フリードリヒは素早く詠唱した。
「『ファイヤーボンバー』!」
フリードリヒの周りに三つの火の玉が出現した。
火系統中級魔法『ファイヤーボンバー』。魔力消費量は二百。火球を打ち出す魔法だ。
しかも、ただの『ファイヤーボンバー』ではない。同一魔法の三重発動(トリプルキャスト)だ。
「伏せろ!」
ハルクさんが叫んだ瞬間、火球は三方バラバラに発射された。
そのうちの一つがこちらにまっすぐ飛んでくる。だが、ルーナが再度発動した風魔法のバリアによって、それは阻まれた。
もう一つの火球は、前へと飛んでいく。しかし、ハルクさんにではない。シャルにだ。
「避けろ!」
「うおおおぁああ! 危なっ!」
シャルはコケそうになりながらも、なんとか避ける。剣術で鍛えた反射神経と、身体強化魔法のおかげだろう。
残りの一つは、後方へ飛んでいく。幸いにも人がいないところに着弾したが、木製の椅子が勢いよく燃え盛った。
「イヤアアァァァアア!」
「うわああぁぁあああ!」
周囲にいた人が悲鳴をあげる。そして、一斉に式場の後ろにある入り口に殺到した。
最初に入り口に到達した人が、ドアを開けようとする。しかし、開かない。いくらドアノブをひねってもガチャガチャいうだけで開かない。
「あ、開かない!」
「くそっ、体当たりだ!」
大柄な男性が、最初に到達した人を押し除け、思いっきりドアにタックルする。しかし、それでも開かない。バァン! と凄まじい音を立て、多少ドアがたわむが、開かない。
「無駄だよ」
そこに、フリードリヒの声。
「僕が入場する時に、ドアに『ボンド』の魔法陣を貼り付けておいたのさ」
『ボンド』。地系統の中級魔法で、魔力消費量は三百。ものを接合する効果を持つ。俺が魔力電池を作る際、リンが魔水晶を接合した魔法と同じものだ。
そういえば、フリードリヒがかつて話していた。スイッチとなる魔法陣と実際に発動する魔法陣を分離して、遠隔で操作することができる、と。もしかしたら、それを使っているのかもしれない。
「てめええええ!」
すると、出席者のうちの一人の男性がフリードリヒに殴りかかりに走り出した。しかし、彼の拳が奴に届く遥か前に、誰かがその行手を阻んだ。
「フウゥゥンッッ!」
「グホゥァアッッ!」
ディートリヒだ。彼は躊躇なく、向かってきた男性を殴り倒した。
「アニキを倒そうとするヤツは、オイラがぶっ倒す!」
ニヒ、と不適な笑みを浮かべ、奴はボキボキと指を鳴らした。
「『ファイヤーボンバー』」
フリードリヒが、再び火球を複数発射する。
その結果、式場のあちこちで、『ファイヤーボンバー』による火の手が上がり出した。
「『ウォーター』!」
そのうちのいくつかは、魔法を使える人によって消火が試みられていた。俺も、近くの火の手に『ウォーター』を浴びせて消化する。
だが、このままでは被害は拡大する一方だ。遠からず死人も出るだろう。それに、フリードリヒを倒そうにも、ディートリヒが邪魔してくる。
どうにかして、奴を無力化できる方法はないものか……。
ああ、結界を張る魔法が使えたらなぁ……。
いや、待てよ……。
ここにもともとあるじゃないか、結界魔法陣!
俺は身を屈めると、長椅子の下の小さな隙間を潜り抜けて、急いで前方へ向かう。
「フォル! どこに……!」
「けっかいをふっかつさせる!」
俺はそれだけ答えると、壇上へ向かう。
幸いにも、フリードリヒは後方に集まっている人に気を取られているみたいで、俺の動きには気づいていないようだ。だが、早くしないと後ろの人たちの中から死傷者が出てしまう!
俺は壇に上ると、端っこの方でうずくまっている司祭に声をかける。
「ねえ、ききたいことがあるんだけど!」
「は、はひぃ……?」
「けっかいまほうじんは、どこ?」
「け、けっかいまほうじん……?」
「このしきじょうのけっかいまほうじん! しってたらおしえて!」
「は、はぁ……でもなぜそれを?」
「いいから! はやく!」
「わ、わかりました……」
司祭は這いつくばりながら壇上を移動する。腰を抜かしてしまっているのかもしれない。
そして、ちょうどハルクさんとシャルが指輪を交換していた場所のカーペットを指差した。
「こ、この下です」
「ありがとう」
俺はカーペットをひっぺがす。すると、司祭の言ったとおり、そこには結界魔法陣が薄い光を放っていた。
だが、普通の魔法陣とは明らかに状態が違った。本来、設置されていた魔法陣に加えて、強引に後から回路が付け足されている。
その回路に繋がれている魔法陣の図形に、俺は見覚えがあった。
これは『反転』を表す図形だ。つまり、『範囲内で魔法を使えなくする』という結界魔法の効果を反転させることで、結界を無効化しているのだ。
タネがわかれば話は早い。これをもう一度反転してやれば、元に戻って結界が正常に発動するはずだ。
付け足された回路を除去するのは難しいだろう。それならば、もう一度反転の図形を強引に付け足してやればよい。
普通、媒質にはミスリルを溶かした塗料を使用する。付け足された回路も、それで描かれている。
当然、この場にはそんなものは都合よく存在しない。
しかし、それ以上に、この場には魔法陣を描くのに適した材料がある。
俺は近くに転がっていたガラス片を手に取ると、右手の指先に当てた。
鋭い痛みと同時に、指先から血が滲む。叫び出したい衝動をグッと堪えながら、血がポタポタと垂れるまで、指を傷つけた。
「なにを……!」
司祭の驚く声を無視して、俺は指先を魔法陣になすりつける。
血は魔力をよく通す。それゆえ、倫理的な問題を無視すれば、最も効率の良い魔法陣の媒質となる!
