それから、俺は『魔法の使い方(上級編)』に夢中になっていた。
本の厚さは初級編や中級編のおよそ二倍。内容も前の二つよりも難しい。
当然、読むペースは圧倒的にスローダウンしていた。
しかし、やはり上級編の名にふさわしく、本の内容はとても充実していて、発展的だった。
理論パートには、杖などの魔道具の説明や、魔法陣についての解説が、実技パートには、いろんな系統外の魔法と、特級魔法がそれぞれ載っていた。
やっぱり、俺は知識に貪欲なようだ。飽きることなく、俺は毎日、少しずつ本を読み進めていった。
そして今日。
日課である魔法の練習の時間に、俺は新しい魔法を試すことにした。
「今日は何の魔法の練習をするの、フォル?」
「やりたいまほうがあるの」
監督役のルーナに尋ねられた俺は、近くのベンチに置いた『上級編』を手に取って、しおりを挟んだページを開く。
「浮遊魔法『フロート』?」
「うん。これやってみたい」
この項目を初めて見たとき、衝撃が走った。
宙に浮く魔法! その魅力に、俺は一瞬で心を奪われてしまったのだ。
人間には翼はない。しかし、浮遊魔法を使えば、空を飛べる。人類のロマンが詰まった魔法が、具体的な方法としてそこには書かれていた。
系統外魔法『フロート』。魔力消費量は二百。物体を宙に浮かす魔法だ。
これを見た瞬間から、俺はいてもたってもいられなくなり、早速今日実践してみることにした。
それに、この魔法を選んだ理由は、それ以外にもある。
「このまほうなら、まわりへのひがいなしに、たくさんまりょくをつかえるとおもう」
現在、この庭では上級魔法の使用が禁止されている。理由は単純、起こす現象が大きすぎて、家の外にまで被害が及ぶ可能性が高いからだ。
しかし、上級魔法が使えないとなると、困ったことが出てくる。
現在の魔法の練習では、魔力量を増やすために、魔力切れを起こすまで、魔法を撃って魔力を消費している。しかし、俺の魔力量が増えすぎて、魔力消費量が膨大な上級魔法抜きでは、魔力切れを起こすのがとても大変になっているのだ。
しかし、『フロート』が使えるようになれば、ものを浮かし続けるだけで勝手に魔力を消費してくれる。しかも、起こす現象のレベルを容易に調節できるから、うまくやれば周りに被害を及ぼすことはない。
まさに、現在の俺が練習するのにピッタリな魔法だった。
しかし、ルーナは微妙な表情をしていた。
「……まあ、やってもいいけれど」
「けど?」
「浮遊魔法はかなり難しい魔法よ? 系統外魔法の中でも、難易度はかなり上の方だから、もう少し簡単なものから挑戦した方がいいんじゃないかしら」
「えー」
難しいのか! いや、でも……だからといって、簡単に諦めたくはない!
「どんなところがむずかしいの?」
「そうね……。一番難しいのは、イメージね。魔法を発動するときはイメージが大事になるのだけれど、浮遊魔法については、『ものを浮かす』というイメージが難しいわ。人間は空を飛べないから」
「ふーん、ならだいじょうぶそう」
「え?」
この話を聞いて、俺はむしろ安心していた。
浮遊魔法のイメージの構築は、俺にとって問題ではない。
……なぜなら、俺は実際に空を飛んだことがあるからだ。前世でな!
飛行機に乗ったことはもちろん、ヘリコプターや気球に乗ったり、スカイダイビングをしたり、『空を飛ぶ』経験はいろいろしてきた。『浮遊感』の経験であれば、ジェットコースターで高いところから落下するときに何度も逆向きのGを体感している。もっと些細なレベルでいえば、エレベーターに乗って下に向かうときに感じる慣性の力。あれだって立派な『浮遊感』だ。
俺はそのときの感覚を脳裏に呼び起こす。
地に足を付けて生活しているせいで長らく忘れてしまっているが、あの内臓がちょっと浮くような感覚を思い出せ……!
