授業が始まってから最初の十日間が過ぎた。
この頃になると、徐々にクラスメイトとも馴染んできて、クラスの中での立ち位置が定まってくる。
それは俺も例外ではない。
ただし、俺の場合はそれがポジティブなものではなかった。
言い表すのが難しいが、大半のクラスメイトから俺に向けられている感情で一番近いのは、『畏怖』だろう。
つまり、どうやら俺は、自分がこれまで見たことない強大な力を扱うヤバい奴、と見られているらしい。
もちろん、その原因は魔法実技の初回授業で見せた『バースト』である。
それだけではない。どうやら剣術の初回授業で見せた俺の剣技の話も伝わってきているようで、クラスではそれが相乗効果を起こしていた。全く嫌なシナジーである。
しかも、これは魔法科に限った話ではない。一年生の他の学科、特に体育科の人たちからも同じような態度を取られている。
「はぁ……」
「どうしたの、フォル?」
俺がため息をつくと、傍を歩くジュリーが尋ねてくる。
次の授業は国語。ただし、他のクラスメイトたちとは違い、俺とジュリーはレベル二の授業に参加するため、皆とは別の教室へ向かっている。
ジュリーは、多くの人たちとは違い、俺に対しての態度が最初から全く変わらない貴重な人である。俺が授業でやらかす前に、友達になったからだろうか。
ともかく、現状彼女だけが対等に気兼ねなく接することのできる相手として、俺の心の支えになっているのである。
本当に、ジュリーだけには嫌われたくないなぁ……。
「ジュリーがともだちでよかったよ……」
「わたしも、フォルがともだちでいてくれてうれしい」
「くぅ……」
嬉しいこと言ってくれるなぁ! 今の俺はその言葉でどれほど救われているか……!
「ここだね」
すると、ジュリーが立ち止まった。見上げると、三年の魔法科の教室。
ここで間違いないな。ちなみに、国語だけではなく、魔法学もレベル二からの授業になるので、この教室で学ぶことになる。場所を覚えておかなくては。
教室のドアを開けて、後方から中に入る。前の方は主に三年生で固まっていたため、俺たちはいちばん後ろの席に腰掛ける。
着席して教室を見回していると、その一角に見覚えのある人物が座っていた。
確か、名前はアクスだったっけ……。魔法科のクラスで一緒に残ってテストを受けていた人だ。
すると、俺の視線に気づいたようで、彼はこちらを一瞬向く。
だが、すぐにプイッと前を向いてしまった。
……同じクラスなのに、つれないなぁ。
「あのこ、にゅうがくしけんのひっきテストで、二位だったんだって」
「そうなの⁉︎」
「うん、まわりのひとがいってた」
もしかしたら、彼は俺のことが気に入らないのかもしれない。あるいは対抗心を燃やしているか、それとも悔しいのか。
いずれにせよ、無理に関わろうとすると彼の鎧の棘がブスブス刺さってきそうだな……。
そんなことを考えていると鐘が鳴り、レベル二の国語の授業が始まったのだった。
※
「じゃあね、フォル」
「うん」
授業が終わると、ジュリーが席を立った。
次の授業は数学。彼女はレベル一だが、俺はレベル三。ここからまた別々の教室へ移動しなければならない。
確か、次は五年生の教室だったか。五年生というと、十歳とか十一歳とかだ。だいぶ体も大きい。その中に六歳の俺がポツンと混じると、違和感デカいだろうな……。
俺は荷物をまとめると席を立って、廊下に出る。さて、五年生の教室はさらに上の階だ。
階段を上るのめんどくせぇな……。浮遊魔法でのぼろっかな……。いや、でも楽したら体が鍛えられないからな……。
「おい!」
めんどくさいけど、魔法を使わずに上るか……。
「おい、お前!」
ここで、ようやく俺は、先ほどから聞こえる声が、俺に向けられているようだということを察した。
声の方へ振り向くと、そこには一人の男子生徒が腕を組んで仁王立ちしていた。
丸い顔に横に太い胴体。一方、肌はツヤッツヤで、髪型は綺麗にセットされている。
上品さと下品さが混在していて、あまりにもアンバランスだな、というのが第一印象だった。
どうやら先ほど同じ教室で授業を受けていた三年生のようだ。もちろん、俺はこの人が誰なのか、全く知らない……。
……いや、待てよ? なんか見たことあるような気がするな……。
そんなことを考えていると、その少年はズンズンと近づいてきた。そして、俺をビシッと指差した。
「お前、フォルゼリーナ・エル・フローズウェイだろ⁉︎」
「は、はあ……そうですけど」
え、なんでコイツ、俺の名前知っているんだ?
「一年生だよな⁉︎」
「はい」
俺の疑問が解消されないまま、少年はとんでもないことを言い出した。
「おまえ、ズルしているだろ⁉︎」
「はあ?」
思わず腹の底から声が出た。
「聞いたぞ! 今年、まほう科に入学してきたってな! いったい、どんな不正な手段を使ったんだ⁉︎ お前ごときが入れるほど、ここのまほう科はやさしくないぞ!
