五日後。ついに、フリードリヒ兄弟が、遺跡で密談をする日だ。
テクラスに行く準備は万端だ。
先日作った魔力電池の動作テストは完了し、俺の思った通りに動くことを確認できた。
そして、残った魔水晶も同じように加工して魔力電池にし、正常に動作することを確かめた。
俺の手元にあるそれらには、すべて限界まで魔力を補充してある。
だが、ここまで来て一つ問題がある。
それは、この家からどうやって抜け出すか、だ。
今日はバルトが出勤して、ルーナが家にいる状態だ。しかし、彼女に外出する予定は無いようだ。
二人とも出かけてくれれば都合が良かったのだが、そうも言っていられない。俺はこっそり抜け出すことにした。
「ねえママ」
「どうしたの、フォル?」
「ほんをよむのにしゅうちゅうするから、へやにはいってこないで」
「あら、熱心ね。わかったわ。お昼ご飯ができたら呼ぶわね」
「はーい」
朝食後、俺は二階に上ると、まずシャルの部屋に置いておいた自分の荷物を回収する。
それから、バルトの部屋に入り、ドアを閉めた。
ルーナに言ったこと、あれは嘘だ。
俺が出かけていることを悟られないようにするためのフェイクである。
ルーナの言葉から、タイムリミットはお昼前。できれば、余裕を持って帰っておきたいところだ。
そもそも、俺にはのんびりしている理由はない。密談の時間はもうすぐだ。早くしないと間に合わないかもしれない!
俺は部屋の窓を開けると、窓枠に足をかけ、一気に外へ大ジャンプ!
そして、浮遊魔法を使ってそのまま空中にとどまり、急いで浮上し始める。
冷たく強い上空の風にちょっと抵抗しながら、青空に向かって一直線。
眼下に見える人たちは、誰も俺には気づいていないようだ。
上昇していくと、見えてくるのはラドゥルフの街の形。
もうこの高度になると、長方形のラドゥルフの街並み全体が見える。道ゆく人は、もはや豆粒みたいだ。
さらに上昇しながら西を向くと、そこには緑色の大平原。ところどころ茶色い線が横切っている。あれは道だろう。
反対を向くと、そこにはうっそうと茂る濃い緑。ラドゥルフと直轄地を隔てる大森林だ。
その中を真っすぐに貫き通すラドゥルフ川が、太陽の光を反射して光の帯みたいになっている。
俺が住んでいた街って、こんな構造になっていたんだな。衛星もないこの世界で、この街を俯瞰できるのは、ほとんどいないだろう。
「これくらいでいいかな……」
しばらく上昇した後、俺はその場に留まる。
こんな高さまで上昇したのは初めてだ。魔法を解除したら絶対に死ぬレベルの高さである。
俺はうつ伏せになり、発射体勢になる。コンパスを手に取り、頭を北東へ向けた。
「ルビ、よろしく!」
『はーい!』
『了解っス!』
すると、俺の体はエルの魔法が作り出す空気の膜に包まれる。
さらに次の瞬間、俺の足裏からボッ、ボッ、と小さな爆発が連続する音が聞こえてきた。
その間隔がどんどん短くなると同時に、俺の体は前へ前へとどんどん加速していく。
以前、ルーナの監視下で散々練習していた『マニューバ』だ。だが、あっという間に野原で練習していた頃の最高速度を軽く突破し、さらに速度を上げていく。
眼下の景色が、ものすごいスピードで移り変わっていく。俺の体はすぐにラドゥルフの街を出て、城壁を越えると、大森林の上空へと到達する。
マジで速いな! この魔法のポテンシャルは相当なものだとは思っていたが、まさかここまでとは。
エル、今の速度はどれくらい?
『だいたい時速千キロくらいっスね』
ヤバすぎる! 新幹線の最高速度どころか、標準的な飛行機よりも速いぞ!
と、次の瞬間、ドーン! と大きな音が響いた。
ソニックブーム。この瞬間、俺は音速を突破したのだ。
何も知らない状態ならビックリしていたかもしれないが、俺はこの正体を知っていたので、ちょっとビックリした程度で済んだ。
俺は少し減速して、音速より少し遅い、時速千百キロ程度に速度を保つ。この調子なら、三十分ほどでテクラスに到着できるだろう。
それにしても、『マニューバ』は本当に魔力を使うなぁ……。高速巡航ができる分、魔力の消費が激しい。
俺はポケットから魔力充填済みの魔力電池を取り出すと、そこから魔力を自分に流し出す。
きちんと魔法で使った分だけ魔力が流れ込んでいるみたいだ。とりあえず、飛行はこのまま続けられそうだ。
しかし、問題なのは時間がないことだ。このまま無事にテクラスに到着できたとしても、フリードリヒらの密談にシャルかハルクさんを連れていく余裕はおそらくない。このまま直行して、密談の時間に間に合うかどうか、といったところだ。
そんなことを考えたり、魔力電池を替えたりしていると、いつの間にか大森林を抜けて、眼下の景色がサバンナへ変わっていた。そして、遠くに見覚えのある城壁に、建物群が見えてくる。
間違いない、あれがテクラスだ。
俺はルビとエルに思念を送り、どんどん減速し、浮遊魔法を発動する。
完全に静止したところで、俺はレナに呼びかける。
レナ、あれをよろしく。
『承知!』
次の瞬間、俺の姿は『インビジブル』の発動で見えなくなる。同時に、エルに『ソナー』を発動してもらい、周囲の状況をリアルタイムで把握する。そうやって、俺が降下するところを完全に見られないようにしてから、俺は浮遊魔法を調節して、ゆっくりと降りていく。
降りた場所は、ちょうど遺跡の敷地内だ。前回訪れたトイレの近くだ。
もちろん、入場料金は払っていない。罪悪感を抱きつつも、俺は周囲の状況を把握する。
残念ながら、フリードリヒらの姿は見当たらない。もしかしたら、もう中に入って、密談が始まっているのだろうか?
