カツカツとチョークが黒板を叩く音。
緑の背景に白の字が描かれていく。
今は五時間目の数学だ。
この高校は、そこそこの進学校であるため、授業のスピードも質もかなり高い。よって本来ならば授業に集中するべきなのだが――
「なあ慧」
「……どうしたもっちー」
俺が必死に教科書を睨みながらノートを取っていると、前の席からもっちーが話しかけてくる。
教壇の方をチラリとみると、数学の丹羽先生は文字を書きながら黒板に向かったまま説明をしていた。
教室中はノートに筆を走らせる音で満ちている。先生がこっちを向いていない隙を突いた小声の私語。丹羽先生は厳しいのでバレたら即刻注意される。
「ちょっと気になったんだが……」
「ああ、早く言ってくれ」
こっちはいつ先生がこっちを振り向くのか気が気でない。なるべく早く言って欲しい。
そんな気持ちで急かすともっちーは少し声を大きくして言った。
「じゃ、遠慮なく。お前と五十嵐さんって許嫁だろ」
「ぶはっ!」
思いっきり吹き出した。
ドストレートにも程があるだろ!
「どうした雨宮」
今ので教室中の注目が俺に集まる。先生も黒板に書く手を止めてこっちを見る。
「ゲホゲホゲホッ……唾が気管に入っただけゴホッです、すいません」
「そうか、気を付けろよ」
先生は何事も無かったかのように説明を再開し、それに伴って周囲の視線も俺から外れる。
あー咳が止まらねえ。しかももっちーの奴、こっち見てニヤニヤしているし。
まるで『やっぱりそうだったんだな~』って確信したような顔をしているからなおのことムカつく。
お返しに顔を睨みつけてやったが、もっちーは俺の横から後ろを見ると更にニヤニヤを深めて前を向いた。
「明後日はテストやるぞー」
もっちーのウザったい行動のせいで、先生の話もまともに頭に残らない。
……待て待て、感情的になるな、雨宮慧。一旦落ち着くんだ。深呼吸。
……ふぅ。これで頭は冷えた。それに、咳も結構収まってきた。
はぁ……全く、もっちーは何という爆弾を放り込んでくれたんだ。俺に許嫁がいるという情報、そしてタイミングを見計らったかのように五十嵐が転入。五十嵐が俺の許嫁だと察するのは時間の問題だと思っていたが、遂にバレてしまったようだ。
しかも、否定したくてもこの私語のできない授業中では、それもできない。俺が秘密を隠すのが下手くそだということももっちーは分かっている。ちくしょう、完全に手玉に取られている。
ところで、五十嵐の反応も気になるな。もっちーの声はさほど大きくなかったが、もしかしたら俺の後ろの席まで聞こえていたかもしれない。
先生が黒板に向かっていることを確認して、俺はチラリと後ろの席を確認する。
……五十嵐は、顔を赤くして俯いていた。
アウトォー! これ完全に聞こえていた反応だよね⁉ そうだよね⁉
……なるほど、分かった。もっちーがニヤニヤを深めたのは、俺が睨みつけたからじゃなくて、俺の後ろの五十嵐の反応を見ていたのか!
それにもっちーがちょっと声を大きくしたのも、五十嵐に聞こえるようにしたからだったのか!
五時間目終了のチャイムが鳴る。
もっちーは策士だということを、俺はこの時間に身をもって知った。