王都に着いてから数日が経過した。
手違いで、初日までに来なかった清掃業者の人やメイドさんも到着し、屋敷の中はかなり賑やかになった。
清掃業者の人は俺たちが掃除した場所のみならず、部屋の中や二階より上の階も掃除している。また、外壁の蔦の除去や、荒れ果てた前庭や中庭の整備もしていた。
メイドさんは、主に食事や洗濯など、身の回りの世話を担当している。また、放置された部屋のカーテンやベッドのシーツ、毛布などの布製品の取り替えなどもやっている。
そのおかげで、屋敷の中はすっかり綺麗になり、カビ臭さも埃っぽさもほとんどない、過ごしやすい空間となっていた。
ただ、王都に来た目的であるパーティーの日まではまだ時間があった。どうやら、かなり余裕を持たせた旅行日程になっていたようで、道中で日程の遅れが生じなかったため、早めに到着してしまったようだった。
こうしてできた暇な時間を、俺たちは思い思いに過ごしていた。
例えば、バルトは連日どこかへ出掛けている。一人で行くこともあれば、ジンクさんとともに行くこともあった。何をしているのかは知らないが、王都に来るのは久しぶりなようだったので、この機会に、といろいろ用事を詰め込んでいるのだろう。
一方の俺は、毎日のように『魔法の使い方(中級編)』を読んでいる。実践編を読んでどんな上級魔法があるか確認したり、理論編を読んで魔法の仕組みについて理解したりしている。初級編よりもかなり読み応えがあった。
また、それだけではなく、実際に魔法の発動訓練もしている。とはいえ、上級魔法を試せる環境ではないので、複合魔法や中級以下の魔法、あるいは無詠唱の魔法に限定しての練習だ。
今日も、俺はベッドに上がって寝っ転がり、『魔法の使い方(中級編)』を読んでいた。すると、窓の外から何か空を切るような音が聞こえてくる。
今日も元気にやっているんだな……。
俺は本を閉じると、窓際まで這い、上半身を起こして、窓の外の中庭を見下ろす。
「ふん……ふん……!」
中庭では、半袖半ズボン姿のシャルが、木剣を一定のリズムで振り下ろしていた。
シャルは毎日、中庭でああいうふうに剣の練習をしている。普段は、ちょっと抜けているところばかり見ているので、なんだかとてもカッコよく見えた。
「何を見ているんだ?」
「わっ……ジージ!」
いつの間にか、俺の隣にバルトが立って、窓からシャルを見下ろしていた。全く気づかなかった……。マジでビックリした……。
「ほう、剣の練習か……結構なことだ」
バルトは目を細めながらそんなことを言う。そういえば、ゴブリンと戦った時、シャルは、バルトがなんちゃら流剣術をマスターしていて、シャル自身も免許皆伝をもらっている、と言っていたな。きっと、バルトはシャルに剣術を教えてきたのだろう。
それにしても、バルトがこの時間に屋敷の中にいるなんて珍しい。いつもなら出掛けている時間帯だし、なんなら今日も朝に屋敷を出てどこかに行っていたはずだけど。
「きょうは、かえってくるのはやいね」
「ああ、用事が早めに終わったからな。そうだ、そこでなんだが、王都を観光しないか?」
「おでかけ⁉︎」
俺はその言葉に心躍らせる。この屋敷に到着してから、俺はまだ一度も外に出ていない。ちょうど本を読んだり魔法の練習をしたりして時間を潰すのにも飽きてきたところだ。バルトの提案は渡りに船だった。
「いく!」
「そうか。じゃあシャルも呼んでこようか」
「うん!」
俺はベッドから降りると、シャルを呼びに部屋を飛び出したのだった。
※
外出用の服に着替えた俺、シャル、バルトの三人は、屋敷の外に出た。
振り返ると、数日前に馬車から見た蔦だらけのかつての姿はどこにもなく、すっかり元の色を取り戻した、周りと遜色のない立派な屋敷が建っていた。
「パパ、まずはどこに行くの?」
「そうだな、まずは王城へ行こうか」
王城は、王都のちょうど中心にある、王族が住んでいる城だ。俺たちは王都の中心部へと歩き始める。
少し歩くと、大きな城壁が見えた。これまで見てきた第二から第四城壁と比べると、明らかに古く、規模が小さい。一番内側にある第一城壁だ。おそらく、他のものよりも前に建てられたからだろう。
城門を潜り抜けて麦街道を歩いていくと、やがて大きな広場に到着した。中央には巨大な噴水があり、その手前には巨大な像が建っている。
広場の片側は高い柵で区切られており、中央には衛兵が守る巨大な城門があった。その向こうには幅の広い道、そして白亜の城が鎮座している。
「おお……」
その威容に圧倒され、俺は思わず息を呑んだ。
これが王城……この国の王族が住んでいる場所……。誰が見てもそのことが一瞬でわかる。それほど立派な佇まいだった。
「パーティー当日は、城の中に入ることになるぞ」
