王都を観光してから、更に四日が過ぎた。
今日、いよいよ王城でパーティーが開催される。
昨日の夜はワクワクとドキドキであまりよく眠れなかった。そのため、今朝はシャルと同じように思いっきり寝坊してしまった。
まあ、パーティーは夕方から夜にかけて開催されるので、特に影響はないんだけどね。
朝はそれほど忙しくなかったが、昼飯後から急に屋敷の中がバタバタし始めた。俺とシャルも自室にこもって、メイドに手伝ってもらい準備を始める。
「ねえ、シャル」
「ん?」
「まだじゅんびするには、じかんがはやいきがする」
「女はお化粧とかドレスとか、そういうので忙しいんだよ」
まだ太陽が南中したばかりだぞ……。確か、王城のパーティーへは日没に出発する、とバルトから言われていたから、残り時間はおよそ四時間といったところか。ここから王城までは、歩いていけるくらいだから、馬車で行けば十分もかからないだろう。
裏を返せば、今から四時間近く費やさないと準備が終わらない、ということだ。確かに、貴族が集まるパーティーでは、それなりの格好をしていかなければならないイメージがある。いわゆる、ドレスコードというやつだ。
貴族って、大変だな……。
俺は、ラドゥルフの自宅から持ってきたドレスを手に取る。
この時のために、仕立屋に作ってもらった俺専用の一品だ。
無論、ドレスを着るのは生まれてから──前世からカウントしてもだが──初めてだ。着方なんてわかるはずがない。
そのため、自力で着るというよりかは、ほとんどメイドに着させてもらうような形となってしまった。
「右腕をあげてください」
「はい」
「そうです。ボタンを留めますね」
「うん」
「はい、できました!」
着付け完了。きちんと自宅に呼んでまで測定したからか、服の大きさはぴったりだった。
ドレスの見た目は、今まで着た服よりも華やかだ。こんな服、パーティーのときくらいしか着られないだろう。ただ、その反面、機能性はそこまで良くはないようだ。トイレに行くときとか苦労しそうだ。
一方、シャルを手伝っているメイドは、鞄から何やら化粧道具らしきものを取り出して、シャルに化粧をし始める。
直感に反して、その道具の中には化粧水とか、正式名称はわからないがパタパタするやつもある。意外とこの世界の化粧品は発達しているんだな。
それにしても、シャルはすっぴんが美人だから、わざわざ化粧をしなくてもいいと思うんだけどなぁ……。
それでもやっているのは、貴族のお決まりだからだろうか。
「……わたしもけしょうするのかな」
「フォルゼリーナ様がお化粧する必要はございませんよ」
まあ、まだ三歳児だしな。ニキビも何もできていないし、何もしなくてもお肌はツヤツヤモチモチだぜ!
「では、次に髪のセットをしてしまいましょう」
「うん」
後ろに回ったメイドが、まずは俺の髪を櫛でといていく。
その間、俺は、自分の正面にある鏡をぼーっと眺めていた。
俺の髪は明るい金髪。ルーナと同じ色だ。癖のないその髪は、今は胸と腰の間くらいまで伸びていた。
いつも、髪が長くなったらルーナに切ってもらっている。この前も、肩にかかるくらいまでに切ってもらったはずだが、いつの間にか長くなってしまっていた。帰宅したら切ってもらうか。
鏡に映っているのは三歳児相応の、あどけない子供の顔だ。自分で言うのもなんだが、かなり可愛いと思う。顔のパーツは整っているし、おめめはぱっちりだし、鼻も高い。成長したらルーナみたいな美人になりそうな予感がする。遺伝子に感謝だ。
ちなみに、瞳の色は紫色だ。前世では見たことがなかったし、今世でも俺と同じ色の瞳を持つ人には出会っていない。ルーナは碧眼だし、バルトともシャルとも違う。いったいどこからこの瞳の色は引き継がれたのだろう? もしかして突然変異?