俺は結界の魔法陣に、もう一つ反転を付け足す。ミスったらやり直しの効かない作業だったが、俺はそんなことを意識する暇もなく、魔法陣を必死に描いていた。
「できた!」
その瞬間、魔法陣は別の意味を付け足され、その効果を指示通りに変えていく。
次の瞬間、フリードリヒが放っていたファイヤーボンバーが、突如として空中で霧散した。
「あれ? 『ファイヤーボンバー』!」
フリードリヒは間抜けな声を出すと、慌てて詠唱する。
だが、魔法は発動しない。
同時に、式場の入り口を塞いでいた『ボンド』の魔法も効果を失う。人々の体重により、ギイイとドアが開く。
「おい、ドアが開いたぞ!」
そのことに気づいた人々が、われさきに、と式場の外へ飛び出していく。
「あっ、おい、待ちやがれ!」
「待て、追うな! ディートリヒ!」
慌てて追いかけようとするディートリヒを、フリードリヒが静止する。
そして、奴はこちらに振り返った。
「そうか、君の仕業か……」
睨まれて一瞬竦むが、俺は気を取り直して睨み返す。
どうやらフリードリヒは、魔法が使えなくなった理由と俺のしたことを理解したようだ。
「フォルには触れさせないよ!」
すると、俺の前にシャルが立ち塞がる。
フリードリヒの魔法が使えなくなったが、それは俺もルーナも同じ。この会場での強さの指標は、暴力の強さに切り替わった。
その点で言えば、優勢なのはいまだにフリードリヒらだ。この場に残っているものの中で、一番腕力の強いだろうディートリヒを擁しているからだ。
こちらにもハルクさんやシャル、バルトなどがいるが、彼らは剣を使ってこそ真の力を発揮するのであって、拳での戦闘はディートリヒには敵わないだろう。
式場が静寂に包まれる。
だが、次の瞬間、予想外の方向から状況は動き出した。
「ハルク・ヴァン・フロイエンベルク殿はこちらにいるか?」
式場内に残った人間の視線が、一斉に式場の後方へ向けられる。
いつの間にか、そこには三つの人影があった。
真ん中の人影が先陣を切り、三人が中に足を踏み入れる。
左から、ガタイのいいおじさん、イケメンな若い男の人、そして二人に比べて背の低い女の人……? だ。
全員同じような服装をしている。簡素だが威圧感を与えるローブだ。胸のところには、王冠と杖、そして剣が意匠されたエンブレム。
違うのは、エンブレムの色だ。左から、赤、水色、緑である。
「……自分だ」
ハルクさんが応答すると、真ん中の、水色のエンブレムの若い男が口を開いた。
「宮廷魔導師団、『水色』のリュード・シュタークだ。此度の、メディラム共和国軍による侵攻計画の告発に感謝する。先程、共和国軍による侵攻を我々が阻止したことを報告する」
「なっ……なぜ、宮廷魔導師団がっ……ここに⁉︎」
フリードリヒはさっきとは異なり、明らかに声を出して驚き、動揺していた。
宮廷魔導師団。名前から考えると、国王に使える直属の魔導師の軍団……だろうか?
彼らがどんな立場の人か詳しくは知らないが、一つだけわかることがある。
この三人……とんでもなく強い……!
ディートリヒのような、見た目からわかるようなものではない。何か強大な力を体の中に秘めていて、それが漏れ出ているように感じるのだ。
言うなれば、『オーラ』。圧倒的なそれにより、この距離からでも気圧されそうだ。
リュードと名乗った男性は、フリードリヒの声を無視し、奴の方を向くと、言葉を続ける。
「もしや、彼がフリードリヒ・ヴィル・フロイエンベルクか?」
「……ああ。隣にいるのが、ディートリヒだ」
「成程……式場の騒ぎを聞き、駆けつけたが、どうやら好都合だったようだ。
メディラム共和国と内通し、我が国への武力行使を誘発した容疑……また、ハルク殿の暗殺容疑……それ以外に結婚式の参加者への殺人未遂、式場の建物の破壊容疑等々により、フリードリヒ・ヴィル・フロイエンベルク及びディートリヒ・ヴィル・フロイエンベルクを、只今を以て拘束する」
そう言うと、そのまま横の二人と一緒に、リュードさんは前へ足を踏み出した。
「動くなぁ! 動いたらたおぶべりゃぁぁっっ!」
ディートリヒが、フリードリヒの前に飛び出して何かを言おうとしたが、次の瞬間、奴は吹っ飛んだ。
遠く離れた長椅子に叩きつけられ、変な声をあげた後、彼は動かなくなった。
最初、何が起こったのか理解できなかった。だが、ディートリヒがいたところに、赤色のエンブレムの人が拳を握って立っているのを見て、この人がディートリヒを殴ったのだと直感的に理解した。
だが、その過程がどうしても理解できない。ディートリヒと彼らの間は少なくとも十メートル以上はあった。
その距離を、瞬きすらしていない人間の知覚を超えるようなスピードで移動した、というのか⁉︎
「ひっ……やめろっ……うわああぉうごぶっ⁉︎」
そして、赤色の人は間髪入れず、フリードリヒを殴って、KO。そして、倒れている二人を担いだ。
「二人の身柄の確保を完了した。ハルク殿へは後ほど連絡しよう。それでは、ご機嫌よう」
リュードさんは、呆然とする俺たちにそう声をかけると、残りの二人を引き連れて、何事もなかったかのように式場を去っていった。