「ふへ〜」
「ちょっとシャル、だらしないわよ」
ソファーでだら〜っとしているシャルを、見かねたルーナが窘める。
すると、横になっていたシャルは、体を起こすことなく、口を尖らせる。
「だって、暇なんだもーん。学校も卒業しちゃったから、パパやお姉ちゃんみたいにやることないし」
「フォルを見習いなさいよ。毎日、怠らずに魔法の練習をしているわよ?」
かくいう俺は、最近やっと、浮遊魔法で安定して浮遊することに成功したばかりだった。
発動自体は簡単だったものの、調節が鬼ムズだった……。少しでも調節を誤ると勢いよく浮上してしまう。何回家の天井に頭をぶつけたことか……。ぶつけ過ぎて脳細胞が死んでバカになっちゃうよ。
だが、その甲斐あって、浮くだけで魔力をガンガン消費できるようになった。今も、床の上の錘にくくりつけたロープを腰に巻いて、浮遊しながら『上級編』を読んでいるところだ。
「剣の練習はしないの?」
「もう免許皆伝とってるから」
「練習しないと鈍っちゃうわよ」
「むぅ〜」
シャルは頬を膨らませて、ゴロリと転がる。しかし、ダラダラするのをやめる気はないようだった。
すると、お茶を飲んでいたバルトが口を挟む。
「ならば、フォルに剣の稽古をつけるのはどうだ?」
「稽古?」
「ああ。免許皆伝を持っているのだから、他人に剣を教えることは許されている。年少の者に剣術を教えて後進を育てるのも、免許皆伝を持つ者の役目だ」
「むぅ……」
「それに、教えるというのは、案外難しいことだ。教えた経験は、いろんなところで役に立つぞ」
バルトにそう言われて、シャルはしばらく黙る。そして、顔を上げて俺の方を見た。
「フォルはどうなの?」
「え?」
「フォルは、剣術を身に付けたい?」
「……」
ふと、この前の旅行で経験した、ゴブリンの群れとの戦いが頭によぎった。
戦いが始まった時、俺は護衛のハンターや、バルト、そしてシャルのように、武器を手に取って戦うことはできなかった。ただただ馬車の中で待っているように言われ、中から外の様子を窺っているだけだった。
最終的に、俺の『バースト』によってゴブリンを殲滅したものの、やはり、最初に感じた、自分が戦闘の足手纏いになっているという歯痒さは、今も俺の中に強く残っていた。
次に、パーティーでヴォルデマールに殴られそうになったときを思い出す。
殴られそうになったことが問題なのではない。結界により、魔法が使えない状態だったことが問題なのだ。
今後も、結界魔法などで、俺の得意な魔法が使えないときがあるかもしれない。そのとき、魔法が封じられてしまったために、何もできなくなってしまうのは避けたい。魔法以外にも、何か身を守る術を持つべきだろう。
ならば、俺の選択は一つ。
「おねがいします」
「……いいの?」
「うん。けんでたたかえるようになりたい」
「……剣の道は、結構厳しいよ?」
「だいじょうぶ」
すると、シャルはふぅと息を吐いた。そして、立ち上がる。
「わかった。じゃあフォルに剣の稽古をつけるよ」
「頑張れよ、シャル」
「あまりやり過ぎないでね」
「わかってるよ。じゃあ、早速明日から始めるね」
「うん! おねがいします!」
俺は、シャルに剣術の手ほどきをしてもらうことになった。
※
星々が瞬く夜が過ぎ、東の空が明るくなり、ラドゥルフは今日もいつもと変わらない朝を迎える。
太陽はまだ地平線から顔を出したばかりで、地面には西向きの長い影が伸びている。
そんな時間に、俺ははっと目を覚ますと、ベッドから飛び起きる。
それから駆け足で洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。そして、リビングに降りて、手早く着替えると、俺は庭へと続くドアを開けた。
その瞬間、俺の視界に輝くサンライズ。
眩しい、と思わず腕で目を保護する。
「早起きだね」
そして、それを背にして、こちらを向く人影がいた。
フローズウェイ流剣術免許皆伝保持者、シャルゼリーナ・エル・フローズウェイだ。
「シャルも、はやおき」
普段、俺は日の出の後に起きているので、今日はかなり早起きした方だと思う。
しかし、シャルは軽々と俺を上回った。
普段、あんなに寝坊助なシャルが、だよ⁉︎
やっぱり、剣術のことなると、真剣になるのかな……?
いつもルーナや俺に起こされるのではなく、これくらいの時間に自分で起きてほしいものだ。
俺はシャルの早起きに少し感動しつつ、まずは教わる者としての礼をする。
「ししょう、これからよろしくおねがいします!」
頭を数秒間下げる。
しかし、何も反応してこない。普段のシャルなら、ここで師匠気取りで「うむ」とか言いそうなものだが。
俺は不審に思って、顔を上げる。
すると、目に飛び込んできたのは。
「くか~…………ZZZ」
仁王立ちで腕を組み、悠然と立ち尽くしながら寝ているシャルだった。
俺は、無詠唱で『ウォーター』を発動した。
※
「あー、それじゃ、剣術の訓練を始めま~す」
「……よろしくおねがいします」
シャルの全身についている水滴が、朝日の光を受けてキラキラと輝いている。
そして、ヘクション、というシャルのくしゃみで、ばらばらと地面へと落ちていく。
「まずは、一番大事なことを教えないとだね」
初めての剣術。一体何を言われるのだろう。ワクワクとドキドキがすごい。
「さて、クイズです! 剣を握るときに、一番大事なことは何でしょう?」
早速のクイズ。単純だが、奥が深い問いだ。
うーん……なんだろう?