「では、髪を飾り付けていきますね」
そんなことを考えていると、メイドが俺の髪を飾り付け始めた。テキパキとメイドの腕が動いて、俺の髪をまとめたり、ヘアピンをつけたりしていく。
「はい、これで終わりです。お疲れさまでした」
「ありがとう」
鏡に映った俺は、今までとはまるで別人みたいに華やかだった。『まるでお人形さんみたい』という言葉がビッタリだ。
これなら、どんなにパーティーが立派でも、決して見劣りしないだろう。
ちょうどこのタイミングで、シャルの化粧が終わった。
そして、シャルがこっちを向く。
「どう?」
「……ほんとうにシャル?」
「すり替わったりしてないよ」
シャルの顔は、とても美しくなっていた。まさに『美女』という感じだ。一瞬見ただけでは、シャルだと判別できないだろう。
化粧一つで人の顔面はこんなに変われるのか……。
きっと、そこにはメイドのテクニックや、化粧品の品質も関係しているのだろう。
シャルはそのまま、準備を続ける。一方、俺も準備を再開しようと思って、メイドに声をかける。
「ほかに準備することはある?」
「いいえ、もうありませんよ。出発までゆっくり休んでいてくださいませ」
もう俺の準備は完了してしまったようだ。だが、まだ出発する気配はない。
急に暇になった俺は、『魔法の使い方(中級編)』を取り出して、続きから読み始める。
あとちょっとでこの本も読破する。初級編、中級編があるのだから、次は上級編があるはずだ。もしあるなら、早く読んでみたいなぁ……。
俺は読書に没頭して、出発までの時間を潰したのだった。
※
「よし、行くぞ」
バルトが、大通りに停めてある馬車の前で、俺たちの方へ振り返って言う。
彼の服装は、貴族らしいしっかりとした服だ。とても高貴な雰囲気を醸し出している。
「さ、フォル、行こう」
「うん」
俺はシャルが差し出した手をとって、馬車へ歩き出す。
そのシャルも、見たことがないほど綺麗な格好をしていた。気品のあるドレスに、美しさを引き立てる化粧。普段の姿や、ゴブリンと戦った時の勇敢な姿からは全く想像できない姿のシャルが、そこにはいた。変身する過程を見なければ、本当にシャルなのか? と疑ってしまうほどだ。
俺たちは馬車の客席に乗り込む。
うわ、ナニコレ。俺は思わず声を出しかけた。
ラドゥルフからここに来るまでに使った馬車も、かなり豪華だった。しかし、この馬車はそれよりもはるかに格が上だ。
金ピカなゴテゴテの装飾が至る所に取りつけられていて、座面はふかふか。前世の自動車でもここまで座り心地は良くなかったぞ……。
まさに、貴族が乗る高級車、という感じの馬車だった。
俺はシャルの隣に座る。次に、バルトが乗り込むと、外で控えていたメイドがドアを閉めた。
そして、メイドたちの一礼を後ろへ、馬車はゆっくりと道を進み始めた。
思ったより、馬車の揺れは少なかった。馬車の性能がいいのか、王都の路面が良好なのか、あるいはその両方か。なんにせよ、馬車で酔わなさそうなのは、俺にとってはラッキーだった。
すでに、太陽は西の空の低いところまで傾いている。ちょうど王城に到着するくらいに、日没となるだろう。
かれこれ揺られること数分。俺たちが乗った馬車は、四日前に観光したときに歩いたルートを辿って、王城前広場へと差し掛かった。
「おお……」
そこで、窓の外を見ていた俺は、思わず声を上げてしまった。
王城前広場に、大勢の衛兵が、一列に並んで一斉にこっちに向かって敬礼しているのだ。
反対側の窓からも、まったく同じ光景が見える。
馬車は、向かい合って敬礼をする衛兵の列で作られた一本道を、王城に向かって進んでいた。
「近衛兵だな。普段は王城の門の警備や、内部の警備をしている兵士だ」
左右どこを見ても、全員が全く同じ服装で、全く同じポーズのまま固まっている。なんだか、テレビで見たイギリスの近衛兵を思い出すなぁ……。
そんな感想を抱いている間にも馬車は進み、正門を通り抜けると、巨大な堀に架かる橋を渡り切った。どうやら、王城の敷地内に入ったようだ。
そして、正面に巨大な入り口が見えてきた。その前には巨大なロータリー。馬車はゆっくりと減速して、玄関の真横でぴったりと停まる。同時に、ドアが外から開いて、待機していたメイドの声が聞こえた。
「足元にお気をつけてお降りくださいませ」
バルト、シャル、最後に俺、という順番で降りる。すると、馬車のドアが閉まり、そのままぐるっとロータリーを回って、来た道へと走り去っていった。
すると、入れ替わるように同じ装飾が施された馬車がこちらに向かってきた。ロータリーを回って、俺たちが先ほど降りたところにピッタリと停まる。
なるほど、こうやって今回のパーティーの参加者を送迎しているのか……。
「フォル、ぼーっとしてないで行くよ!」
「あ、うん」
俺はシャルに引っ張られて、王城の中へ入っていく。
前を向くと、バルトは入り口から少し中のところで、執事っぽい服装の人に何かを見せているところだった。俺はバルトの手元を凝視する。
あれは……カードか……?