「やった! たのしみ!」
あの中に入れると思うと、ドキドキすると同時にワクワクもしてくる。いったいどうなっているんだろう? とても楽しみだ。
俺は王城から噴水の方へ目を移す。同じく白い石材でできた巨大な噴水からは、水が絶え間なく噴き出している。その周りにはたくさんの人が集まっていた。
よく観察してみると、やけに若い男女のペアが多い。すると、そのうちの一組が、噴水の中に何かを一緒に投げ入れた。噴水の底を見ると、太陽の光を反射してたくさんの小さな何かがキラキラと輝いていた。
「ねえ、シャル」
「ん?」
「あのひとたち、ふんすいになにをいれているの?」
「コインだよ」
「どうして?」
「この噴水にはとある伝説があるんだよ。意中の人と一緒にコインを投げ入れたら、その人と一緒になれる、っていうね」
なるほど、トレビの泉みたいなものか。
すると、バルトがシャルに問いかける。
「シャルには、一緒にコインを投げる人はいるのか?」
「い、今のところは……」
「そうかそうか。まあ、そのうち見つかるさ」
シャルは顔を赤くして俯いた。乙女だなぁ……。
次に俺が注目したのは、噴水のすぐ後ろにある巨大な銅像だった。台座は、王城や噴水と同じく白い石で作られている。台座の部分だけで人の身長より高い。銅像のてっぺんまでは、五メートルから七メートルくらいあるだろうか。
その台座の上に乗っているのは、どうやら女性のようだ。右手に持った剣を、堂々と天へと掲げている。左手には何かの杖を握っている。
「このひとはだれ?」
「初代国王陛下だ。遙か昔、大陸中央の戦乱から逃れ、魔物の多きこの地にたどり着いた集団をまとめ上げた、最強の魔導師にして剣の使い手だ。この地に着いてから、魔物に対抗するために最初につくった砦が、この王都の由来だと言われている」
「へー」
確かに、ここはザ・城塞都市みたいな構造をしているもんなぁ……。魔物が跋扈する中で一からこの都市を、この国を作り上げたと考えると、そこには並々ならぬ努力があったのだと感じられる。
「今の国王陛下は何代目だっけ?」
「六十五代目だ。学校で習っただろう」
この国で使われている暦である王暦は、文字通り王国の建国からの年数を示している。今年が七百五十七年だから、一代あたり十年ちょっとだ。前世でいえば、ちょっと任期の長い大統領、といったところか。王国にしては頻繁に王様が変わっているような気がする。
それでも、七百年以上玉座が一つの血統で占められているということは、統治はかなり安定しているのだろう。
「それにしても、今日は暑いね〜」
「確かにな。まだまだ残暑が厳しい」
シャルはポケットからハンカチを出すと、汗を拭った。
すでに夏のピークは過ぎ、暦の上では秋に入っているはずなのだが、今日は夏を思わせるほど暑かった。俺も、この三歳児の体だからか、ここにくるだけでかなり体力が削られていた。
「よし、では久しぶりにアレを買うか」
「え、アレを買ってくれるの⁉︎」
「ああ」
「やったー!」
シャルが目を輝かせて大はしゃぎする。
「なになに、アレってなにー?」
「行ってからのお楽しみだ」
「えー!」
『アレ』ってなんだよー! 隠語にしないで教えてくれよー!
そう思っていると、バルトが俺をヒョイと抱え、肩車をしてくれた。
「よし、そうと決まれば早速向かうか」
「おー!」
俺を連れて、二人は早速街の外側へ歩いていく。第一城壁を越え、屋敷の方へ真っ直ぐと。そのまま帰るのかと思ったら、なんと屋敷の前を二人ともスルー。さらに外側へ歩いて行き、第二城壁をも通過した。
どこまで行くんだ? まさか、王都の外まで行くのか……?
「着いたぞ」
そう思った矢先、バルトが立ち止まった。
第二城壁の城門の外には、たくさんの商店が並んでいる。そんな数ある店の中の一つに、俺たちは入っていく。
入り口の直上には『ハミルトン商店』という看板が掲げられていた。
「いらっしゃいませー!」
店に入ると、すぐさま男性のハスキーボイスが飛んでくる。店の奥の方に目を向けると、小太りの陽気そうな男性が、せかせかと動き回っていた。
すると、こちらを見た男性が立ち止まり、一瞬ビックリしたような表情をする。そして、すぐにそれは嬉しそうなものに変わった。
「ややっ、これはバルト様じゃあないですかぁ! お久しぶりですぅ〜!」
「久しいな、ハック。元気でやっていたか?」
「もちろんですとも、こうしてピンピンとやっておりますとも! シャルゼリーナ様も、ご無沙汰しておりますぅ〜」
「久しぶりだね」
「ええ、最後にお会いしたのは四年ほど前でしょうか。大きくなられましたねぇ〜」
ニコニコと楽しそうに話す、バルトにハックと呼ばれた男性。この人が、この店の主なのだろうか?
