「あーもう、疲れたー! 勉強めんどくさいー‼」
とある日の昼下がり。リビングではカヤ先輩がギャーギャー騒いでいた。
彼女の目の前のテーブルの上には、大量の教科書とノート。そして、彼女の頭には『合格祈願!』と書かれたハチマキがまかれている。
その様子を見て、近くのテーブルで優雅にお茶を飲んでいたフローリー先輩がため息をついた。
「あと一ヶ月の辛抱です、カヤ先輩」
「うぅ……」
「そもそも、先輩が修了テストに合格できなかったのが原因ですよ」
「う゛う゛っ!」
「他の十年生の皆さんは、もう卒業してそれぞれ過ごしていらしているのに……」
「フローリー……容赦ないね……」
カヤ先輩はテーブルに突っ伏す。チーン……というおりんの音が今にも聞こえてきそうだ。
もうやめて! フローリー先輩! とっくにカヤ先輩のライフはゼロよ!
現在は、王暦七百六十一年麦の月。俺たちは今月から来月の熱の月の末までの丸二ヶ月間、夏休みとなっていた。
早いもので、この学校に入学してからもう一年が経過する。
もう俺は学校生活に慣れていた。
勉強は順調だ。強いて言うなら、レベルが上になっている科目はついていくのが少し大変だが、落第してしまうほど厳しいわけではない。
人間関係も、最初は皆にドン引きされていたが、徐々にクラスの人たちと話せるようになってきた。それでも、一番の親友がジュリーであることは変わりはないけど。
魔法の鍛錬も順調だ。
クリークに入ってからは、魔力視の訓練を毎日続けている。その結果、今ではなんとか魔力が見えるようになった。
ちなみに、もっと魔力視の技術を向上させると、放とうとしている魔法の種類や、魔力の動き、魔力量までもが推しはかれるようになるのだという。
早くそのレベルに達したいところだ。
一方、剣術の方はあまり練習できていない。そもそも練習相手がいないということもあり、ずっと体づくりに取り組んでいるところだ。
現在は、週に数回ある剣術の授業で、独学で磨くのみとなっている。
改めて振り返ってみると、かなり忙しい日々を過ごしていたんだな。それでも、忙しくて辛い、と思ったことはない。むしろ充実感に満ち溢れていたとさえ思う。
俺の学園生活は順風満帆そのものと言っても過言ではなかった。
そんな俺とは対照的に、カヤ先輩は本当に大変な状況に陥っていた。
カヤ先輩は本来、夏休みが始まる前に卒業しているはずだった。
しかし、なんと彼女は本来合格しなければならない修了テストで、全ての必修科目で合格点を下回る、という謎の偉業を成し遂げてしまった。
当然、合格しないと学校を卒業はできない。しかし、学園もそこまで鬼ではない。なんとか生徒を卒業させるため、なんとか留年を回避させるため、年度末の熱の月いっぱいまで何度も追試を行なっている。
その追試は現在までに三回とりおこなわれており、カヤ先輩は全九教科中七教科で合格をマークできている。
ただし残りの二教科はいまだに赤点。しかもカヤ先輩の超苦手教科だったので、今までカヤ先輩はずっとこんな調子なのである。
ちなみに、現在卒業できていない十年生の先輩は、カヤ先輩ただ一人だ。
「カヤせんぱーい?……寝てるし」
レイ先輩が顔を覗き込むと、ぼそりと漏らした。
夏休みの期間中、カヤ先輩みたいなのを除けば、生徒は思い思いの時間を過ごしている。
大半の生徒はこの期間で実家に帰るらしい。長期休暇はこの夏の二ヶ月と冬の二ヶ月の二つしか設定されてないから、貴重なチャンスなのだろう。
俺の場合、帰ろうとは思っているのだが、ここにいるのが楽しすぎて先延ばしにしてしまっている。
他にも、冬に一度帰宅したし正直別にいいかな、という気がするのもあるし、俺が帰ってもルーナやバルトは忙しいから邪魔かな、と遠慮する気持ちもあるが。
ちなみに、レイ先輩もフローリー先輩も帰るつもりはないのだという。
レイ先輩曰く、学園にいれば生活費や食費はかからないので、家に帰らずできるだけ長くここにいたい、のだそう。
フローリー先輩に関しては、距離的な問題で、長期休暇中に帰ろうとしても、一、二日でトンボ返りする羽目になるらしい。それに、本人ができるだけここで多くのことを学びたい、と言っているのだ。おそらく在学中は実家に帰らないつもりなんじゃないか、と俺は思っている。