「二人とも、行くぞ」
すると、バルトから声がかかり、俺たちはその人の誘導に従って、中へと進んでいく。
おそらく、バルトが持っていたのはパーティーの招待状だろう。これを提示することで、パーティーの参加者かどうかチェックしているに違いない。
俺たちは、ところどころに立っている看板に従いつつ、廊下を歩いていく。
足元にはレッドカーペット、天井からはシャンデリア。壁には絵画がかけられていたり、彫刻品が展示されていたり、直接装飾が施されたりしている。この時点で、もう俺が見てきたこの世界のどんな建物より豪華だった。まだ廊下だぞ? 廊下がこれなら、部屋はいったいどれほどなのか……。
すると、遠くから人々のざわめきが聞こえてきた。進んでいくにつれ、どんどん大きくなる。もうすぐ、パーティーの会場となる部屋だ。ドキドキとワクワクが加速していく。
そして、角を曲がると、ついに俺たちはパーティー会場である部屋に到着した。
「…………すご」
視界に入る何もかもにあまりにも圧倒されて、俺の口から心に浮かんだ言葉がそのまま漏れる。
奥行きの長い、縦長の部屋だ。だが、大きいのは奥行きだけではない。すべてが絶対的にデカい。天井は十メートルくらいあるんじゃないか、と思うくらい高いし、横幅も、奥行きよりかは小さいが長い。スケール的に一番近いのは、学校の体育館だろうか?
しかし、この部屋は体育館とは比べ物にならないくらい豪華だ。天井からはいくつものシャンデリアがぶら下がっていて、この空間全体を明るく照らしている。だが、シャンデリアについている光源は、明らかに蝋燭やランプの類ではない。まるでLEDライトのような、揺らぎのない強い照明だ。ここからでは、眩しすぎてその正体がよく見えないのが残念だった。
その天井を支える柱には、細かい彫刻が施されている。複雑ながらも美しい形状だ。これを作るのには、きっとものすごい労力がかかっただろうな……。
床にはもちろんレッドカーペット。廊下に敷かれていたものと同じものが、床一面を覆っていた。
部屋の真ん中は通路になっていて、その両側にはいくつもの丸テーブルが並べられている。大多数は大人用の大きいテーブルが置いてあるが、手前側には小さめのテーブルと椅子がセットで少数ながら設置されていた。
一番奥には長いテーブルが設置されていて、使用人がそこにセカセカと料理を運んでいる。また、大人用の丸テーブルには皿やナプキン、フォークなどを、子供用のテーブルには、それに加えて自分で盛り付けるような大皿の料理が運んでいた。
そして、部屋の一番奥にはここよりも一段と高くなっている場所があり、その上には立派な椅子が置いてあった。きっと、あそこには国王陛下が座るのだろう。
そんな豪華すぎる空間の中には、豪華な人々が集まっていた。どこを見ても、上品な服に包まれた上品そうな人しかいない。男性はスーツのようなものを着ているし、女性は全員華美なドレス姿。中には子供もいるが、どんなに幼くても大人と同様、きちんとドレスコードを守っていた。
これが、貴族のパーティー……。
今この瞬間をそのまま絵に描ければ、それは間違いなく有名な絵画になるだろう。それくらい、この部屋は体験したことのないほどの優雅さで溢れていた。
「フォル、こっちにおいで」
「……はっ、うん」
俺は、シャルの声で我に返ると、壁際に退避する。そうこうしている間にも、部屋の出入り口からは、貴族がどんどん入ってきていた。
「そういえば、ジージは?」
「あそこで知り合いの人と話しているよ」
シャルの視線の先には、遠くで誰かと談笑しているバルトの姿があった。
辺りを見回してみると、他にも二、三人のグループを形成して、話し込んでいる人々の姿が見える。