俺は姿を隠したまま、急いでトイレへ繋がる通路に入る。そして、今度は迷うことなく、トイレではなく、その先にある通路を進み、前回フリードリヒらと遭遇したポイントまで到達した。
さて、ここからどうしよう?
十日前、ここで確かに『十日後のこの時間、この場所で』と言っていたので、この近くにいることは確実だ。だが、ここの通路で話していたわけではなさそうだった。
とりあえず、探索してみよう。
俺は、自分から出る音を殺して、通路を慎重に進んでいく。
フリードリヒらが以前現れた方向へ歩いていくと、不意に進行方向から、微かに人の声が聞こえてきた。
心臓がピッチをあげる。はやる気持ちを抑えて、俺は声の方向へ進む。
近づくにつれ、その声のうちの片方がフリードリヒであることを確信した。もう一つはディートリヒだろう。内容が聞こえてくるほど近づいたところで、俺は浮遊魔法を発動し、通路の天井に張り付く。
どうやら、この先の部屋に二人はいるようだ。俺は魔力電池を握りしめて、ジリジリと近づく。その部屋のドアまであと数メートル。
「では、結婚式に決行ということでいいな?」
「ああ、アニキ。これで、ハルクの野郎をヤれるぜ!」
「上手くいけばの話だ。決して油断するなよ?」
「大丈夫大丈夫、アニキの計画はカンペキだぜ」
ドアの向こうのそんな会話を俺の耳が拾った。
どうやら、俺は到着するのが遅かったみたいだ。しかし、これだけでも重要な情報がいくつもある。
一つ、奴らは自分たちが主体となって行動する計画を立てている。
二つ、奴らはその計画で、何らかの形でハルクさんを害そうとしている。
三つ、奴らの計画は、ハルクさんとシャルの結婚式に実行される。
具体的な計画の内容はわからなかったが、これらの情報が得られたのはデカい。特に、いつ、どのような目的で行動するのかがわかっただけでも、シャルやハルクさんに具体的に警戒を促すことができるだろう。
すると、不意にドアが開いた。中から出てきたのは二人の人間。フリードリヒとディートリヒだ。
俺の心臓が跳ねて、口から飛び出そうになった。思わず声を出しそうになって、慌てて口を塞いだ。その際、握りしめていた魔力電池の端っこが天井にぶつかり、小さな音を立てる。
「誰だ⁉︎」
次の瞬間、フリードリヒが大声を出して辺りを威圧する。俺の心臓の鼓動はさらに速くなる。マズい、見つかったか……⁉︎
見つかったら明らかにマズい。なにせ、この状況、この体勢だ。相手は俺のことを知っているし、話を聞いていたとバレたら、まず間違いなく酷い目に合うだろう。
フリードリヒは周囲をくまなく見渡す。その最中で、何度も俺の方に視線が向けられる。だが、奴の動きから察するに、どうやら俺がそこにいるということはバレていないようだった。
「どうした、アニキ?」
「何か音がした」
「気のせいじゃないのか?」
「……まあ、そうみたいだな」
「大丈夫だぜ、アニキ。こんなところ、誰も来ないって」
「だが、念のためだ。これからの話し合いは別の場所でやろう。日時と場所は追って伝える。いいな?」
「慎重だなぁ、アニキは。でも、その方が安全だもんな。わかったぜ」
そう言って、二人は去っていった。
どうやらバレなかったみたいだ……。
俺は二人が見えなくなったところで浮遊魔法を解除し、地面に降りる。
さて、これからどうしよう。一番いいのはハルクさんやシャルに報告することだが……。かなり難しそうだ。
第一、俺は二人の居場所を知らない。おそらく伯爵邸か、シャルの勤めている学校を訪問することになるだろう。
しかし、伯爵邸を訪ねるのはリスクが高い。なぜなら、伯爵邸はハルクさんの家であると同時に、フリードリヒ兄弟の家でもあるからだ。
では学校を訪問すればよいか、というとそうでもない。今は平日の午前中。学校では授業が行われている。勤務中のシャルにすんなり会える可能性は低い。待たされて、タイムオーバーになってしまうだろう。というかそもそも学校の場所知らないし。
そうだ、手紙を書いて、直接伯爵邸に投函するのはどうだろう? いやいや、無理だ……。リスクが高すぎる。
というか、そもそも手紙を書くための道具を俺は持ってきていない。どこかで買わなきゃいけないが、そのためにはお金を引き出さなくてはいけないし、そのためには銀行に行ってお金を下ろさなきゃいけないし、そのためには銀行のカードが必要だし、肝心の銀行のカードは今手元にはない……。
詰みじゃん!
『フォルゼリーナ様、そろそろ帰らないといけません』
イアがリマインドしてくる。ここまで来て、こんな重大なことを当事者に伝える術がないなんて……。とてももどかしい。
悔しいが、俺には撤退という道しか残されていないようだ。
俺は歯痒さに身を悶えさせながらも、遺跡を出ると、再び『マニューバ』で爆速でラドゥルフへ帰還したのだった。