ついにテクラスに滞在する最後の日となった。
ようやく、連日のこの暑さにも慣れてきたところだが、もう帰らなければならない。
身内の結婚とはいえ、ラドゥルフの政(まつりごと)をいつまでも放っておくわけにはいかないのだ。
幸い、結婚についての話し合いは終わり、シャルとハルクさんは正式に両家から婚約が認められ、結婚式場の場所や日時も決定した。
あまりにもトントン拍子に決まったため、最終日の予定がなくなってしまったくらいだ。
そのまま一日繰り上げて帰ってもよかったのだが、前日に、シャルがある提案をしてきた。
「ねえ、せっかくならテクラスを観光していってよ」
俺たち三人に、その提案を断る理由は特になく、むしろ観光したかったため、その案を満場一致で可決した。
というわけで、今朝。俺たち一家は、伯爵邸を馬車で出発した。
夜の間に冷えたのか、気温はラドゥルフよりちょっと低い。砂漠機構特有の気温差だ。
馬車は、南の方向へと大通りを進み、中央広場を通過する。
すると、大通りの両サイドに露店が現れ、急に人々で賑わい始めた。
「この通りでは、毎日朝市が開催されているんだよ」
「そうなのね」
活気に満ちる市場を通過すると、今度は目の前に大きな城壁が現れた。
それを通り抜けると、遠くにもう一つ城壁が見える。
「なんか、おうとみたい」
「どういうことだ?」
「だって、りっぱなじょうへきがふくすうあるから」
「ああ、それはテクラスが王都と同じ機能を持つ都市だからだな」
「どういうこと?」
「王都は、もともと初代国王陛下が魔物から民を守るために造られた城塞が由来となっている。そのため、人口が増えて場所が足りなくなると、二重、三重に城壁が大きくなっていった。
テクラスも同じく、人々を守るための機能を持つ。ただし、それは魔物に対してではない」
「じゃあ、なにに?」
「敵国だ」
敵国ということは、アークドゥルフ王国ではない、別の国。ここは王国の北部にある。つまり、この場合想定している敵国というのは、そのさらに北にある国、つまり……。
「『メディラム共和国』?」
「ああ、そうだ」
アークドゥルフ王国の北には、メディラム共和国という国がある。詳しくは知らないが、今の話からするに、どうやらこの国とはあまり仲がよろしくないようだ。
「彼の国に対する軍事拠点、そして防衛拠点としての役割を持っているのが、テクラスなんだ」
「へー」
「へぇ〜」
「シャルは学校で習ったんじゃないのかしら?」
「えー、知らなかったよー」
「……結婚後、しばらくはここで暮らすことになるのだから、覚えておいた方がいいぞ」
「わかった」
そんな話をしている間にも、馬車は街道をどんどん進んでいく。
「あ、見えてきたよ」
シャルが指で示した先にあったのは遠くからでも異彩を放っているのがわかる建物だ。近づくにつれて、その全容があらわになる。
黄褐色の石材で造られている、巨大な錐形の建物だ。しかし、明らかに周りの建物とは年季が違う。何かの神殿のように見える。
「あれがテクラスの観光名所の、『遺跡』だよ」
そのままの名前だな。
俺たちは馬車を降りると、さらに近くまで歩く。
「どれくらい前からあるのかしら?」
「さあ? 王国が建国する前から、この場所にあったみたいだよ」
ということは、少なくとも七百年以上前の建物ってことか。すごいな。
「じゃあ、中に入ろっか」
「入れるのか?」
「うん。お金を払えば、中が見られるよ」
俺たちは近くの受付で入場料を支払うと、遺跡の中に入る。
「この遺跡は、この地に住んでいた先住民族が、彼らの神様を信仰するために造った施設らしいよ」