しかも、国語もまほう学もレベル二、それに数学はレベル三なんてあり得ない! 最初のテストでズルをしたに決まっている!」
あまりにも酷すぎる言いがかりに、もはや俺には怒りすら湧かなかった。
多分、コイツはプライドが高いんだろうな。倍率が何倍もある魔法科に入学したということをステータスにしてきたのだろう。
それが、二学年下に入試トップの成績で入学し、いくつもの科目を飛び級してきた俺という存在が現れた。
そりゃ、プライドをズタズタに引き裂かれたように感じるだろう。
だからこうして、適応機制の『攻撃』が発現しているわけだ。
かわいそうに。俺は一種の同情さえ覚えていた。
「というか、あなただれですか?」
「……!」
すると、コイツは顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
「オレはヴォルデマール・ストライト・リーシュだ! 財務副大臣のストライト・リーシュ家当主モーリスの長男! 知らないのか、地方貴族め!」
あー! そうか! やっと思い出した!
コイツ、三年前に王城のパーティーで俺を殴ろうとした奴じゃん!
ぱっと見全然わからなかった……。あの頃の面影はどこへやら、立派なデブっちょのガキンチョになってやがる。性格はそのままみたいだけどさ。
というかコイツ、王立学園に入っていたのかよ……。しかも魔法科。
さっきコイツは俺が不正していたんじゃないか! とか言っていたが、その言葉、そっくりそのままお返ししたい。
「……ふせいはしていないです」
「うそをつくな! パパに言いつけてやる! お前のうそなんてすぐにバレるんだからな!」
何を言っているんだこいつは。パパに言いつける? 言いつけて何になると言うんだ。
以前、カヤ先輩に聞いたことがある。フローリー先輩は貴族ですけど、あんな感じで接していいんですか? と。
それに対するカヤ先輩の答えはこうだった。
この学園の理念として、学びを受けるものは等しく立場は同じである、と。そのため、外ではどうであれ、この学園内だけは貴族とか平民とかは関係なく、学友として平等なのだという。
外での権力を持ち込もうとする輩もいるけど、王立学園は国王の名のもとに運営される教育機関だから、貴族の権力は及ばないよ、と言っていた。
そのため、奴の言葉はあまりにも不可思議で、滑稽なものだった。
「やってみたらいいんじゃないですか、むだですけど」
思わず失笑しながらそう返すと、奴はキレた。
「このっ、生意気なっ!」
そして、あの時と同じように、拳を俺に向かって振り上げる。
やはり、昔も今も沸点が低いのは変わらないようだ。
だが、前回とは違い、今回は結界が張られていない。そのため、俺はいくらでも奴に対抗する術を持っていた。
さて、どうしようか。なるべくこちらから手を出すのは避けたいところだ。だったら、やはり『避け』の一手が正解だろう。
俺は身体強化魔法を発動し、奴の体の動きをよく見る。模擬戦の最中のシャルの動きに比べれば、奴の動きなんてトロすぎてあくびが出そうだ。これなら余裕で避けられるだろう。
しかし、結論から言えば、俺がそうする前に奴の動きは止まった。
「何をしているのかな?」
「う゛ぐっ゛」
パシン、と奴の手首が何者かに掴まれる。そして、次の瞬間、奴は変な声を出したかと思うと、そのまま力が抜けたような格好になる。
闖入者(ちんにゅうしゃ)だ。どこからやってきたのか、糸目の金髪の少年が、いつの間にか奴の手首を押さえている。少年はその掴んだ右手で奴の体重を支えている。
そんなかなり無理のある体勢にもかかわらず、ヴォルデマールは少年に一切抵抗しない。
いや、抵抗できない、という方が正しいようだ。不自然に体がビクビクと震えて痙攣している。
この少年、奴に何をしたんだ……? 魔法を発動したのか?
だとすると、奴の様子から推測するに、麻痺魔法──聖系統中級魔法の『パラライズ』だろうか。
「て、てめ……」
すると、少年は大きくため息をついた。
「……権力をかさに着て他の人に手を上げるの、本当にやめなよ。みっともないよ」
「……う、ぐ」
彼がパッと手を離すと、奴は床にばたんと倒れた。
その瞬間、どうやら魔法が解けたようで、奴はすぐに立ち上がる。
てっきりその後すぐに少年に殴りかかるかと思ったが、意外にも悔しそうな顔をして少年を睨みつけるだけだった。
「覚えてろよ……!」
奴はそれだけ言うと、ドスドスとその場を立ち去った。その後ろを、慌てて子分らしき数人の生徒が追いかける。
その後ろ姿をしばらく見ると、糸目の少年はふぅ、と息を吐いてこちらを向いた。
「災難だったね。けがは無いかい?」
「あ、はい」
どうやらこの少年は、俺を助けてくれたようだ。奴と同じ三年生だろうか。
「あいつには、できるだけかかわらないほうがいいよ。それじゃあ、またね」
くるりと後ろを向くと、そのまま立ち去っていく少年。
彼の挙げた左手の手首に嵌った虹色の腕輪が、俺の目に強烈に焼き付いたのだった。