すると、肩車された俺に気づいたようで、ハックさんが俺に視線を向けると、バルトに尋ねた。
「バルト様、このお嬢さんは? ご親戚ですか?」
「ああ。ルーナの娘の、フォルゼリーナだ」
「はじめまして、フォルゼリーナ・エル・フローズウェイともうします。お『しみ』りおきを」
「あらあら、そうなんですかぃ! あのルーナ様のご息女とは……」
すると、ハックさんは俺に向かって恭しく頭を下げた。
「はじめまして。ワタクシ、ハミルトン商店の三代目当主、ハック・ハミルトンと申します。バルト様やシャルゼリーナ様、ルーナ様には、以前王都にご在住の頃、弊店をご贔屓にしていただいておりました」
どうやら、バルトたちの行きつけの店だったようだ。
「ところで、本日ルーナ様はご一緒ではないのですか?」
「ああ。ルーナはラドゥルフで俺の代わりに行政の仕事をやってもらっている。今回王都に来たのは、近々王城で開催される国王陛下主催のパーティーに参加するためでな。王都に一時的に滞在することになった、というわけだ」
「な〜るほど、そうだったのですねぇ」
バルトとハックさんが話している間に、俺は店内を見回す。棚には瓶がずらり。お酒や瓶詰めだろうか……。いずれにせよ、この店では食品を販売しているようだ。
「ところで、今日もアレですかい?」
「ああ、三つ頼む」
「かしこまりました! 六十セルでございますぅ」
バルトが小さな銀色の硬貨を渡すと、ハックさんは店の奥へと引っ込んでいった。その間に、俺はバルトの肩から降りる。
少しすると、ハックさんは腕にカップアイスくらいの大きさの容器を三つ抱えて戻ってきた。まず、バルトにお釣りを渡す。
「まず四十セルのお返しですぅ」
そして、容器をバルト、シャル、そして俺へと一つずつ渡してきた。
「つめたい」
まず感じたのは、冷たさだった。まだ気温が高い時期なのに、こんなに冷たいなんて……。まるで冷蔵庫で冷やしていたかのようだ。
「こちらが当店の『スライムシャーベット』でございますぅ! ご賞味あれ!」
中を見ると、半ば凍りかけたジェル状のものが入っていた。
俺は付いていた小さな木匙で表面をつつく。確かに名前の通り、シャーベットみたいだ。
さて、お味の方はどうだろうか……。ドキドキしながら掬って一口パクリ。
「お、おいしい……」
ソーダのような、少し甘いがさっぱりした味だった。食感はシャリシャリしていて、見た目通りだ。冷えたシャーベットが暑さに堪えた体に染み渡る。
まさか、この世界で氷菓が食べられるとは思わなかったんだ……。
俺はあっという間に完食してしまった。
「うむ、やはりこの味、食感、クセになるな」
「これだよこれ! 暑い日はこれに限るよ〜」
「満足いただけたようで、商人冥利につきますなぁ〜!」
ガハハ、とハックさんは笑った。
「せっかくだから、ジンク君たちにも買っていくか」
「でも、この暑さだと、家に着くまでに溶けちゃうかもよ?」
「大丈夫だ。俺たちにはフォルがいるじゃないか」
「確かに!」
何か知らない間にどんどん話が進んでいて、ついていけない俺は、バルトとシャルを交互に見る。
すると、バルトが俺の視線に気づいた。
「フォル、これからスライムシャーベットを買うから、家に帰るまで『アイス』で冷やし続けてくれないか?」
「うん、わかった」
なるほど、そういうことか。俺を人力冷凍庫にしようとしているわけね。
『アイス』は水系統初級魔法、魔法消費量は四十だ。家に着くまでシャーベットを冷やし続けることくらい、俺にはお茶の子さいさいである。
「ほー、フォルゼリーナ様は魔法を使えるんですねぇ! それなら安心ですなぁ!」
「ハック、スライムシャーベットをもう六つ、頼む」
「かしこまりましたぁ! 百二十セルでございますぅ」
どうやら、スライムシャーベットは一個二十セルのようだ。
前世の日本における同程度の大きさのカップアイスの値段と比較すると、おそらく一セルは十円程度の価値だろう。
ということは、ハンターギルドで貰った報酬は、五万九千セルだったから……。五十九万円⁉︎ かなりの高額だ。そりゃ、ギルドも騒つくわけだ……。
バルトが代金を支払うと、ハックさんはシャーベットを三つ持ってきた。
シャルがそれらを布で包んで手から提げると、俺は早速それに『アイス』をかける。
「ありがとうございましたぁ! またのご来店をお待ちしておりますぅ!」
ハックさんの挨拶を背に、俺たちは帰宅するのだった。