遺跡の内部は、主に四つの部屋で構成されていた。
入場してすぐにあるのが『儀式の間』。今俺たちがいるところだ。
「この部屋の床には溝が掘られているでしょ? これは魔法陣の形になっているらしくて、この溝に魔力を通す液体を流して、魔法を使っていたみたいなんだ」
確かに、俺たちが乗っている足場の下にある床には、複雑な模様がびっしりと掘られている。じっくり見ていると、目が回りそうだ。
そこから奥に進むと、次に現れるのは『石板の間』。
石造りの本棚のようなものが、ずらっと並んでいる。
ただし、そこには一切石板は無かった。
「ここの石板は今王都で保存されているよ。解読も試みられているけど、わたしたちが使う文字とは全然違うから、なかなか進んでいないみたい」
俺たちは順路に従ってさらに奥へと進んでいく。
次に辿り着いたのは、とても大きなホールのような場所だった。
部屋の一番奥は一段と高くなっていて、豪華な装飾の跡が残っている。
「ここは『祈りの間』。人々はここで神に祈りを捧げていたらしいよ」
「ね、シャル」
「ん?」
俺はさっきからぺらぺら解説を喋っているシャルに訊ねる。
「いせきにくわしいけど、きたことあるの?」
「もちろん! ハルと何回もここに来たからね〜。ま、説明は全部ハルの受け売りだけど」
ちょっと照れた様子で、シャルはそう言った。
どうやら遺跡デートは何回もしているようだな……。ラブラブカップルめ。
と、ここで、俺の体に異変が訪れる。
「シャル」
「どうしたの?」
「……トイレにいきたい」
「トイレ? えーっと……確か外にあったんじゃないかな……」
「いってくる」
「あ、ちょ、フォル!」
俺はそれを聞くや否や猛ダッシュする。
ちょっとやばいかもしれない。急がなければ。
俺は最後の部屋を通過すると、遺跡から出る。
シャルは外にあると言っていたが、トイレらしき建物や標識は見当たらない。
俺は急いで、近くの施設の職員にトイレの場所を聞く。
「トイレはこの遺跡の裏側にあるよ。ここからぐるっと回っていって……」
「ありがとう!」
本当にもれそう。話を最後まで聞く余裕がなかった俺はダッシュして、遺跡の裏側へ向かう。
そして、無事にトイレを見つけ、用を済ませた。
……ふう、なんとか間に合ったぜ。
このトイレは、どうやら遺跡の一部をそのまま活用しているようで、遺跡の建物の中に存在していた。
トイレから出ると、俺は狭い通路を進んで、遺跡の外に出ようとする。
しかし、進んでも進んでも外に辿り着けない。
「まよったかも……」
どうやら、トイレから出る際、間違った方へ行ってしまったみたいだ。
あまりにも焦っていて、トイレへ至る道がうろ覚えになってしまったのだ。
とりあえず、まず一旦トイレに戻ろう。俺は来た道を引き返そうとする。
「……ハハハハハハ」
すると、背後の曲がり角の向こうから、誰かの笑い声が聞こえた。
もしかして、この遺跡の職員の人かな? それだったらちょうどいい。出口までの道を教えてもらおう。
そう思って足を動かそうとした次の瞬間、とんでもないワードが聞こえてきて、俺は硬直した。
「これで、ハルクは、確実におしまいだな」
今、なんて?
ハルクは、確実におしまい?
ハルクって、あの、ハルクさんだよね? シャルの結婚相手の。
そう考えている間にも、足音がどんどんこちらに近づいてくる。直感的に、俺は、自分がここにいることを知られてはまずい、と判断した。
しかし、ここは逃げ道のない一本道。足音とは反対側にある曲がり角へ静かに身を隠すには、時間が足りない!