だが、たとえ実家に帰っていても、寮に残っていても、ダラダラしていられるわけではない。俺には宿題が大量に出ているからだ。
基本的に、座学は二年間で一つのレベルを履修することになる。そのため、入学して一年目の俺は、そのレベルの授業の前半のみを終わらせただけの状態となっていた。
そして夏休みを挟んで、後半が始まることになる。そのときに内容を忘れていてはいけないから、ということで、宿題が出ているのだ。
ちなみに、夏休み前後で座学のレベルが変わるときは、宿題は出ない。そのため、四年生から五年生に上がるレイ先輩には、ほとんど宿題が出ていなかった。
とにかく、来月末になって、宿題を全くやってない! という状態はなんとしても避けなければならない。そのために、日ごろから少しずつ片付けておかなきゃいけないのだ。
俺は自分の部屋へ引っ込むと、今日の分の宿題を始めたのだった。
※
宿題を終えると、もう夕方になっていた。
リビングに出ると、テーブルの上でカヤ先輩は黙々と勉強に取り組んでいた。
もうギャーギャー騒ぐ気力すらないのか、死んだような顔をしている。
そんな中、フローリー先輩が時計を見て、俺たちに行ってきた。
「そろそろ食堂へ行きませんか? お夕食の時間ですが」
「いきましょう!」
「よし、いこー!」
「カヤ先輩、どうしますか?」
「……うん、じゃあ、いこっか……」
教科書を閉じると、カヤ先輩はフラ〜と立ち上がった。なんか生気を失ったゾンビみたいになっているが……大丈夫か?
俺たちは寮の部屋を出ると、階段で一階に降りる。
そして、食堂へ向かうために、寮のエントランスから外に出ようとした。
が、その時、レイ先輩があることに気づいた。
「あれ? あたしたちの部屋に郵便が来てるよ!」
寮のエントランスには各部屋の郵便受けが設置されている。その中の、五〇九号室のボックスに、一枚の手紙が届いていた。
レイ先輩はそれを手に取ると、宛名を確認する。
「これ、カヤ先輩のだ」
「……私?」
カヤ先輩は不思議そうに、手紙を受け取ったのだった。
※
「……私のお父さんはね、ドルディアで貿易会社に勤めているんだ」
食堂についた俺たちは、同じテーブルに座ると、食事をとりながらカヤ先輩の話を聞く。
もちろん、話題はさっきカヤ先輩に届いた手紙についてである。
「この手紙はお父さんからのでね、一度ドルディアに来なさいっていう内容だったんだ」
「でも、カヤ先輩はまだ修了テストに合格していないじゃないですかー?」
「まあそうだけど……次の追試までまだ時間はあるし、その間に帰省するならいいかなって。それに、たまには勉強する環境を変えたいじゃん?」
確かに、カヤ先輩は相当追い詰められている様子で勉強していた。環境を変えることで気分がリフレッシュされ、パフォーマンスが上がるかもしれないな。
実際俺も、前世で受験勉強をしていて、あまり集中できなかった時に同じようなことをしていた覚えがある。
「でね、一つ皆に聞きたいんだけどさ」
「何でしょうか?」
「手紙の中にね、もしよければルームメイトの人たちもドルディアに来ないか、って書いてあるの。旅費はお父さんが出してくれるし、宿泊先もお父さんの会社の建物を用意してくれるんだって」
「えー! 行きたい行きたい‼︎」
レイ先輩が真っ先に目を輝かせて反応する。
対照的に、フローリー先輩は疑いの目を向ける。
「……そんな破格の条件で良いのですか?」
「だって、この手紙にそう書いてあるんだもん」
カヤ先輩は手紙をフローリー先輩に渡す。彼女は手紙をじっくり読み込むと、顔を上げた。
「確かにそのようですね……」
「どうする、フローリー?」
「……先方が良いと仰っているので、せっかくですから、お邪魔しようかと」
「よし! フォルちゃんはどうする?」
「え、えっと……」
「ドルディアはいいところだよ〜。なんたって、海があるからね! 今回泊まるところも、海の近くだから、空き時間には海で遊べちゃうぞ〜!」
海……! そういえばこの世界に生まれてから、まだ一度も海を見たことがない。この王国の東側は海に面していると知ってはいるが、今まで行く機会がなかったのだ。
このチャンスを逃せば、次いつ海に行けるかわからない!
「行きます!」
即答である。
それを受けて、カヤ先輩が元気よく言い放った。
「よーし、じゃあ皆でドルディアに行こう!」