「いよいよ明日ね……」
夕食の席で、ルーナが感慨深く呟く。
「わたしがこの席で夕食を食べるのも、最後か……」
「本当に早かった二十年間だったな……」
バルトがシャルの向かいの席から言う。
ちょっと声が震えている。目じりには涙。
そりゃ、自分の娘の記念すべき巣立ちだもんなあ。
俺たちは明日からテクラスへと六泊七日の旅に出かける。
結婚式は四日目の昼に執り行われる予定だ。
今はその旅の前日。シャルが一時的に帰ってきて、最後の家族水入らずの時間を過ごしているところだった。
「明日は朝早く出発だから、早く寝るんだぞ」
「はーい!」
シャルが元気よく返事をするが、どこかいつもほどの気力が感じられない。やっぱり、最後の夜だけに寂しいのだろうか。
※
その晩、俺は明日に備えるために、早く寝床に入った。
だが、なかなか寝つけなかった。
だって、シャルが結婚して明日から向こうに行ってしまうんだよ?
剣術の師匠がいなくなってしまうんだよ?
もう寂しくて不安で、心中全然穏やかじゃないよ。
俺は寝返りを何回も延々と打ち、毛布を頭までかぶって羊を数え始めたが、それでも俺は覚めたままだった。
羊の数が千匹を超えたとき、俺はとうとう眠るのを諦めた。
俺はルーナが起きないように、こっそりとベッドから降りて、部屋から出る。
薄暗い廊下を進んでドアを開けた先には、いつもの見慣れた庭があった。
夜でも勢いよく水を噴き上げている噴水には、青白い月光が映っている。
いつものベンチに座って空を見上げると、満天の星空。
前世では人工の光が邪魔をしてなかなか見られなかった光景だけに、かなりの感慨を覚える。
「あれ、フォル?」
すると、背後から突然声。俺は思わずその声の方向へと振り返り、意識せずに彼女の名前が口から出る。
「シャル……」
「フォルも寝られなかったんだね……。わたしもだよ」
シャルはそう言って俺の隣に腰を下ろすと、同じように星空を見上げながら、呟く。
「はあ、ここから空を見るのも今夜で最後か……」
それからは無言で数分間、様々な小さな光に彩られた空を見上げる。
周りには誰もいない。俺とシャルの二人きりだ。
ここで、俺の中にある悩みが芽生える。
シャルに、遺跡で起こったことを、今、伝えるべきか否か。
実際、以前テクラスに行った時に警告はした。それに、この前の密談で、結婚式でハルクさんを害そうとしていることがわかった以上、ますますシャルは無関係ではなくなる。フリードリヒらの企みについては、絶対に知っておいた方がいいだろう。
だが、今日は、シャルがフローズウェイ家で過ごす最後の日だ。こっちにはハルクさんがいない代わりに、フリードリヒもディートリヒもいない。二人きりになるチャンスは十分にあったが、そんな日にこんな重たい話をするほど、俺は野暮ではない。本来ならテクラスに行ってから、しようと思っていた。
それでも、伝えるのは早い方が良いような気がしてきた。テクラスで俺とハルクさんが二人きりになるチャンスはどれくらいあるだろうか? それに、向こうにはフリードリヒ兄弟もいる。どこから漏れてもおかしくはない。
それだったら、事前にシャルに伝えて、シャルからハルクさんに伝えてもらった方がいいんじゃないか? 結婚するのだから、二人が一緒にいる機会は俺がハルクさんと会う機会よりも圧倒的に多いはずだ。
「ねえ、シャル」
「ん?」
「このまえ、わたしがいったこと、おぼえてる?」
俺は意を決して、シャルに話すことにした。
「……なんだっけ、それ?」
「フリードリヒさんにきをつけて、っていうはなし」
「ああ、なんか言ってたね。ハルに何かをしようとしているんだっけ」
「うん。そのないようが、もうちょっとくわしくわかった」
「え、そうなの? どうやって?」
「……ひみつ」
「えー、なんでよ」
「……ジージやママにいわないなら、おしえてあげる」
「言わないよ! わたし、約束は守る女だから」
「……ホントに?」
「ホントだよ?」
「……テクラスまでいって、ぬすみぎきしてきた」
「転移魔法陣を使って?」
「ううん、すきをみてまほうでとんでった」
「……どういうこと⁉︎」
思いの外シャルが食いついてきたので、俺はその経緯を話すことにした。
「というわけで、はなしをきいたわけ」
思いの外、話が長くなってしまった。
それを聞いたシャルは、呆れたような尊敬しているような、何とも言えない顔をしていた。
「というか! そんな危険なことしないでよ! なんかヤバいやつじゃん! 見つかったら殺されていたかもしれないんだよ⁉︎ 現地でわたしを呼ぶとか、お姉ちゃんやパパに相談するとか、まだ他に方法あったでしょ⁉︎」
「……でも」
「あのね、フォル。もうちょっと家族を頼ってもいいんだよ。一人で何でもしようとするけどさ、パパやお姉ちゃんに頼った方が上手くいくこともある。少なくとも、二人はフォルが考えていたようなヘマをするような人じゃないし、相談していれば上手く対処してくれていたと思うよ」