「わざ?」
「違うよ」
「りせい?」
「それも大事だけど……もっと根本にあるもの」
えー……なんだろう……。
実は、案外難しく考える必要はないのかもしれない。
俺は思考を単純化して、真っ先に思いついたことをシャルに言う。
「たいりょく」
「そう、その通り! 満点解答だよ、フォル」
「えへへ」
シャルに頭なでなでされる。
「剣を使うために、まず必要なのは体。体がきちんとできていないと、剣で戦うどころか、剣を振ることさえままならない。剣を振るう力、振り続ける体力ができて初めて、技とか知識が活きてくるんだよ」
「なるほど」
なんかシャルが真面目なこと言ってる! こんなに真面目なシャルは、人生で初めて見たかもしれない。
それにしても、こういう話をするということは、やっぱり今の俺じゃ力不足なのかな。
本当にできるようになるのか不安になってきた。
「今はまだ、フォルは剣を振る段階ではないから、まず体づくりから始めよう」
「……うん」
「大丈夫。体ができれば、剣の振り方を教えるから。何事も基本からだよ」
「うん」
「ということで、ストレッチをした後、まずはこの庭を五周ランニング!」
「えっ」
「ほら、早くストレッチ」
今、シャルなんかさらっとエグいこと言わなかった?
この庭を五周ランニングだとか。
この家の庭はかなり広い。俺はまだ、その全貌をきちんと把握できていなかった。普段の魔法の練習でもこの庭を使っているが、いつも同じ一角しか使っていない。
それを五周って……、おそらく数キロになるだろう。
俺は前世の体育の授業を思い出しながら、一通りストレッチをする。
それを終えると、俺は走り出したシャルについていった。
最初の方はシャルのスピードについていけたが、四角形の庭の一辺も走り切らないうちに息切れし始めて、スピードが落ちていった。シャルの背中がどんどん遠くなっていく。
シャルー! 俺のような三歳児にも着いていけるようなスピードにしてよー!
俺はシャルに待って、と叫ぼうとするが、すっかり疲労した俺の喉からは。
「ハァ……ハァ……、シャ……ル……、ま……ハァ……って……」
という言葉でない声しか出ない。勿論、そんな声がシャルに届くわけもなく、シャルの背中はどんどん遠くなっていく。
俺はあまりの辛さに、とうとう走るのを止めて、歩き始めた。
そして、数メートル歩いた後、しゃがみ込む。
早くも俺の体は汗びっしょり。額からしたたり落ちた汗が、庭の芝生に垂れる。
「フォルー! 何をしているのさー!」
その声に顔を上げると、前から猛スピードで走ってくるシャル。
げ、と思いながら俺は動かない体に鞭打って立つ。
「もう、歩いちゃだめだよ、ほら、走るよ」
俺に何かを言わせる隙を与えず、シャルはまた走り始める。
ひー! 鬼だー!
※
「ゼエ、ゼエ、ゼエ…………ハァ、ゼエ……」
日はすでにかなり高く昇り、大地を照らしている。
俺はその光を背中に浴びながら、うつぶせに倒れていた。
全身汗だくで、もう何もできない。喉がひたすら乾き、吐き気がする。しかし、まだ朝ご飯前なので胃の中は空っぽ。吐くものすらない極度の空腹状態だ。
俺は、途中途中歩き、シャルに急かされながらも、なんとか庭五周ランニングを成し遂げた。
そして、スタート地点の噴水前に戻って来た俺は、ベンチに倒れ込むようにして……、いや、倒れ込んだ。
「ふう」
一方、瀕死の俺とは対照的に、同じ距離を走ったシャルは、爽やかな顔で額の汗を拭っている。
これが、年の差というやつか……。
「フォル、朝ご飯に行こう。もうそろそろ呼ばれるはず」
そうシャルが言った直後、屋敷に通じるドアが開いた音がした。
「シャルー、フォルー、ご飯よー」
「はーい!」
「…………はぃ」
ルーナの呼びかけに、シャルは元気いっぱいに答える。
体力のある人はいいね。うらやましい。
「フォル、行くよ……ってこの状態じゃ厳しいか。おんぶするから、乗って」
「…………いい」
「え?」
「……じぶんで、……いける」
「でも、動けないでしょ? どうやって行くの?」
シャルが心配するのはもっともだ。
だがしかし、肉体は疲労しても、まだあれは疲労していない!
俺の奥の手、それは……。
「『フロート』」
俺がその言葉を唱えた瞬間、うつぶせになっている俺の体が、浮き上がる。
「浮いた!」
旅行から帰ってきてからこれまで、俺は浮遊魔法の練習に時間を費やしてきた。しかし、ただ安定して浮く練習だけをしていたわけではない。
あらゆる姿勢からの浮遊魔法の起動、浮遊中の体勢の変え方、そして移動の仕方を練習していたのだ。
俺は、浮遊魔法を細かく調節して、体を起こす。これで、うつぶせの状態から直立した姿勢になった。
ここまで、俺は一切体を動かしていない。
そして、空中を滑るようにして、家へ向かう。
早く朝ご飯を食べないと死んでしまう!
「待って~!」
後ろから、俺に置いていかれたシャルの声が聞こえる。
剣の道は、シャルの言う通り、想像以上に長く、そして厳しいものになりそうだ。