十分なイメージができたところで、俺は手に魔力を通して、詠唱。
「『フロート』」
体の中から、何か暖かいものが吹き出す。
その力は、俺の足下に集まると、穏やかな光を発する。
次の瞬間、俺の足が地面から離れた。
そのままゆっくりと俺の体は上昇し続ける。
「フォルが……浮いてる……!」
驚きの表情をしたルーナの顔を、見上げるような形から、見下ろすような形になる。
「やった……!」
一発で成功だ! まさかこんなにもあっさりできてしまうなんて! めちゃくちゃ順調だ。
これで俺の魔法の練習も、また次のステージへ進んだといえるだろう。
俺は下を見る。俺の体はすでに地面から五メートルほど離れていて、隣に並ぶ俺の家の屋根をも超えようとしていた。
ここで、俺は重大なことに気づく。
や、やばい……降りるタイミングを完全に逸してしまった!
本来ならせいぜい一メートルくらいでやめるべきだったのに……! 何も考えずに発動して、しかも成功して浮かれていたせいで、着地をどうするか何も考えていなかった!
そんなことを考えている間にも、俺の体は上昇し続けていく。しかも、心なしかそのスピードがどんどん速くなっているような……。
「フォルー! 今すぐ降りてきなさい!」
下でルーナが叫ぶ。しかし、この状態で魔法を解除して戻ったら、絶対に怪我するじゃん! 骨折とかするかもしれないし、最悪命を落とすかもしれない!
だからといって魔法を解除しなければ、ずっと上昇し続けてしまう。このままでは上空数千メートルで、寒さと酸欠で気絶して魔法が解除され、落下死してしまうだろう。
その方がよほどヤバいじゃないか! 瞬時の決断が迫られる。
もう、こうなったら一か八か、やるしかないっ!
俺はそう決意して、魔法を解除した。
途端に俺を捉えるこの惑星の引力。自由落下を始めた俺は、地面に向かってぐんぐん加速する。
こんなところで人生初のスカイダイビングかよ!
しかも、パラシュート無しの、どう考えても自殺しているとしか思えない状況。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
そして、地面に激突する寸前、俺は決死の覚悟で詠唱する。
「『フロート』っっっっ!」
次の瞬間、急に鉛直上方向に加速度が働き、頭がくらっとする。血流が慣性力に引っ張られて、頭から血が下がったのだ。
これで着地の衝撃は多少なりとも和らぐはず……!
必死に意識を保っていると、今度は俺の意に反して、俺の体は急浮上を始めた。
「うわああああぁぁぁあああ!」
や、やりすぎた! 完全に魔法の威力の調整をミスった俺は、さっき以上の勢いで急速に浮上する。
ヤバい、このままではまた……!
そして魔法を停止。急に下向きの加速度がかかるようになった俺は、またしても自由落下を始める。
「うわあああぁぁぁあああ!」
俺はこの絶叫アトラクションを、あと三分ほど体験することとなった。
※
「し、しぬかとおもった……」
最終的に、なんとか地上に降り立った俺は、地面に膝と手をつく。
地に手足を付けているということが、なんと心強いことか……。前世を含めた今までの人生の中で、これほど地面のありがたさを実感したことはない。
すると、俺の体がルーナに抱きしめられる。そして、俺の頭の後ろから涙声。
「フォルが無事で……良かった……」
「……ごめんなさい」
ルーナには本当に迷惑をかけた。俺も一時死を覚悟したが、それと同じくらい、ルーナはハラハラしていただろう。
「まさか、フォルが自分に浮遊魔法をかけるとは思わなかったのよ……」
「……じぶんがうくためのまほうじゃないの?」
「普通は、重いものを浮かして運搬するために使われるのよ。だから、フォルが浮き始めたとき、本当にビックリして……」
なるほど、俺がやったのは、ルーナの想定外の使用方法だったわけか……。
ルーナが俺を離す。彼女の目は赤くなっていた。
ここで、俺は一つだけ心配になる。
「……やっぱり、ういちゃだめ?」
ただ魔力を消費するためだったら、別のものを浮かし続けるだけで十分。自分自身が浮く必要はない。
だけど、たとえ想定しない方法だったとしても、俺はやっぱり浮いてみたい。この魔法を学ぼうとした一番の理由だから、そこはなるべく譲りたくない。
ルーナは少しの間、考えるかのように黙る。
「……ちゃんと準備をして、安全なところでやるならいいわよ。家の中で、マットを敷いて、体にはロープをつけること。それなら、練習してもいいわ」
「……うん!」
俺は、急遽練習場所を家の中に移すと、浮遊魔法の練習を再開するのだった。