「『フロート』!」
俺は小声で浮遊魔法を発動し、自分の体を浮かせる。そして、忍者の如く、天井へピッタリと張り付いた。
これで通路を見下ろす形になった。しかし、見つかりにくくなったとはいえ、上を見れば俺がいることは一瞬でバレてしまう。
そこで、もう一つ魔法を発動する。
レナ、補助をお願い。
『承知!』
「『インビジブル』」
光系統上級魔法、『インビジブル』。通称、隠蔽魔法。
ある物体について、本来ならそれに当たるはずの光を捻じ曲げて当たらないようにする魔法だ。
つまり、姿を見えなくする魔法である。これを、自分を対象とすれば、自分の姿が他人からは見えなくなる。
しかし、この魔法には大きなデメリットが二つある。
一つ目は、その発動難易度の高さだ。
この魔法の魔力消費量は五百。ほとんどが千を超える上級魔法の中では、魔力消費量が少ない。
その代わりに、コントロールが非常に難しい。事実、光精霊のレナの補助なしには、俺はまともに発動できない。
単純な魔力消費量より、コントロールの難しさが、ランクに反映されているのだ。
二つ目は、この魔法を自分に向けて発動すると、自分の視覚が封じられることだ。
この魔法は、本来自分に当たるはずだった光を捻じ曲げ、当たらないようにする。
当然、自分の目に入るはずだった光も、すべて入らなくなる。その結果、この魔法の発動中は、完全に何も見えなくなってしまうのだ。
これはかなり大きなデメリットだ。人間は、得る情報の七割ほどを視覚に依存している、と言われている。
それが丸ごと断たれてしまうため、残りの三割で周囲の情報を収集しなければならない。
だが、俺も無策ではない。
この二つ目のデメリットを解消するために、俺は別の魔法を発動する。
エル、よろしく。
『りょーかいっス!』
次の瞬間、俺の脳内に、真下の通路の立体形状が浮かび上がる。
『インビジブル』発動時の盲目状態を補完するために、俺が独自に開発した魔法、名付けて『ソナー』。通称をつけるなら、音響魔法、といったところだろうか。
簡単にいえば、人間には聞こえない高周波の空気の波、すなわち超音波を発生させ、反射した音を観測することにより、周囲の物体の形状や動きを把握する魔法だ。コウモリが使うのと同じ、いわゆる『反響定位』というやつだ。
ただし、もちろん超音波は俺には聞こえない。それに、もし反射した音が聞こえたとしても、そこから周囲の状態を再現するのはとても難しい。そのため、風精霊であるエルの力を借りて代わりにやってもらっているのだ。
『これめっちゃ大変なんっスからね〜』
ちなみに、魔力消費量は二百ほどだ。もっとも、その発動難易度から、もしランクをつけるのなら『インビジブル』と同じく、上級魔法に相当するだろう。
こうして天井に張り付いて姿を隠し、下の通路を監視していると、すぐに通路の向こうから二人の人影が現れた。
ゆっくりと俺の目下を通過していく二人組。そのうちの一人に、俺は見覚えがあった。
長身のスラッとした男性。つい数日前に、目の前で言葉を交わした相手。
しかし、『ソナー』越しに見えるその顔には、同一人物とは思えないほど邪悪な笑みが浮かんでいる。
フリードリヒ・ヴィル・フロイエンベルク……!
まさか、奴がさっきの言葉を……?
すると、フリードリヒは隣を歩く、もう一人の男に話しかける。
「では、ディートリヒ。十日後の同じ時間に、またここで」
「ああ。わかったぜ、アニキ」
ディートリヒ……どこかで聞いたような……。
そうだ、初日の自己紹介でフリードリヒの隣に座っていた奴だ! 確か、フリードリヒの弟だったか。
確かに、顔はどことなくフリードリヒに似ている気がする。奴よりもちょっと不細工で、背が低くて、ガタイがいいけども。
幸いなことに、二人は俺に気づくことなく、通路の向こう側へ消えていった。
吐きそうだ。自分の心臓の音が、いやに大きく聞こえる。この心臓の音が、相手に聞こえていたのではないかと、心配になる。
二人は、間違いなく何かの悪巧みをしている。それも、とんでもないスケールの。
もしそれが実行されてしまったら、この街の政治は根底からひっくり返されるだろう。
もし俺が聞いていたとバレれば……最悪、消されるかもしれない。
『フォルゼリーナ。フォルゼリーナ! しっかりするのじゃ!』
『もう奴らはいなくなったっスよ!』
二人の呼びかけで、俺はハッと意識を取り戻す。そして、魔法を解除すると、ゆっくりと地面に降り立った。
『そろそろ戻らないと、ご家族が心配するっスよ』
……ああ、そうだった。俺はまだ、トイレの途中だったんだっけ。
俺は奴らに追いつかないよう慎重に進み、今度こそ建物の外に出る。
すると、トイレの近くにシャルたちの姿があった。
「あっ、フォルー! もー、一人で行かないでよー!」
「うん……ごめん……」
「……フォル、どうしたのかしら?」
「……ううん、なんでもない」
俺は首を横に振ると、何も言えないまま、三人についていくのだった。