当に大丈夫か? 俺はその様子に不安しか覚えなかった。