シャルの言葉に俺はハッとする。
俺は、前世では親の言いなりになっていたため、この世界では自由に自分で生きようと決意していた。
だが、それが少々行き過ぎてしまっていたのかもしれない。知らず知らずのうちに、自分で生きようとすることが、いつの間にか自分だけで何でもこなそうとすることに変わってしまい、一人で抱え込んでしまっていた。
俺は、他人への頼り方というのが、まだよくわかっていないのだろう。今までは知らず知らずのうちに最終手段として扱っていたが、もう少しその手段の優先順位をあげてもいいのかもしれない。
シャルはデカいため息をついた。
「で、どんな話だったの?」
「ふたりがいうには……」
俺は、遺跡で盗み聞きした内容を話す。
聞こえた内容自体は少ないのですぐに話し終わった。しかし、その密度はかなり大きかった。
「……なるほどね。ハルになにかしようとしていて、そのための何かを、わたしたちの結婚式にやろうとしている、と」
「そういうこと。これをハルクさんだけに、つたえてほしい」
「わかった」
「ぜったいに、ふたりきりで、だれにもきかれないようにしてね」
「もちろん」
シャルは真剣な顔で頷いた。
その表情を見て安心すると同時に、やっぱり申し訳ない気持ちが浮かび上がってくる。
「……ごめん、シャル」
「なんで謝るの?」
「こんなときに、こんなはなしをしちゃって」
「いいのいいの! というか、話してくれてありがとう。お手柄だよ!」
すると、シャルはやや強引に、俺の頭をワシワシと撫でてくる。
「絶対に、フリードリヒとディートリヒの悪事を阻止するから。安心して」
「……うん」
力強いそのシャルの声に、俺は安心感を覚えた。
すると、シャルはベンチから立ち上がった。
「ほら、フォルももう寝なきゃ。明日起きれないよ」
「……うん」
俺はシャルの手を握って、一緒に家へ戻ったのだった。
※
翌朝。目を覚ますと、すでにルーナの姿はなかった。
俺はベッドから降りると、一階のリビングへ階段を下りる。
「おっはよー!」
「おはよう、フォル」
「おはよう」
すでに、俺以外の三人がそこにはいた。
そして、リビングを見回すと、一つあることに気づく。
「もうドレス?」
「うん」
シャルがもうドレス姿になっていた。ウエディングドレスだろうか?
それにしてもそれを着るには早過ぎないか? だって、まだ結婚式の三日前だよ?
もしかして、後から調整するために一旦着ているだけなのだろうか?
「なんで?」
すると、バルトが答える。
「ラドゥルフの市民がシャルを見るのは、今日が最後だからだ。最後くらいは着飾った姿を見せたいだろう?」
「なるほど」
「フォルはちゃっちゃと朝ご飯を食べちゃいなさい。食器も洗わないといけないから」
「うん」
「ここに着替えを置いておくから、食べ終わった後に着替えるのよ」
朝食後、食器をキッチンに運ぶと、早速パジャマから着替える。
普段は動きやすい服だが、俺が今着るように言われた服は、王都のパーティーに参加した時のような、ひらひらしたやつだった。
動きにくいからあんまり着たくないんだけどな……。
「なんでこのふく……」
「皆、一緒に馬車に乗るからな」
確かにシャルだけハレの日の服装で他がケの日の服装だったらおかしいよな。
着替えた後、俺は二階に上がり、荷物の準備をする。
「フォルー、行くわよー」
荷物を詰め込んだところで、階下からルーナの声。出発の時間だ。
俺ははーい、と大声で返事をすると、ドタドタと階段を降りる。
既にルーナたちは玄関で俺を待っていた。俺は急いでルーナたちを追う。
「この家とはいったんお別れだね……」
シャルは外に出たところで振り向いて、俺たちのホームを見上げる。
「暇で遊びに来たくなったら、いつでも来ていいからな」
「うん、ありがとう」
シャルはきっぱりと視線を前に向けると、歩き出した。
俺たちはシャルの背中を追って、門番の敬礼の間を通って外に出る。
その瞬間、爆発的な歓声が左右から勢いよく俺たちを包み込んだ。
俺たちが驚いて左右を見渡すと、そこには大通りに集まった人、人、人。
市民が集まって俺たち一行を見送っているのだ。
こんなに大勢の人が集まっているのを見るのは初めてだ。むしろ、ラドゥルフにはこんなに人がいたんだ、とさえ思ってしまう。
そんな人数の市民が、シャルのために集まってくれているのだ。この街で、シャル、ひいては俺たち一家がどれほど好意的に受け取られているのか窺える。
俺たちは、沿道の民衆に手を振りながら、家の前に停まっていた馬車に乗り込む。今までのそれとは違い、今回乗り込んだのは、ガラスの部分が多く、外からよく見えるような作りになっていた。
「では、行こう。テクラスへ」
大歓声の中、馬車は転移施設へ向けて、ゆっくりと走りだした。