「みんな、おはなししてるね」
「まあ、ここは政治の場でもあるからね……」
シャルがボソッと呟く。きっと、俺には理解できないだろうと思って呟いているのだろうが、俺はその言葉から、シャルの言いたいことをなんとなく察していた。
今回のパーティーでは、国内中の貴族が一堂に会する。
だから、パーティー前にも挨拶とか、根回しとか、取引とか、そういう政治的な駆け引きみたいなものも、当然行われるだろう。
少なくとも、俺の前で話している人の何人かは、それをやっているに違いない。
貴族界って、大変だなあ。
そんなことを呑気に思えるのは、俺がまだ政治的権力も価値も皆無な子供だからだろう。このまま成長して、王国の貴族の一員として行政に関わるようになったら、いつかはそういうことをしなくちゃいけないんだろうな……。
特にやることがないので、俺はしばらく部屋の様子をなんとなく眺める。この場にいるほとんどの人とは、面識がない。知っている人といえば、家族のシャルとバルト、そして、遠くの方に見えるジンクさんら親戚だけだ。
あー、暇だ。パーティーが始まるまで時間があるのなら、本を持ってくればよかった……。早く始まってくれないかな……。始まってもご飯を食べるくらいしか、やることはなさそうだけど。
そんなふうにぼーっと眺めていると、俺はあることに気がついた。
ヒソヒソと話しながら、冷たい視線を送っているグループがいくつかあるのだ。貴族内でも派閥はあるだろうし、それ自体は不自然ではない。しかし、明らかに不自然なのは、そのグループの視線の送り先の大半が、バルトに向けられている、ということだった。
もちろん、バルトと話している人は、そのような視線を向けてはいない。だが、何人かの貴族からは、明らかにバルトはよく思われていないようだった。
もしかして、バルト派vsその他派で、派閥争いをしている……とか⁉︎
ここで、部屋が急に静かになった。何事かと思い、俺は人々の視線の方向を辿る。
次の瞬間、部屋前方のステージの手前に、いつの間にか集まっていた楽器隊が、荘厳な音楽を奏で出す。そして、壇上の上手(かみて)から、一人の男性が現れた。五十代後半くらいだろうか、バルトより少し年上のように見える。他の誰よりも立派な服を着ており、胸のところにはバッジやら紋章やらがたくさんついていた。何よりも目を引くのは、その頭に載っている冠。誰がどう見ても、その人が国王陛下であるとわかる装いだった。
その間に、人々の間を縫うように駆け回る使用人たち。人々に何かを手渡している。
「これをお持ちください」
すると、俺の前にもやってきて、液体の入ったグラスを渡してきた。シャルにも同じものを渡してくる。
「フォル、まだ飲んじゃだめだよ」
「う、うん」
あ、あぶねぇー。シャルが止めてくれなかったら飲んでいたところだった。
再び視線を前に向けると、国王陛下はゆっくり歩いて、玉座の前に立ったところだった。同時に、曲も終わりを迎え、部屋が無音になった。
静寂の中、王の堂々とした声が部屋に響き渡る。
「第六十五代アークドゥルフ国王、ディオストリス・ラディウス・アークドゥルフである。
諸君、今宵は余の招きに応じ、ここに集まってくれたことに感謝する。この場が、王国の繁栄の一翼を担う諸君の労いとなると共に、諸君らの交流を深めることになることを期待する。それでは乾杯」
「「「「「乾杯!」」」」」
皆がグラスを掲げた。俺もそれに倣ってグラスを持った右手を掲げる。
なるほど、このためのグラスだったのか。
そして、部屋の中は再び騒がしくなり、音楽団が優雅なBGMを流し始める。
こうして、国王陛下主催の、貴族たちのパーティが始まった。